舞踊を語る

国立劇場第166回 舞踊公演 「日本舞踊のススメ」(8月1日) 特別対談【前編】
若柳里次朗(日本舞踊家) & 宮 悠介、藤井 陽(筑波大学大学院修士課程・ダンサー)

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日本発のダンスのプロリーグ「Dリーグ」が設立され、2024年のパリ五輪でブレイキン(ブレイクダンス)種目が初採用されるなど近年、ダンスを取り巻く環境が国内外で盛り上がりを見せている。そんな中、見る機会も踊る体験も限られるのが日本舞踊。だからこそ伝統芸能の殿堂、国立劇場がこの度、率先して若者や新たな観客を対象に、間口を広げた公演「日本舞踊のススメ」を敢行した。ダンスファンならお馴染み「コンドルズ」のメンバーと日本舞踊家が〝競演〟する解説、創作舞踊、古典…と、バラエティーに富んだ内容。今公演を、筑波大大学院で舞踊を研究し、かつ実践者でもある現役の学生である宮悠介さん、藤井陽さんのお二人が見て、初めて生の日本舞踊に接した率直な感想を出演者の一人、若柳里次朗さんにぶつけた。(文中敬称略)

日本舞踊家とダンスを学ぶ学生が語る


若柳里次朗

宮悠介(以下、宮):これまでなかなか日本舞踊を見る機会がなかったのですが、今回、貴重な機会を頂き、楽しく観られました。
 最初の解説から、親しみ深い「コンドルズ」のお2人(近藤良平、石渕聡)が登場され、日本舞踊とコンテンポラリーダンスの違いを比較、説明してくださって、すごく入りやすかった。そこから創作作品「御柱祭」、続いて有名な「連獅子」の上演で、少しずつ日本舞踊の世界に誘われる展開でした。もし初めに「連獅子」の上演だったら、少しビックリするところもあったと思いますが、段階を踏んで、スッと観ることができたと思います。

藤井陽(以下、藤):私も国立劇場で日本舞踊を観るのは初めてだったのですが、解説から始まったので、日本舞踊の概要を知ることができ、緊張せずに観ることができました。その後の「御柱祭」が、最初の(斬新な青い)照明から個人的に、すごくビビッと来たんです。日本舞踊に、あのような照明効果のイメージがなかったので・・・。
 自分たちが普段作っているダンス作品の照明と似たような構成、始まり方を見て、「こういう創作もあるんだ」という発見と、動きや衣裳から伝わる気迫は衝撃的でした。その後の「連獅子」は物語がよく伝わって、面白く観られました。バレエの場合1演目の上演時間が長いのですが、両作品とも30~40分で、ずっと集中して観ることができ、面白かったです。

里次朗(以下、里):日本舞踊には今、「敷居が高い」というイメージがあると思います。でも、もともとは江戸の大衆に愛された歌舞伎が起源。日本舞踊も「大衆に楽しんでもらおう」っていう所が始まりです。だから今、そこに戻したい。日本舞踊家が原点に戻って、まず日本人に観てもらう。われわれ(流派を超えた若手舞踊家グループ)「弧の会」のメンバーも、今回の舞台で解説をされた西川扇与一さんや、「連獅子」ご出演の皆さんも、共通の危機感があります。
 例えば日本舞踊で「玉屋」っていう踊りがあります。いわゆるシャボン玉売りの踊りで、シャボン玉を吹いて子供を集める様子を表現する。つまり日本舞踊はもともと、庶民的なんです。そういう原点に戻し、伝えていかないと、日本舞踊は続きません。みなさんのような若い方々に観ていただくには、なるべく分かりやすい曲を、「実はこんなものだよ」って分かりやすく解説し、観ていただかなくてはならない。ですから今回の公演は、とてもいい機会だと思いました。続けてほしいと思います。

公演を振り返る~日本舞踊×ダンス 解説「おどるカラダ」

〈冒頭の解説「おどるカラダ」には、男性だけのダンスカンパニー「コンドルズ」のメンバー、近藤良平と石渕聡が、トレードマークの学ラン姿で登場。観客に近い立場で、中堅実力派の西川扇与一から、扇を使った「波」や「海」の表現や、名曲「七福神」「松の緑」の歌詞などを解説。日本舞踊独特の表現を鮮やかに見せた〉


解説「おどるカラダ」

宮:扇与一さんが、失礼ながら「気さくで面白いおじさんだな」と(笑)。最初、会場もキリっとした空気で、観客も着物の方が多く、緊張していたのですが、コンドルズのお2人と扇与一さんの解説は、「おじさんたちが好きにしゃべっている」っていう印象で(笑)、自然と親しみが湧いて本当に入りやすかったです。

里:普段、舞踊家が話す機会ってなかなかないのですが、「弧の会」の公演でも、最初のトークを楽しみにされているお客様が多いです。実は好きなんです、しゃべるのが(笑)。 われわれの「弧の会」公演も、色々な地方でやりますが、必ず最初にしゃべります。「ちょっと、あなたたち漫才師ですか?」みたいにフランクに(笑)。まずはお客様との接点を作って、壁を壊した後でビシっと踊ると、そのギャップにご興味を持って下さる方が出てくる。
 そういう意味で今回、最初に出られた扇与一さん、私もお世話になっている大先輩ですが、普段もあのままの気さくな方なので、今公演の解説役には適任でした。国立劇場主催公演ながら、少しくだけて面白く、「あ、こんなにフランクな感じで観ていいんだな」という空気を作られて、事実、そういう公演になったと思います。

藤:扇与一さんの解説で、日本舞踊の動き一つ一つに意味があることが分かりました。また、動き一つによって空気がガラッと変わり、今まで伝承されてきた動きの重みを実感しました。扇を揺らして「波」を表す表現は、コンテンポラリーダンスにも通じるものがあり、私たちも同じような動きで波を表現する時があります。でも、ちょっとした首の動かし方や、足の重心の使い方などは新鮮で、結果として表れる動きは全然違いました。


宮 悠介

宮:僕も親近感を持ちました。自分も踊りを創作する時、どう表現しようか、どう伝えようかと考えますが、日本舞踊の方々も、そういった探求から今の表現にたどり着いて、それが伝統になっているのをすごく感じました。日本舞踊とコンテンポラリーダンスでは、身体表現の技法は異なりますが、表現しようとする姿勢は、実は一緒だと最初の解説で教えて頂いた。だからこそ、その後の2演目も「そうか!」と合点がいき、どんどん入り込んで観ることができて、まったく別物ではないと感じました。

〈コンドルズの近藤も、長唄「越後獅子」をコンテンポラリーダンスで踊るとどうなるか? という斬新なダンスを披露。逆に洋楽に合わせ扇与一が踊る場面もあった〉


近藤良平

里:今はやりの音楽、流行歌、洋楽で創作舞踊を踊ることって、意外と日本舞踊ではあるんです。逆に洋舞のダンサーが三味線音楽で踊る事は、ほぼないと思います。ですから洋楽で扇与一さんが踊られたのは、変な感じはしませんでしたが、「越後獅子」の曲に合わせコンテンポラリーダンスの方が踊るのは衝撃的でした(笑)。
 ただ結局、音楽に合わせて体を動かす、という行為は変わらない。違和感はありましたけれど、これも我々が最初に洋楽で踊った時の違和感と同じだと思います。ですからぜひ、洋舞の方も、邦楽に合わせて踊っていただきたい。すると「こっちも負けてられない」という気が出てくる気がしましたね。


西川扇与一

宮:洋楽で日本舞踊の方が踊るのを初めて観て、まず感じたのは余裕です。堂々とした印象で、腰を落として、重心をしっかり持たれている姿が、洋舞をずっと観てきた身としてはすごく新鮮で、「いいなあ」って思いました。一方、近藤さんの踊りは所々で重心を外して跳んだり、少年らしい印象で、それが面白かった。双方の体の動かし方の違いに、「楽しいなあ」って率直に思いました。
 近藤さんは動いて音楽を取ることをされるんですけど、日本舞踊の扇与一さんは逆に動かないことで、偉大さや悠然と「そこにある」感じが見て取れて、日本舞踊の余裕や品格を感じました。

藤:「越後獅子」の音楽は、ためる所や止まる所が、私たちに馴染みのある音楽よりハッキリしていて、そこに対する近藤さんの身体反応が本当に圧巻でした。即興だったと思いますが、それを感じ取っていることがわかりました。私たちが普段踊る時、音楽がBGM的になってしまうことがあるのですが、その場で聞いた曲の間をつかみ取る力が、身体に宿っていました。
 扇与一さんの踊りも、音楽を感じて止まったり、間を見せられるのが日本舞踊の美しさなのかな、と思いました。お2人とも、普段と違う音楽でもすぐ踊れる舞踊家で、音楽に対する体の反応の凄さに、衝撃を受けました。


藤井 陽

里:でも扇与一さんがやっているのは、やはり日本舞踊なんです。ピルエット(バレエの回転)で回ることもないし、できないし、技術として日本舞踊の中で収める。でも洋楽やJ-POPって普段、耳に入るじゃないですか? だから我々も聞き慣れているんです。それに、頭の中にある旋律を「こんな感じかな」って、日本舞踊に乗せることはしょっちゅう。逆に洋舞の方が、三味線を聞く機会はほぼないと思うんです。和楽器の音楽を聞く機会があれば、洋舞の方も踊ってみようかなって思うかもしれない。そんな機会をどんどん増やせたらなって思いますね。
 日本舞踊は静と動の狭間で、動かずに「踊り」を見せる要素があるんです。よく先生や先輩方が、「動かないで踊れたらいいね」とおっしゃる。それは内面からにじみ出るものが伝わればいい、という意味です。でも動かない踊りって結構大変で、ある意味、動く方が楽です。でも、そこを目標としてやっている部分もあって、その辺りが「ダンス」や「洋舞」と言われるものと、「日本舞踊」との違いではなでしょうか。お互いに良い所があり、それらがくっついて、色々なものができると面白いと思うんですよね。


解説の最後には花道の引っ込みも

公演を振り返る~創作「御柱祭」(弧の会)

〈解説に続き上演されたのが、長野県諏訪市の諏訪大社に伝わる「御柱祭」に取材した創作舞踊「御柱祭」。流派を超え結集した、男性日本舞踊家集団「弧の会」による構成・振付・出演で、黒紋付き袴姿の舞踊家らが、力強い群舞やフォーメーションの変化で、里で行われる「花笠踊り」や、祭りのクライマックスである大木の「木落し」を見せる。平成12年の初演以来、全国で再演を繰り返す人気作だ〉

宮:まだまだ日本舞踊の鑑賞経験が少ないのですが、今まで持っていた静かな日本舞踊の印象と違って、高揚感や押し寄せる躍動感がありました。男性がこんなに並んで踊る群舞もすごく新鮮で、「こういうのも、日本舞踊でアリなんだ」って。あとはテーマとなる御柱祭の映像も観たことがありますが、祭自体にすごく熱気があって、それを日本舞踊で表現すると「こうなるのか!」っていうのが、すごく納得感があったというか、腑に落ちて感動しました。あっという間に見終えてしまった。

藤:フォーメーションがどんどん変わって、空間が動き続けるのが、私が持つ日本舞踊のイメージとは違っていたので、本当に面白かったです。初め、舞踊家さんが円になって立っている所から、もう「違う!」という感じで、こんなに躍動感のある作品もあるんだ、と衝撃的でした。

里:これまで恐らく70回くらい、上演している作品ではないでしょうか。若手舞踊家が集まって、「何か作ろう」って力を入れたのが、この「御柱祭」です。みんなで集まって色々考え、やはり目玉になるのは「木落し」だから、最後に持っていった。でもあれは、本来のお祭りでは途中の過程です。柱となる大木を下ろし、運んで、立てる、っていう流れです。 まず「御柱祭」っていう全体のストーリーを作って、それをパートに分け、各々が担当部分の振付を作って、それを組み合わせました。それをお互い見て、「こうした方がいい」などと意見を出し合う作り方です。だからこれは本当に「全員で作った」作品です。各場面、全然違う。「弧の会」としては、せっかく、わがままな12人が集まっているんだから(笑)、見たことのない作品を作ろう」と12通りの振りをグッと集めた。
 本当は、一人が作品全体を振り付けるほうが余程、楽です。ですから「御柱祭」の振付には、時間がかかりました。だけどそこをやらないと、「弧の会」というチームを結成し、集まった意味がない。個性が強い人たちが集まっているのに、その人たちをただの「ダンサー」だけではなく、「作り手」にもしたい。その結果、この「御柱祭」ができた。そこは、それまでの日本舞踊界ができなかった所です。我々の自信作であり、やった甲斐があった。
 そもそも「弧の会」結成当時、流派の違う舞踊家が集結する事自体、珍しかった。われわれの親世代(の舞踊家)がやりたかったことを、私たちにやらせてくれた感じです。だから単に踊るのではなく、「ちょっと崩してやってみようよ」っていうメンバーが集まった。日本舞踊の未来を考えたら、流派云々を言っている場合ではないです。日本舞踊の将来のためにも、そういう所を砕いていかないと。

藤:実は日本舞踊に対して、そのようなイメージを持っていました。

里:そうだと思います。ちょっと(一般の人には)壁がある。だからこそ「弧の会」が20年続いた今、「やって良かったな」ってやっと思えます。でも「御柱祭」を最初にやった時は、「何だ、これ?」っていう人もいたと思う。日本舞踊界の人たちは「あんなこと、やっていいの?」っていう感じでした。逆に最初は、一般の人や洋舞の人たちが賛同してくれたんです。「御柱祭」初演は東京・天王洲のアートスフィアでしたが、普段は洋舞や日本舞踊など多様なジャンルの公演が行われる会場です。お客さんも色々な人がいらっしゃることもあって、最初からスタンディングオベーションだった!
 そんなの初めてで、「これはいける」「日本舞踊じゃない所でできそうだ」って確信しました。その後、ついに(伝統芸能の殿堂である)国立劇場で上演した際も、拍手が鳴りやまなくて、もう1回幕を開け、挨拶したんです。カーテンコールって通常、日本舞踊ではないです。だけど国立の大劇場でそれがあって、観客総立ち…。「この作品は、とにかく大事に続けよう」と決意しました。そういうものがやっと作れたし、作れる時代になった。自信作だと思っています。

宮:実「弧の会」の黒紋付袴の男性舞踊家さんたちも、踊りも、カッコ良かったです。僕はコンドルズに似ていると思いました。コンドルズもメンバーに書道家や音楽家がいて、バラバラな個性の人が集まっていますよね。コンテンポラリーダンスの世界の中でもフランクで、親しみやすい存在です。平均年齢50歳くらいですけれど、「これはダンスなのか、漫才なのか」と思わされます(笑)。壁をぶち壊していらっしゃる。
 コンドルズはしかもお客さんに楽しんでもらった上で、「自分たちが格好いいと思うんだよね」という踊りを最後、バシッと決める素敵な男性カンパニーで、「弧の会」との共通点を感じます。学ランと黒紋付き袴と(笑)。ファンとして、両者にぜひ共演して頂きたいです。

里:(20年前の)初演時はみんな若かった(笑)。私も初演時は25歳で、20年経って同じメンバーでできる。洋舞や体操は、年齢的にも筋肉的にも限界がありますが、日本舞踊はそうではない部分でずっとやり続けられるっていうのがいい所で、特徴でもあると思う。変わらずこうやって20年やれるのは、やっぱりみんながこの作品を大事にしている。気持ちが一つになっている作品でもあります。
  日本舞踊では、あまり激しい動きをやってはいけないとされますが、「やっちゃおうよ!」っていう結果ですね。別に日本舞踊を汚している訳ではなく、「ちょっと跳ねて、転がってもいいでしょ?」って(笑)。当初は稽古場で、「側転したら怒られるかな」「でもいいじゃん、やってみようよ」って。一応、心配もしたのですが、やった結果、怒られなかった(笑)。じゃあ続けましょうって感じですよね。でもわれわれ、普段は側転やらないです。やれる人はやって、みたいな(笑)。
 やっていることは単純です。(舞踊家を1本の大木に見立てて)1列に並んで、入れ替わりで顔を出して、あちこちに飛んで、また戻る。それ位の動きで、本当はいいのかもしれないです、人に何か印象を与えるっていうのは。ちょっと乱暴な動きも取り入れつつ、踊りもきちんと見せた結果、「今まで見たことのないもの」になった。

藤:今のお話しを伺って思ったのですが、お稽古の時、数を「1、2、3」などとカウントを取るんですか?

里:そうですね。一番最後、「木落とし」の所は数ですよね。

藤:へええ。私たちは「5、6、7、8」などとよく数えながら踊っていますが、日本舞踊はどう合わせるんだろうと疑問に思いました。

里:特に最後の所は、多少、太鼓を編集しています。いつもの三味線音楽ではないので、我々からすると聞いた事のないパターンの音楽です。すると大体、洋舞と同じように数で数えるんですよ。三味線ならチントンシャンで、逆に数えられない。

藤:それも日本舞踊では新しいのかな、と思いました。カウントするのが三味線音楽では想像がつかなかったのですが多分、「御柱祭」はカウント的だろうなと思いました。

里:そうですね、どちらかというと。

藤:フォーメーションも、緻密に組まれていました。

里:でも、70回やって「やっと」完成形です。今は見ないで動けますが、以前はぶつかったりしていた(笑)

宮・藤:(笑)

里:「お前、あっちだろ」みたいな(笑)。でもそんな積み重ねがあって、「あ、こうすりゃいい」ってお互い分かってくる。今回も本番の前々日に稽古したくらいです。

宮・藤:えー?!

藤:もう体で覚えていらっしゃる。

里:お蔭様で「弧の会」の代表作になりました。私自身は作品中盤、みんなが後ろに行ってからの2分間位の、振付を担当しました。みんなが2~3分振り付ければ、12人で30分のものを作れちゃう。その後ですよね、修正するのは。
 創作裏話をすると、最初は藤間勘護さんが音楽の編集が上手で、「(佐渡の太鼓集団)『鼓童』の曲でこんなの作ってみたんだけど」って言って持ってきて、その曲をみんなで聞いて、「何が思い浮かぶ?」っていう作り方だったんです。

宮・藤:へええ。

里:最初から「御柱祭」がテーマではなく、メンバーから色々な意見が出て、「出産」っていう声もあった。最後の木落としの曲で「元気な子供が生まれるイメージもあるね」って。最終的に「御柱祭」に決まったのは、たまたま御柱祭をやる長野に稽古場があって、実際にお祭をされている方々から、お話しを伺った事も大きい。御柱祭がある1年前からは、冠婚葬祭はせず、すべて御柱祭にお金を使うとか、木に跨って亡くなる事故もあるなど、様々なストーリーがある。それを踊りにしたら面白いんじゃないか、と。取材して作った作品は心に残ります、とても。普段、決していい加減に踊っている訳ではないですけども、本当にリアルにストーリーがあるものって、その都度、真剣に踊らなければいけない。
 創作には2、3か月かかったでしょうか。普段、それぞれ仕事をしているし、当時はみんな若かったので、夜10時に集まって午前2時までやって「帰ろうか」みたいな感じで、1分しか振付完成しなかったりとか(笑)

宮・藤:今、われわれの創作も同じ過ぎて・・・(笑)

里:できちゃう時って、ポンっとできちゃう。できない時って本当に・・・。

藤:(実感を込め)何のために集まったんだろうって。

宮:(同)今日、全然ダメだ、みたいな。

里:そうそうそう。同じだと思います、そこら辺は。

藤:同じ作品を20年も続けられるということに非常に憧れます。今、自分達も1年かけて創作をしましたけれど、果たしてそれを何十年も踊れるのか。踊り続ける事の価値を感じました。どんどん生めばいいというものではないですし。

宮:逆に踊り続けられる作品を作りたいって思います。20年後も、今と同じ作品を踊れていたら万々歳だなって。踊りを創作する姿勢にとっても親近感が湧きました。みんなで集まって音楽を聴いて「どんな情景が浮かぶ?」「どう思う?」って考えたり、その場で思いつくことを寄せ集めて創っていく感じが一緒なんだなって。

里:まったく同じです。

宮:それを何度もブラッシュアップしていく過程に、すごく尊敬とともに、親近感が湧きました。

里:照明もなるべくシンプルに、どこの会場でも踊れるよう、大道具もなしで、照明もどこでもできる作り方です。劇場を限定しない「どこでもできる」作品は、「どなたにも観て頂ける」。場所を選ばない、時間を選ばない、人を選ばないっていうのが、今、大事なのかなって思います。

編集:飯塚友子(産経新聞記者)


※写真撮影時のみマスクを外しました。

※後編はこちら

  

プロフィール

若柳里次朗(日本舞踊家)
東京都出身。父は正派若柳会で副会長を勤めた若柳秀次朗。幼少の頃より手ほどきを受け、平成6年に若柳里次朗の名を許される。キビキビとした躍動感のある踊りに定評があるほか、振付も意欲的に手掛けるなど、活躍の場を広げている。父より継承した一門の会である吉蝶會を主宰し、後進の育成にも努めている。次平成12年には新春舞踊大会(主催=公益社団法人日本舞踊協会)において文部科学大臣奨励賞を受賞。平成20年度、「弧の会」同人として文化庁芸術祭優秀賞受賞。
宮 悠介(筑波大学大学院修士課程・ダンサー)
新潟県出身。高校にて部活動で創作ダンスと出会いのめり込む。ダンスへの熱が冷めず、筑波大学へ入学。同大学ダンス部としてAJDFにて多数受賞。大学ダンス部で活動する傍ら、大学外での活動にも取り組み、これまで中村蓉、柿崎麻莉子、柳本雅寛、藤田善宏、梅田宏明、近藤良平らの振付作品に出演。現在は筑波大学大学院に所属し、舞踊公演で使用される音楽の著作権に関する研究を行う。これからもダンスとの長い旅を続けていくために、自己鍛錬、創作・発表活動に邁進中。
藤井 陽(筑波大学大学院修士課程・ダンサー)
栃木県出身。4歳からクラシックバレエを始める。高校で創作ダンスに出会い、筑波大学に入学。同大学ダンス部として、AJDFやアーティスティック・ムーブメント・イン・トヤマにて多数受賞。現在は、筑波大学大学院にて舞踊研究室に所属し、舞踊教育をはじめとした研究を行う。一方で、つくば市のダンススタジオにて講師を務めるほか、自身が振付を手がける作品の創作や、ダンサーオーディションを受けるなど、奮闘中。