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【11月舞踊公演「舞の会」】出演者メッセージその1 山村友五郎
山村流は文化文政期の名優・三世中村歌右衛門の振付師としても活躍した、初世山村友五郎を流祖としています。その舞は谷崎潤一郎の「細雪」にも登場するなど、大阪を代表する芸能の一つです。
当代山村友五郎は、平成26(2014)年、流祖の名を三代目として約120年ぶりに復活・襲名しました。

山村友五郎(撮影:篠山紀信)
—「舞の会」にはいつ頃からいらしていましたか?
山村友五郎(以下、友五郎):初めて来たのは、パンダが来日した年だったかと思います(笑)。とすると昭和47年ですか? 8歳ですね。祖母(四世宗家家元山村若、1905~1991)が出演する時に、一緒について来る感じでした。
―「舞の会」での四世との思い出はいかがでしょうか?
友五郎:基本的に素で舞っていましたが、なぜか「正月」だけは衣裳付で、拵えをして舞ったんです。それが記憶にあって、今回は妹の(山村)光にと。また、「舞の会」に限った話ではありませんが、後見をよくしていて、舞う姿を背中から見ることができたのは得難い経験でした。
—初めて「舞の会」に出演したのは平成2年でした。
友五郎:(前名の)「山村若」を襲名する前で、妹と「雉子(きぎす)」を舞いました。

平成2(1990)年11月 『舞の会』
「雉子」 山村光、山村武(現=友五郎)
―その初出演は、いかがでしたか?
友五郎:それはもう緊張ですよ。とくに舞台稽古が。言うなれば、左を見れば先代の井上八千代師(井上流四世家元、1905~2004)、右を見れば吉村雄輝師(吉村流四世家元、1923~1998)、客席にも錚々たる先輩方といった感じで、本当に怖かったです。ただ、そういった他流儀のお師匠さん方にもかわいがっていただき、ありがたかったですね。
—これまでの「舞の会」での出演を振り返って、節目と感じたり、印象に残っていたりする舞台はありますか?
友五郎:どれもこれも、全て記憶にありますが……強いて挙げるなら、初めて「舞の会」に出演した「雉子」、初めて1人で舞った「由縁の月」(平成3年11月)、自分で振り付けた「猿蟹昔物語」(平成21年11月)、そして長男(山村若、当時侑)と初めて出させていただいた「たぬき」(平成25年11月)ですかね。

平成25(2013)年11月 『舞の会』
「たぬき」 山村若(現=友五郎)、山村侑(現=若)
—今回は「浪花十二月」ですが、意外にも「舞の会」では初めてですね。
友五郎:実は大阪でもあまり舞っていない演目なんです。コロナ禍で色々と見つめ直す時間が出来た折に、大阪の年中行事や歳時記を調べ直したり、古蹟を訪れてみたりしました。その時、今に伝わる物・既に無くなってる物に触れ、自分が今、大阪に生まれ、育ち、生活している者として、古よりの大坂・今の大阪をご覧いただきたいなという思いを強くしました。そのような気持ちで舞わせていただきます。
—再開場後に手掛けたい演目、新しい劇場への期待などはありますか?
友五郎:御祝儀物、本行物、艶物、作物と色々な作品を舞わせてもらいました。そういった地唄の演目だけではなく、上方唄には短いながらも、また上演の機会に恵まれないながらも、良い曲がたくさんあります。舞台にかけることで伝承のバトンをつなげていけると思いますので、その様な演目を舞わせてもらえればと。
—劇場の思い出として1枚、写真に残すとしたらどこを撮影しますか?
友五郎:楽屋ですかね。珍しいことなのですが、実はこの「舞の会」では流儀ごとに毎年楽屋が同じなんです。吉村流と楳茂都流が並び、井上流と山村流が隣り合わせになる楽屋が、何か落ち着きますね。
―ありがとうございました。
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