国立文楽劇場

開場40周年記念文楽かんげき日誌SPECIAL
劇場とともにあることの喜び

金水 敏

 2024年4月8日に開場40周年記念文楽公演第1部と第2部を、4月15日に第3部を鑑賞しました。十一代目豊竹若太夫襲名披露公演ということで、平日にも関わらず第2部がいつにもまして盛況であり、また昨今の日本観光ブームの影響もあってか、海外からのお客様も何人も見受けられました。

 さて、まず観劇の感想を少々述べます。第1部『絵本太功記』の「尼ヶ崎の段」では、前が松尾芸能賞優秀賞を取られた豊竹呂勢太夫さんと、三味線は鶴澤清治さん、切が竹本千歳太夫さんと豊澤富助さんでしたが、千歳太夫さんが病気休演のため、急遽豊竹靖太夫さんが代役でした。靖太夫さんは力一杯勤められて、心に響くものがありました。一般に武智光秀は謀反人として悪役と見なされているわけですが、「二条城配膳の段」、「千本通光秀館の段」と見ていくと、光秀の行動にも自然に共感できるように作られていることがよく分かりました。切場では吉田玉男さんが使う光秀が颯爽と松の木に登っていくシーンに力強さが溢れていて、爽快でした。
 第2部では「豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露口上」があり、呂勢太夫さんの進行のもと、竹本錣太夫さん、竹澤團七さん、桐竹勘十郎さんによる心温まるご挨拶があり、大名跡復活の喜びが場内に広がりました。続く『和田合戦女舞鶴』では、「市若初陣の段」の切を新生・十一代目豊竹若大夫さんが語りました。この演目は、初演で豊竹越前少掾(初代若太夫)が語ったとされており、また先代若太夫が昭和25年、襲名披露の折に語った演目とのことで、新・若太夫さんも相当の覚悟を持って臨まれたことでしょう。筋立てに対して否定的な評価もあり、難しい演目と言われていますが、若太夫さんの思いのこもった語りと鶴澤清介さんのきびきびとした三味線によって、板額、市若丸、浅利与市、政子尼公ら登場人物の心情をしっかり感じ取ることができ、板額のクドキ「与市殿と我が仲の、ほんのほんのほんのほんのほんの、本ぼんの子ぢやわいなう」のところでぐっとせき上げるものがありました。
 『釣女』は、狂言『釣針』に題材を取った歌舞伎舞踊『戎詣恋釣針』を文楽にうつしたもので、妻が欲しい大名が西宮神社参詣を思い立ち、神のお告げで授かった釣り竿を海に垂らすと、絶世の美女が釣り上がるというお伽噺のようなお話です。今の世の中では、女性を物扱いしているとか、見た目ばかりを評価するルッキズムにとらわれているとかいろいろ批判が出そうですが、素朴な昔話としてゆったりとした気持ちで鑑賞すればよいのでしょう。豊竹芳穂太夫さん、竹本小住太夫さん、竹本聖太夫さん、竹本南都太夫さん、野澤錦糸さん、鶴澤清馗さん、鶴澤友之助さん、鶴澤燕二郎さんの共演で、賑やかに進められました。吉田玉也さんが遣う太郎冠者の滑稽な仕草が楽しく、『和田合戦女舞鶴』の凄惨な雰囲気を中和して、襲名披露に花を添えるようでした。
 第3部『増補大江山』「戻り橋の段」では、竹本織太夫さん、豊竹靖太夫さん、豊竹咲寿太夫さん、豊竹薫太夫さん、三味線では鶴澤燕三さん、竹澤團吾さん、鶴澤清丈さん、野澤錦吾さん、鶴澤清方さんの協演による晴れやかな舞台で、特に錦吾さん、清方さんの演奏する「八雲」という二弦琴の音色を珍しく聞くことができました。大詰めでは、吉田玉助さんの遣う渡辺綱、吉田一輔さんの遣う若菜(実は悪鬼)が舞台を立体的に遣って対決シーンを演じ、その大がかりな装置に目を惹かれました。悪鬼が、歌舞伎『連獅子』で見るような「毛振り」を見せていたのも印象的でした。
 ここに直接述べなかった演目も、とても充実していて、心から楽しむことができました。いつもながら、満ち足りた時間を過ごせました。

 さて、国立文楽劇場開場40周年記念ということで、改めてこの劇場について触れてみたいと思います。私は学生時代に一度だけ、朝日座で文楽公演を拝見しました。朝日座も悪くなかったですが、新しい国立文楽劇場は文楽を上演する劇場としてよく考えられていますし、資料展示室で毎回テーマ展示があるのも魅力的です。40年という年を重ねて、観客のみなさんにしっかり定着してきたたことを喜びたいと思います。劇場の周辺の環境という点では若干留保の余地はあるかもしれませんが(笑)、よく考えればこれも大阪らしさであり、庶民の芸能としての文楽には、ある意味ふさわしい土地柄かな、とも思っています。これからも長く劇場が存続し、発展していくことを願ってやみません。
 なお、私事ですが、私は西宮市に在住していますので、文楽劇場へは阪神西宮駅から尼崎を経由し、阪神なんば線を使って日本橋まで来ています。たまたまですが、今回の『絵本太功記』の舞台が尼崎(尼ヶ崎)であり、『釣女』の舞台が西宮神社でした。こういうことがあると、関西に住んで国立文楽劇場に通うということにこの上ない喜びを感じるのです。現実の地域に、文楽の演劇世界が重ねられて、楽しい気持ちになります。そんな土地柄に国立文楽劇場があることを、関西人として、また日本に住むものとして誇りに思います(ちなみに、直接関係はありませんが、西宮のすぐそばに宝塚大劇場があることも、また電車1本で大阪天満宮の天満天神繁昌亭に行けることも、とても誇らしく思っております)。
 地域の住民が劇場を育て、また劇場が地域を育てる。そんな幸福な関係が、ますます発展すればいいなと思います。もちろん、これからずっと、日本国中、世界中から国立文楽劇場にたくさんのお客様が集まってくださるよう、心より祈念いたします。

■金水 敏(きんすい さとし)
放送大学大阪学習センター所長、大阪大学・大学院文学研究科名誉教授、日本学士院会員。1956年、大阪生まれ、兵庫県在住。専門は日本語史および「役割語」研究。著者に『日本語存在表現の歴史』(ひつじ書房、2004。新村出賞受賞)、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店、2003)、『〈役割語〉小辞典』他。

(2024年4月8日第1部『絵本太功記』、第2部『団子売』『襲名披露口上』『和田合戦女舞鶴』『釣女』、15日第3部『御所桜堀川夜討』『増補大江山』観劇)