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国立文楽劇場

開場40周年記念文楽かんげき日誌SPECIAL
文楽の襲名―国立文楽劇場開場40周年に寄せて―

森田 美芽 

国立文楽劇場は、桜に彩られた華やかな春を迎えた。1984年の開場から40年、幾多の名舞台の歴史を重ね、2024(令和6)年度の春は、豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露狂言、それも国立劇場としては35年ぶりとなる『和田合戦女舞鶴』「市若初陣の段」の上演である。胸のワクワクを抑えきれない。

第1部は名作『絵本太功記』。「二条城配膳の段」「千本通光秀館の段」が付くので、光秀がなぜ謀反を起こしたかの伏線が丁寧に示され、光秀の苦悩だけでなく、妻操、母さつき、息子十次郎や嫁の初菊、それぞれの葛藤がさらに理解しやすくなる。「夕顔棚の段」は竹本三輪太夫と竹澤團七のコンビで、人物を説明するだけでなく、ここまでの感情の絡まりが的確に示される。さすがベテラン、と感心していると、「尼ヶ崎の段」では前が豊竹呂勢太夫、鶴澤清治、切が竹本千歳太夫、豊澤富助と、いまが充実の切場の醍醐味を聞かせていただく。呂勢太夫は十次郎の廉潔さと初菊のいじらしさが本当に伝わってくるし、千歳太夫は光秀の大きさと、妻や母にも理解されない男の孤独をはらりと滲ませ、富助のタタキの迫力に息を呑む。吉田玉男の光秀は孤独の影を背負う男の背中、それでいて息子と嫁には弱いところが、なんて魅力的なんだろう。でも今回、私のツボは、吉田玉佳の久吉の一癖ありそうな僧侶姿と、さつきを遣った桐竹勘壽の、武家の母らしい筋の通った厳しさ。

第2部は襲名の前後に景事が入る。『団子売』は短いけれど、すっきり仕立てた極上の味わい。豊竹藤太夫と鶴澤清志郎とも、若手を率いてやりすぎず、でもその味わいはきっちり聞かせる余裕の芸域。

そして『豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露 口上』は、豊竹座の紋が背後に描かれ、いつもと違う雰囲気。初代は劇場主・興行主と出演者代表を兼ねた大名跡。しかも、祖父が先代で人間国宝となったわけだから、芸系の重みと文楽の歴史の重みを背負うような大きな襲名である。列座するのは、舞台上手より同門で切語りの竹本千歳太夫、人形部の桐竹勘十郎、三味線部の竹澤團七、若太夫本人、切語りの竹本錣太夫、同門の竹本三輪太夫、進行役の豊竹呂勢太夫、後列には弟子の豊竹薫太夫、豊竹亘太夫、豊竹希太夫、豊竹芳穂太夫、竹本小住太夫が並ぶ。祖父の思い出、若い日から共に歩んできた同輩の祝福、そして共通するのは、新若太夫への期待。

襲名披露狂言は『和田合戦女舞鶴』「市若初陣の段」。素浄瑠璃では聞いたことがあるが、私も文楽の舞台では初めて。だがこれは、初代若太夫のゆかりの作品で、祖父十代若太夫も襲名披露で語った作品であり、この襲名に賭ける新若太夫の思いがうかがえる。しかしこの作品、一緒に見た友人誰に聞いても「なんで市若丸が死ななければならないかわからない」「可哀そう」「誰が悪いの?尼公?」と、なかなか理解するのが難しい物語のようだ。確かにこの場面では、和田と北条が頼朝の娘斎姫を争って、裏で藤沢入道がその争いを利用しようとしているという、肝心の悪の本体が出てこない。そして市若丸が自害するように仕向けるのも、当時としては斎姫殺し、つまり主殺しの犯人の荏柄平太の息子だから公暁丸も殺されなければならないからなのだが、そうした事情が現代人には納得しにくいせいもある。だが、荏柄平太の息子が実は前将軍の子であり、尼公に何としても命を助けてほしいと頼まれれば、板額には逆らいようがない。離縁された夫の浅利与市が、市若丸を公暁丸(実は善哉丸)の身代わりにして殺せ、という謎をかけて、兜の忍びの緒を切って妻板額のもとに市若丸を遣わしたと知り、母として苦悩しながらも「涙を忠義に思ひかへ」て、市若丸に自ら腹を切らせように仕向ける。ここが、単に息子の命を惜しむという現代の感覚や母性愛と全く違う。彼女は忠義のためには何としても尼公の孫のであり前将軍の子である公暁丸の命を助けるために、我が子の命を差し出さなければならない。だが自ら手を下すに忍びない。そうした板額にできることは、武家の論理と母としての思いの葛藤から、市若丸を謀反人の子と思いこませることだった。周囲が聞き耳を立て、何が起こるかを注視している中での、板額の一人芝居。板額の声だけが響く中、市若丸は自ら腹を切る。まだ幼さが残る少年でありながら、武士としての名誉を守るために。そして死に際、板額は市若丸を抱えて、「何の荏柄の子であらうぞ。与市殿と我が仲の、ほんの、ほんの、ほんの、ほんの、本ぼんの子ぢやわいなう」と叫ぶ。そこに大勢の観客から自然に拍手が起こる。舞台と客席が一体となる喜び。豊竹若太夫、鶴澤清介、桐竹勘十郎、それぞれの芸が切り結ぶようであった。その余韻でしばらく、客席を立てなかった。その後の『釣女』でほっとして笑いのうちに終えることができた。今回はずいぶんと醜女が活躍して、これなら太郎冠者にお似合いなのにと思ったくらいである。

第3部は『御所桜堀川夜討』「弁慶上使の段」。切語りの竹本錣太夫と竹澤宗助が中心となって、弁慶の豪快さやおわさの女のしゃべりなど、語りの楽しさを満喫させてくれる。さらに打ち出しに『増補大江山』「戻り橋の段」は、渡辺綱と悪鬼の対決で、竹本織太夫、鶴澤燕三らが熱演し息もつかせぬ迫力。外国人のお客様も多く、満足して帰られたようで何よりと思った。

久しぶりの襲名披露は、いろいろなことを思わせる。思えばいくつもの襲名を見てきた。九代目竹本源太夫、二代目鶴澤藤蔵の、いずれも家に伝わる名を親子で襲名したケース(2011年4月)や、三世桐竹勘十郎のように、名人であった父の名を期待されて受け継いだケース(2003年4月)など、「家」を強く意識させる襲名があった。舞台で口上が述べられ、本人は語らず、周囲がそれを代弁しサポートする、という文楽スタイルの口上の良さを感じさせるものであった。

その一方で、三味線の五世野澤錦糸(1998年4月)や六世鶴澤燕三(2006年4月)のように、国立劇場の研修生から努力で見事な芸の成果を挙げ、師匠の名を継ぐに至った者たちもいる。これらの場合、本舞台ではなく床の上で、先輩格の太夫が挨拶を述べる形でなされた襲名である。

いずれも文楽の襲名は、親子という血縁関係よりも、芸系を継ぐという意味合いが強い。そしてその芸系を繋ぐために、敢えて自分自身は父の名を継がず、弟子の豊竹咲甫太夫に竹本織太夫を名乗らせた豊竹咲太夫や、自分の先輩方の名を弟子に継がせるべく、吉田簑太郎を三世桐竹勘十郎に、吉田清之助を五世豊松清十郎にと育てていった吉田簑助らの潔さ、文楽の技芸に対する畏敬を、忘れてはならないと思う。文楽において継ぐべきは、家そのものではなく、芸そのものなのだ。

襲名は技芸員の方々が、その芸の歴史の重みを担って、それを現在に見出させ、未来へと繋いでいく営みである。現代のわれわれは、どうしても文楽という技芸にいくらかの距離や違和感を見出してしまうが、技芸員の方々は、令和を生きる同時代人としての感覚を持って、この幾重にも隔てられた時代の人々の悲劇を、その本質を描くために、その懸隔を埋めるために、自らに問いつつその技芸を磨き、観客にその成果を示してくれるのである。観客はその瞬間に立ち会い、たとえば今回の「市若初陣」では見失われていた物語の本質を見出すのである。

芸は生きている。そして一人ひとりがその個性をもって作り上げていく。その本質を襲名という形で、明日に繋げていく。それを40年間守り続けてきた国立文楽劇場の使命を、これからも果たすことができるようにと、それを50年の節目への期待としてエールを送りたい。

■森田 美芽(もりた みめ)
大阪キリスト教短期大学元学長。専門は哲学・倫理学。キリスト教と女性と文楽をテーマに執筆を続ける、自称「大阪のおばちゃん哲学者」。

(2024年4月6日第1部『絵本太功記』、第2部『団子売』『豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露 口上』『和田合戦女舞鶴』『釣女』、15日第3部『御所桜堀川夜討』『増補大江山』観劇)