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シリーズ企画

いとうせいこうが聞く“文楽鑑賞の極意! ”   国立劇場9月文楽公演 「寿式三番叟」

いとうせいこう(以下いとう)
今月は『寿式三番叟』から始まるんですね。いわゆる能の重要な演目。「三番叟」自体が古典芸能の根幹といってもいいと思うんですが。
文楽マニア(以下マニア)
そうです。能の『翁』は、天下泰平・国土安穏・五穀豊穣・子孫繁栄を寿(ことほ)ぐものですが、それを文楽に移したのが『寿式三番叟』です。「寿ぐ」は「言祝ぐ」とも書きますが、言葉で祝福することで、義太夫節の詞章の中にもおめでたい言葉がたくさん出てきます。
いとう
翁信仰の古式がちらちらと垣間見えますが、まずは面。何かの力を憑依させるがごとくかぶりますね。
マニア
『寿式三番叟』でも、能を踏襲し、孔明の首(かしら)の人物が舞台上で神が宿る翁面をつけます。日本の神は翁の姿をして人々の前に現れたという霊験譚が古来より多く見られますが、翁は神がこの世に現れる時の仮の姿なのです。
いとう
能が文化の古層に持っている日本独自の信仰ですね。
マニア
また、京都の夏を彩る祇園祭の船鉾の御神体である神功皇后の人形は、女性の人形の顔に女神の面をつけて、初めて神功皇后となるというように、人形に面をつけて神とするという風習があり、文楽の翁もこの影響を受けているのかもしれません。
いとう
そこには文楽がなぜ人形を使うか、という根本的な問題がひそんでいそうです。祭りのダシの先頭につける人形、例えば嘉吉祭の青農などのことも、神のためのアンテナと考えたくなります。
マニア
なるほど。そのアンテナですが、翁は舞の途中で頭上に袖をかざします。これは一説に、神が影向(ようごう:神が降臨すること)する笠松の形を作り、遠くから来るものを迎える所作なのだと言われています。遠くから来るものとはもちろん神のことでしょう。ちなみに、『寿式三番叟』の舞台には、能舞台の背景にある雄大な老松が描かれていますが、この老松もまた神が影向する笠松が描かれています。
いとう
依り代ということでしょうか。古典芸能は神仏への深い思いと切っても切れなかったという事実が、今回の演目でよくわかります。
マニア
そして、翁は神を招き、義太夫節の詞章にも「天下泰平国土安穏の、今日の御祈祷なり」とあるように、天下泰平・国土安穏の祈念の舞を舞うのです。
いとう
「天下泰平・国土安穏」はまさに、私たちの今の思いです。
マニア
ええ。翁の重厚な舞の後に、一転して二人の三番叟が面白可笑しく舞います。大地をしっかりと踏みしめるような三番叟の足の踏み方は日本の芸能に見られる「反閇(へんばい)」と言うもので、大地に潜む悪霊を払っているのです。
いとう
僕は「笑い」が魔を祓うということを強調しておきたいですね。日本の古典芸能に「表」は荘厳、「裏」は爆笑というカタチがある。笑いは魔力なのです。
マニア
はい。それから三番叟が千歳から渡された鈴を持って舞う鈴の段では、種を撒く所作をしますが、これは田植えの前に農作業と同じ動作を模することで豊穣を願うという民間に伝わる予祝儀礼というもので、ここでは義太夫節の詞章も五穀豊穣や子孫繁栄を思わせる言葉が連ねられています。
いとう
だからおめでたいし、おめでたくしてくれるという願いがありますね。
マニア
能の『翁』や『寿式三番叟』が正月に舞われることが多いのは、予祝儀礼として、今年一年の豊穣を祈るためなのでしょう。今回の公演では、国立劇場開場45周年を寿ぐとともに、この度の東日本大震災で被災された地域の復興を祈念して上演されます。そのため、前例はないのですが演目に「天下泰平・国土安穏」という角書(演目名の上にキャッチコピーのように内容を示すために書かれた二行の文字。角のように見えることから角書という)を特別に付けています。
いとう
芸能の本来の機能が、今問われているとも思います。
マニア
また、翁を竹本住大夫が語り、人形を吉田簑助が遣うのが話題となっていますよ。
いとう
大事な演目ですから、大御所のご出演うれしいですね。

公演情報詳細