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人形遣い 吉田和生さんを迎えて、「あぜくらの集い」を開催しました。

5月15日、人形遣いの吉田和生さんをお迎えして、あぜくら会員限定のイベント「あぜくらの集い」が開催されました。国立劇場5月文楽公演にて『碁太平記白石噺(ごたいへいきしらいしばなし)』の傾城宮城野、『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』の乳母お庄を勤めている和生さん。
人形遣いになるきっかけや人形を遣う上で心がけていることなど、イベントの模様をダイジェストでレポートします。

人形遣いになるきっかけは、文雀師匠からの誘い

吉田和生さん

人形遣いになったきっかけは?とよく質問されるのですが、私の場合、幼いときに文楽を観て感動したから、といったことはなく、入門するまで文楽との縁はほとんどなかったですね。
高校卒業後、もともと美術関係が好きだったこともあり、職人の世界に憧れがあったので、実家の愛媛から京都に行き博物館で国宝修理所を見物したり、徳島の文楽人形の首(かしら)作者、大江巳之助さんのところに遊びに行ったりしていました。
あるとき大江さんから、人形遣いが不足しているからやってみたらどうかと勧められ、最初は舞台に立つのは向いていないとお断りしたのですが、大江さんが文雀師匠に私のことを話したようで、一度大阪での芝居を観に来ないかと誘われたのです。

大阪で舞台を観ていますと、2日ほど経って師匠に呼ばれ「どないする?」と聞かれました。人形遣いならセリフもありませんし、面白そうだったので「やります」といいましたら、翌日からはもう黒衣を着て舞台の手伝いです。家族に連絡もしないまま1ヶ月大阪に居続けることになりました。
その後正式に入門し、「和生」の名前をいただきましたが、「かずお」は師匠の本名で、師匠自身もこの名前で舞台に立っています。師匠は「和夫」ですが、新しく生まれる、という意味を込めて「和生」となりました。

修業時代

今は研修制度もあり、一通りの基礎を教えてくれますが、私たちの頃はとにかく舞台を見て覚えました。手取り足取りは教えてくれません。幕の開け閉めをやっていると突然「足持つか?」と言われます。上手くできれば翌日も持てる、だめならまた幕の係に逆戻り、そんな修行でした。
ただ、見て覚え込めばそれでよい、というわけでもありません。「車引」で松王の足を遣ったときですが、師匠に「頭で覚えた足やな」といわれたことがあります。段取りで覚えていたので、毎日微妙に異なる主遣いに合わせた柔軟な動きができていなかったのだと思います。

役の“感情”を伝えるために

人形を遣うときは、感情の込め方が勝負です。女形の首(かしら)は、あえて表情がないように作られていますが、これは首に表情があると、かえって自由に感情を表現することができなくなってしまうからです。全ては人形の動きで泣いたり、笑ったりさせるわけですが、技術的には年数を重ねればある程度は身についても、最後はいかに感情を込めるか、ですね。
私の場合は、人形にぐっと感情を込めるときもあれば、人形を第三者の目で見ているときもあります。感情の込め方にも強弱、メリハリが必要だと思っています。

宮城野について

女形の首を持って語る吉田和生さん

宮城野は今回が初役です。役作りにあたっては、文雀師匠の遣い方を見ながら、ここは師匠と同じにやるのは難しいな、とか、こうやったほうが自分には合うな、とか自分なりに考えながらいろいろと工夫をしています。
師弟で芸風が似るということがありますが、やはり足遣いの頃から師匠についているのでどうしても似てくるものです。けれども指の長さや握力は人それぞれ違うので、全く同じようにできるわけではないし、難しいですね。
宮城野のような大きな役を勤めるチャンスをいただけるのは、歌舞伎の世界にはない文楽ならではのことで、たいへんありがたいことだと思いますね。

参加の方からもたくさんの質問に答えていただき、和やかな楽しい雰囲気に包まれた「集い」となりました。あぜくら会では、今後もこのような会員限定イベントを随時企画していきます。皆様のご参加をお待ちしております。