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国立劇場
いとうせいこうによる 文楽の極意を聞く

鶴澤寛太郎編(その2)

鶴澤寛太郎編(その1)よりつづく

いとうそれで、「どうしようかな」みたいのを抱えたまま、そういう時間は長かったんですか?

寛太郎そうですね、高校3年間はもやっとしたままでした。正直、あんまり稽古をしてないですね。

いとううーん、そうなんだ。

寛太郎なんか、事故が起こらなければいいや、みたいな。で、高校を卒業するということになって、「やっと勉強がなくなんねんから、文楽入ろう」っていうことで。まあ、そのまま契約が切り替わっただけですけど。

いとううんうん。他に「これ」っていうのはなかった?

寛太郎そうですね。意外と高校3年間でも、圧倒的にこれがやりたい、しかも、ある程度先まで見えている、っていうことはなかったですね。やっぱり、楽器とか音楽が好きでしたし。

いとうあ、そうなんですね。

寛太郎はい。

いとう他の分野の音楽も聴いてました?

寛太郎そうですね。中学生の時は、ブームだったゆずやコブクロのカバーを友達としたりもしました。

いとうそうなんだ。

寛太郎文化祭で歌ったりだとか。

いとうギターも?

寛太郎ギターは祖父に怒られるんで弾きませんでした。

いとう同じ弦楽器だけど、やめろって言われちゃう。

学生時代の音楽活動を語るかんたろう

寛太郎特にアコギ(アコースティックギター)は、ジャカジャカ鳴らしちゃうんで、やめろって言われましたね。

いとうえーと、弾き方が駄目になっちゃうってことですか?

寛太郎そうですね、なんて言うんでしょうね……三味線って基本的に単音じゃないですか。

いとううん。

寛太郎弦を2本、3本同時に弾くっていうのは、多用されない弾き方で、単音で弾くわけですけど。そうすると、アコギの弾き方に染まっちゃうと、特に三の糸を弾くときに、上からテーン、テーン、テーンとこういう、軽い弾き方になるから、その癖が付いたらもう取れないよって言われて。

いとうああー、そうなんだ。

寛太郎今思うと、きっちり分離して使い分けられる人なら全く問題ない気もしますけど、でも、そこは言われてよかったなと、守って良かったと思います。撥遣いについて祖父からうるさく言われた意味は今なら分かるので。

いとううるさく言われたっていうのは、その他にどういうことがありました?

寛太郎やっぱり基本となる弾き方があり、さらに基本的な撥の遣い方のバリエーションっていうのがあります。

いとううんうん。

寛太郎例えば、小さく弾くとしても単純に音量が小さくなればOKとかっていうことじゃなくて、演奏方法の理論があって、さらにそれがシーンによって、あるいは手数によって、メロディーによって変化していく……っていうことの積み重ねで1曲になるわけです。そこがいい加減というか解像度が低いと、僕らの仕事の根本である表現に支障が出ます。

いとうつまり、どういう場面なのか、どういう心境なのか、どういうキャラクターなのか、とかっていうこと?

寛太郎そうですね。それに合わせてどう弾くんだっていう引き出しが、あればあるほどいいわけで。

いとううんうん。

寛太郎撥遣いをおろそかにするということは、その引き出しが存在しないっていうことなんで、全く話にならないんですよ。

いとう一番やっぱり撥が大事なんですか? 左手で押さえることももちろん大事に決まってるんだけど。

寛太郎難しいですね……とにかく、かなり比重の大きいものの1つではあると思います。もちろん手だけで弾くのではなくて、腹で弾くとか腰で弾くとかいう言い方もしますし。

いとうそうなんだ。

寛太郎でも実際は、それは間の取り方だったり、弾くという行為の前の準備だったりとかが大事ってことですね。そんなことも含めて、準備の集積が右手にあって、一撥になるってことかなと。

いとううわあ。

寛太郎あとは、今の僕が勤めるような役だったら全然問題ないですけど、切場なんかだと手数が多いので、撥遣いが悪いと瞬く間に弦が傷むんですよ。

いとうあ、そうか。

寛太郎すごく傷むんです。なので、糸を繰るのは構わないですけど、弦を切ってしまって演奏停止になる、太夫に素語りさせるって言うのはもう絶対アウトなんで。

いとううん。

演奏法や三味線弾きの心がけなどの話題に聞き入るいとうせいこう

寛太郎今はあまり言わないですけど、昔は切腹なんて言われて。皮は破れてもいい、弦は繰ってもいい、だけど弦を切って演奏停止だけはなしっていう、なんて言うんでしょうね、美学みたいなのがあります。なので、そこに陥らないようにしないといけないということなんです。

いとうでも力は入ってなきゃいけない。

寛太郎そうなんですよね。切ることを恐れて加減すると、今度は演奏自体が小さく小さくなってきますし、表現なんてできなくなるので、手先での力加減はできません。

いとううんうん。

寛太郎ということは、正しい撥遣いの積み上げ以外に手段がないんですよ。

いとううわー。なるほど。

寛太郎撥遣いは演奏の大前提なんで、よほどきっちりやって、なおかつ常に意識していなきゃいけないと。祖父も亡くなり、誰にも指摘されなくなって緩んじゃうとすぐに撥遣いは悪くなっていくんで。

いとうえ、そういうものなんですか。

寛太郎はい。もう本当にずーっと言われ続けましたし、実際自分でも、「あ、そうだな」と思いますし。でも究極的には、撥遣いが悪そうに見えても、いい音が鳴っていたり、表現が素晴らしいのであれば、それはひとつの答えですよね。

いとう「その人流」っていうことですもんね。

寛太郎はい、そうですね。そこは「これが正解」っていう厳密なものはなくて、結果が伴っていれば、それも1つの正解と言っていいと思います。でも、いかにいい音が出ていても、表現が良くても、演奏停止になるっていうことはダメなんです。

いとうそれは3本の弦が全部切れちゃうってこと?

寛太郎三の糸です。一番細い弦で、しかも一番よく弾くんで切れやすいんですね。ただ、切れる前にだいたい三味線をぽんと置いて、

いとうあ、時々見るけど、あれ、切れる前なんだ。

寛太郎前であることがほとんどです。切れる前に弦を繰ってるんですよ。浄瑠璃の詞の間とかに。

いとうそうなんだ。僕、もう切れたから素早くやってんだとか思ってたけど、そんなことなくて、「あ、もうこれは弱くなってる。切れるだろう」って時にやってるんだ。

寛太郎はい。だいたい糸を繰れる箇所って曲の中で決まっているんで。

いとう「もうここでやっておかなきゃダメだ」って。

寛太郎はい。そこで繰ってるんです。でも、その前に切れてしまうこともあって、そうすると舞台を下りてから「すみません、すみません」ですよね。

いとうそういうことだったんだ。寛太郎くんは切れたことない?

寛太郎ほとんどないですね。1回くらいかな。

いとうあ、1回ぐらいなの?

寛太郎コロナ禍に、関西テレビがやってくれた「ザ・グレイト文楽」っていう企画公演があって、その時に『花競四季寿』を僕がシンで、今の師匠(竹澤宗助)がトメ(実力の高い者があえて末席に座ること)でやったことがあって。

いとううんうん。

寛太郎太夫も錣太夫さんとか、織太夫さんに並んでもらって。その最終日の一番最後の最後、合奏だったんで大きな問題にはならなかったんですけど、一番最後で切れてしまって。

いとうああ、覚えてんだ。

寛太郎衝撃でしたね。あんまり、

いとうそれまでそんなことなかったし。

寛太郎はい。

いとう自分も気をつけてやってた。

寛太郎そうですね。なんて言うか、事故みたいなことはなくはなかったですけど、普通に弾いて、傷めて、切ってしまった、っていうのはちょっとショックでしたね。

珍しい経験について思いを語るかんたろう

いとうそういう感じで1回1回の演奏を覚えてるの?

寛太郎全部は覚えてないですけど、珍しい経験をさせてもらった時とか、自分の中でターニングポイントになったような、

いとう「いけた!」みたいな時とか。

寛太郎はい。そこで自分のパフォーマンスに満足するってことはないんですけど、この時に思っていたことがそのあと生きたなとか、ここで自分の中の意識が変わったな、っていうのはいくつかありますね。

いとうやっぱり。

寛太郎それはもちろんポジティブな経験ばっかりじゃなくて、ショックだったとか、何にもできなかった、とかもたくさんあるんですけど、結構覚えてますね。

いとうああ、そうなんだね。それは、流れを、言ってみれば1撥1撥、ほら、将棋の人が……。

寛太郎あ、棋譜ですね。

いとうそう、棋譜があるじゃない。あんな感じで覚えてるの?

寛太郎そこまでではないですけど、流れで、この時はこんなふうに思ってたなとか、ここがうまくいってなかったなとか。『花競四季寿』の時は、今思えば緊張してて力が入っていて、結果糸を切ったんだなとか。

いとううんうん。

寛太郎稽古でこうやってたのに全然違うことをやってたなとか。太夫さんがもうちょっとこうしといてくれたら良かったんじゃないかとか、色んなことがわーっと出てきます。

いとうそうなんだね。で、さっきその「これはターニングポイントになるな」っていうのは、なんかこう、途中でわかるんですか? ゾーンに入った感じとか。

寛太郎あ、いや終わってからですね。

いとうあーそういうものなんだ。

寛太郎はい。なんていうか大過なく終わったけども、これではダメだったんだなっていう時もあれば、大失敗したけど、何もかも足りてないということではなく、何が足りてないかが明確に分かったとか。あるいは、自分の中では、パフォーマンスは悪くはなかった。できるだけのことはできたと思う、けれども、一緒に弾いている人がもっとこうしてくれたら良かったとか。そういうことがぼんやりと、モヤモヤってなってる時もあれば、はっきりと言葉として出てくる時もあります。

いとうここをこうすればこうなるからっていう。

寛太郎はい。そういうことが大きい演目でもちっちゃい演目でもありますね。師匠に言われたことなんかも、「あ、ずっと言われてたのこれか」みたいにすごくよくわかることもあります。

いとう「こういうことだ、このためだったんだ」みたいな。

寛太郎そうですね。あとは、なんとなく毎日、特に目標とか課題を設定せずに稽古していたけども、稽古した回数が多かったこと自体が意外と良かったとか、早めに取り掛かったことが良かったんだ今回は、とか。

いとううんうん。

寛太郎あるいは、バタバタして直前にしか稽古できなかったけど、でもこれぐらいまではまとめられるんだとか、その時々で振り返った結果、自分の中の意識の変化につながっているっていう感じですね。

身振りを交えて稽古について質問するいとうせいこう

いとう出る場面はここでとか、何枚目でこの曲に出るみたいなことはそんな早めに決まるんじゃないでしょ?

寛太郎近年ちょっと早くなってきましたけど、本当に遅いと1か月前とかに知らん曲とかもありましたね。

いとういきなり?

寛太郎はい。でも、今は少しずつ早くなっていて、大体4か月ぐらい前にはわかってますかね。

いとうそれは普通な感じでいいですね。

寛太郎はい。段取りが付きやすいんで、ものすごく助かってます。

いとうその稽古っていうのはどういうふうにやっていくんですか? まずは自主稽古?

寛太郎まずは一人で楽譜を探します。人に借りることもあれば、祖父のを引っ張り出してきたり、過去自分が書いたものだったりです。それから音源を探して聴いて、弾けるようにして、自分で解釈して、

いとううん。

寛太郎それで太夫さんと二人でやってみて、ああでもないこうでもない言いながら、ですね。その後、師匠に聴いてもらいます。お互いの師匠、つまり三味線の師匠と太夫の師匠に聴いてもらって。

いとうそれは一人ずつ?

寛太郎あ、いえ、二人並んでです。

いとうああ、なるほど。

寛太郎前に師匠が1人で座っていて、2人で演奏する感じです。三味線のお師匠さんでも太夫について言うこともあれば、太夫のお師匠さんが三味線に「ここ、こうやって弾いてあげてほしい」とか言うこともあります。

いとううんうん。

寛太郎あるいはもっと大きい演目であれば、太夫さんと二人でやる前に、まずは師匠と差し向かいで三味線だけの稽古をしていただいたりもします。そんな感じの流れですね。


(つづく)

9月文楽鑑賞教室は9月10日(木)から20日(日)まで!(休演日:14日(月))

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