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鶴澤清志郎編(その1)

いとう去年の3月によみうり大手町ホールで『曾根崎心中』やって、背景はアニメ的な絵で。
清志郎はい。男鹿和雄さんの。
いとうそうです。素晴らしい背景で。その公演の時に、『曾根崎心中』の上演の前に、必ず誰か出演者とお話しするってコーナーがあって、清志郎君とお話しして、ちょっとびっくりするような、「あ、そうだったんだ!」ということがいっぱいあったんですよね。
清志郎ありがとうございます。面白かったですね、控室での話も。
いとうそうそうそう。
清志郎そっちの事前に話した時間も楽しかったです。
いとうそう。で、事前に話をしてて、けっこう古くから顔見知りではあるけど、ちゃんと話してみると、っていうことなんだけど。
清志郎そうですね。せいこうさんとゆっくりお話ししたの、その時が初めてでした。
いとう初めてですよね。
清志郎その前は、いわきの会館で何か織太夫さんと一緒に舞台をやった時で。
いとうああ、やりましたね。
清志郎トークに出てくださって、終わった後、飲み屋で。
いとうそうか。飲み屋なんだよね。だから忘れちゃってんだ。
清志郎一番最初は文楽のみんなと飲んでる時でした。
いとうはいはい大勢集まってた時ね。あった、あった。ありました。
清志郎そこはみんな居たんで、個人的にはお話しできなかったんです。
いとうそうそう。それでこの間ちゃんと話したら、まず、つまり、三業、太夫、三味線、人形遣い、この中の三味線というものが中心なんだと、もう絶対的な。これが指示を出しているんだ、というふうにおっしゃっていたじゃないですか。あれは三味線の人が言いがちなこととかじゃなくて、全体から見てもそういうふうに言われているものなんですか?
清志郎うーん、そうですね……そういうつもりでやりなさいということなので、それぞれが自分たちが主だとは考えていると思います。
いとうあっ、そういうことか。
清志郎はい。ただ、人形さんも、道行みたいなものでしたら、三味線のテンポに合わせて動いてくださるし。
いとううん。
清志郎太夫も三味線に引き戻されたら、ある程度ぐっと反応してくれたりするので、主導権が握りやすい時もあります。
いとうそうですか。位置関係から見ても、太夫も人形も一番見えないところだもんね、三味線って。
清志郎はい。
いとうだから、ここがどっかに合わせるということは視覚的にはほぼあり得ないということになりますね。
清志郎そうですね。
いとうで、それは今みたいなテンポ以外に芝居の主人公というか、登場人物の熱さとか、そういったもの、つまりムードだけど、そういうものも主に作り出すということですか。
清志郎そうだと思っています。それができる、できないのは僕のレベルでは語れないですけども、でも、やろうとしていることはそういうことですよね。どの人物の音なのかということだと思います。
いとうはい。今おっしゃったことは前からちょっと聞いていて、つまり、三味線は「ベーン!」って1音鳴らしただけで、そこがお城の中なのか、しかも緊迫しているのか、していないのか、それから、市井の普通の町の中なのか、遊廓なのかとか、そこにいる人の心情も、それ全部が1音、最初の「ベーン!」で表せなきゃ駄目だっていって稽古してるって話を一番最初にたしか聞いて、「嘘だろ!?」と。
清志郎ちょっと極論かもしれませんけどね。そういうふうに音に意味があるということはよく言われますね。当然ストーリーがあるから、意味はあるはずですので。
いとううんうん。でも、何となく雰囲気で、例えば西洋の楽器でいえば、ここはマイナーコードねとか、ここはメジャーコードなんだけど、ちょっとマイナーコードの中にちょっと細かく1音だけ明るい音を入れとくとか難しいことやったりして説明するんだけど、そういうんじゃないでしょう。「ベーン!」って1音なんだから。
清志郎そうですね。そういう細かいテクニックというのにはこだわり過ぎてない気もしますね。
いとうそれはなぜ?気持ちってことですか。
清志郎それが最優先という。
いとううわー。
清志郎それもそう理論的におっしゃるお師匠さん方ばかりではなくて、とにかく強く気合入れて弾くんだという、うちの師匠(鶴澤清治)はそうやってずっと教えてくださって、その先に何かこう緊迫感みたいなものが出てきたりとか、何だろう、音に表れるんですよね、そういう不思議なものが。

いとううん、そこなんですよ。大問題はそこなんですよ。僕も一番最初にその話を聞いた時に、音に意味があるということ自体は、これはもう科学じゃないよと思うけど、でも、一心にそう思って、その音に向かって毎日やって、「違う、違う」ってずっとお師匠さんたちに言われて、だんだん何か近づいてきて、わかった気がするというふうになるということは、うーん、ないことではないかもしれないな、って浄瑠璃で教えてもらったというか。
だから、自分ではラップがうまくなったと思ってるけど、断然説得力が若い者と違うよという。だって、気持ち入れられるもん、というね。それはヒップホップではバイブスって言うんですけど、バイブスを入れられるようになって、コントロールできるようになってきているのは、やっぱり清志郎君たちの、三味線の人たちも特に言う、もちろん太夫も言うんだけど、それと通じるものがあるんじゃないかなと。太夫が言っていることと三味線の人たちが言っていることだと、だいぶ三味線のほうが抽象的でしょう?
清志郎そうです、そうです。
いとう大抽象ですよ。言葉じゃないもんね。
清志郎はい。
いとうだけど、1つ1つの音にどういう思いがあるのかっていうのは、稽古の時はさっき言ったみたいに、ずっとこう駄目を出されていく形なんですか。
清志郎そうですね。小説にあるみたいな、そこ1か所で動かなくなるみたいなことはうちの師匠はあまりされないですけれども、意味については教えてくださるし、「ちょっと考えてみろ」ともおっしゃいますね。今、何を、どこの文章に対してこの音を出すんだという。そう言われる時は、とんちんかんな音が出ているんだと思うんですよね、内容に対して。
いとうなるほど。そぐわない音が出てるんだ。
清志郎はい。答えはまず書いてあるので、その答えに音を寄せていく。音といっても、音に付随する「間」とかも含めた音ですけど、答えに寄せていくというやり方。
いとうそうか、そうか。最初はちゃんと一応字があって、物語があるんだから、それがヒントになっていてというか、それが全てで。逆に言ったら、そこにじりじり寄っていくときに抽象性が出てくるというか。
で、まあ一番最初に、例えば入門されたところからちゃんと聞いていったほうがいいのかもしれないので、そうしますけども、一番最初はどういうきっかけでこれ入ったんですか、三味線の世界に。

清志郎国立劇場の研修生に入って。
いとうちょっと待ってください。そうかもしれないけど、いきなり研修生にならないでしょう(笑)。
清志郎はいはい(笑)。
いとう何で研修生に入ったんですか。いつから好きなの?という話です。
清志郎僕は長野県飯田市の出身で。
いとうあ、そうなんですか。僕、岡谷と上諏訪に縁があります。
清志郎どういうことですか?
いとう母が岡谷出身で、父親が上諏訪出身なんです。
清志郎あ、そうなんですか。
いとうそうそう、そうそう。めちゃめちゃ近いじゃん(笑)。
清志郎近いじゃないですか(笑)。
いとう僕のおじいちゃんが浄瑠璃狂いで、誰か三味線の人を連れてきて、みんなに聴かせて、そのことを父親は僕に一切言わなかったんですよ。
清志郎へえー。
いとうそれは多分、遊び事みたいなことと思って、近寄らせたくなかったんでしょうね。だけど、知らない間に僕がそれを大好きになっちゃって、ある時、ちょっと遠くから父親が僕の部屋に珍しく出かけて来たときに、CDの棚に「竹本越路太夫全集」とかがあった。それを見た時に「お前もか」って言ったんです(笑)。びっくりしたんですよ。何を言ったんだと思ったら、「いや、実は俺の親父がな……」って。
清志郎へえー。
いとう「浄瑠璃に狂っててな」って言って。
清志郎へえー。それは岡谷?上諏訪?
いとうそれは上諏訪。上諏訪にいてそんなことしてたんだって、びっくりした。だから、意外に山国でも聴こえてこない音ではないということじゃないですか。
清志郎そうですね。僕のいた南信地域、せいこうさんのルーツですね、長野県の南部にはまだ人形座が4つ残っていますので。
いとうあっ、そうなんだ。
清志郎文楽と同じ系統の人形芝居が残っているので。古くは100以上の人形座が長野県内にあったらしいんで。
いとうそうなんだね。ふーん。栄えていた。
清志郎おっしゃるとおり、もともと盛んに浄瑠璃を、語るだけじゃなくて、人形浄瑠璃をやっていたのが多いって聞いていますね。
いとうあ、そうなんですか。
清志郎中山道の中間地点なので、江戸の芝居とか上方の芝居が旅に出た時にいわば力尽きるような感じで芝居の道具を売って、帰りのお金を得ていたみたいです。
いとうお駄賃を稼ぐ場所だった。
清志郎そう、それで道具がいっぱいここに取り残されていたそうです。
いとうああ、なるほど。
清志郎それもあって、あの辺りは人形浄瑠璃がすごく盛ん。歌舞伎もあるし、能もあるんですけど。
いとうなるほど。道具を作るとなっても材木はめちゃめちゃあるしね。木の地帯だもんね。
清志郎そうですね。で、人形もあって、衣裳もあるんで、自分たちでやってみようというので、村ごとに人形座ができたんですね。神社の境内に人形浄瑠璃専用の小屋があの辺で幾つかあるんですけど、僕はそんな1つの人形座に所属していたんです。

いとうえ、してたんだ。何歳ぐらいから?
清志郎実際には子供のときは父親がやっていたんで、ついていって。
いとうあ、やっていたんですね、お父さんが。
清志郎父親が人形遣いをしていたので、5、6歳からついて行っていた覚えはあるんですけど。
いとうそれはお父さんはプロとしてやっているということですか。
清志郎いやいや。
いとう農閑期にやる的なやつ?
清志郎うん。仕事終わりに夜だけやっていた。公務員だったんで。
いとう昼は公務員で夜は人形遣い。すげーかっこいい。
清志郎7時から稽古して。
いとうスパイみたい(笑)。
清志郎実際には公演は土日だけとかで、稽古は夜あって。でも、あのときの印象は、稽古という目的で集まって呑んでるという、そういう雰囲気もありましたね。
いとう楽しみなんだね。
清志郎お父さんたちの楽しみというか、家を出てみんなで酒飲むみたいな、そういう楽しみもあったのかなと思って、ついて行ってましたけど。
いとうじゃあ、そこで聴いていた。
清志郎そうですね。そこで。
いとう小さい頃から普通にそういう芝居があるということはわかっていたと。
清志郎そうですね。むしろ人形浄瑠璃しかなかったですね。テレビもあまり映らなかったし。
いとうあ、そうか。
清志郎4局ぐらいですかね。NHKと信越放送、テレビ信州、あと長野放送しか映ってないんで、あんまり映画とかドラマとか見てないですね、ほかの演劇もそんなに公演をしに来ていないし。
いとう来ているわけじゃないから。
清志郎はい。今では人形劇の町として飯田は売り出しています。
いとうあっ、そうなんですか。
清志郎はい。人形座が4つ残っていたというので、人形劇を売りにしようというので、僕が10歳ぐらいのときにそれが立ち上がったのは覚えていますね。そこまでは人形劇もそんなに来てなかったです。今は盛んに来てくれています。
いとうなるほど。そうなんだ。完全に人形浄瑠璃の、言ってみれば、それしかないぐらいの世界にいたんだ。
清志郎そうですね。
鶴澤清志郎編(その2)へつづく2月文楽公演は
2月8日(土)から26日(水)まで!(17~19日を除く)
チケット好評販売中
国立劇場チケットセンターはこちら※残席がある場合のみ、会場(きゅりあん大ホール/文京シビックホール大ホール)にて当日券の販売も行っています。
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