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竹本千歳太夫編(その1)
竹本千歳太夫X、拝見してます。
いとうせいこうわ(笑)、ありがとうございます。
千歳太夫お忙しいですね。
いとういえいえいえ。まあでも、そうですね、ちょっと忙しかったんですけど、ようやく抜けました。
千歳太夫買っちゃいましたよ、山東京伝。
いとうわあ、嬉しい! 今日ぐらいじゃないすか、これ本屋に並んでるの。
千歳太夫紀伊國屋で平積みにされてましたよ。
いとうやった!
千歳太夫ぜひサインを(笑)。
いとうもちろん、後ほど(笑)。嬉しいです。近松もあと2つ訳して、というか全部で3つあるんで。
千歳太夫はい。
いとう来年の前半にその近松の現代語訳を出していこうと思ってるんで、それも面白いと思います。
千歳太夫近松は何を?
いとうまず『曾根崎心中』を以前に『日本文学全集』で頼まれて訳してあって。
千歳太夫せいこうさんがなさったんですか?
いとうそうです。それで、最初の「観音廻り」から訳してあるんです。でも、『曾根崎』だけで文庫を一冊出すってのもページが少ないんで、なんか読者に失礼だなと思って、まず『出世景清』を。これは、やっぱり近松が最初にどうデビューしてきたのか、っていうのがありますので。それと、『五十年忌歌念仏』ですね。
千歳太夫「お夏清十郎」のね。
いとう「お夏清十郎」ってものが、ずうっとこう、歌念仏から西鶴から様々に書き分けられてきた中で、近松はどう書いたのか。僕は『夜を昼の國』という作品の中で、「お染久松」を書いた人を全員をからめて小説にしたんですが、そうする中でお染久松の原型に「お夏清十郎」があるなあ、ってことで。この3つを訳しました。
千歳太夫楽しみにしてます。河出書房ですか?
いとう河出が僕のわがままを聞いてくれて(笑)。
千歳太夫いい編集者さんがいる?
いとうはいそうですね。さて、千歳さんの話に移りますが、すごく早くから僕に話しかけてくれて、僕はもうただのファンにすぎない者なのに、とてもきちんとお話してくれた最初の人なんです。
千歳太夫そうですか。
いとうそうですよ。
千歳太夫元々あなた、織太夫君のところに出入りしてたからね。
いとうまあそうですね(笑)。確かに確かに。浄瑠璃のお稽古とはどういうものかを見せていただいて。
千歳太夫頑張ってらして。
いとうありがとうございます。で、そもそも千歳さんも大阪じゃないんですよね。
千歳太夫東京です。
いとう東京なんですよね。この対談、2人続くんですよ、そういう太夫が。
千歳太夫(対談の1回目の)呂勢太夫君ね。
いとう呂勢さんがそうだし、千歳さんもそうだし。
千歳太夫あの人は山の手で、私は下町。
いとうどこでしたっけ?
千歳太夫深川です。
いとうそうなんですか! 今もう僕、そのあたりに越して、そこで骨埋めようと思ってて。
千歳太夫本当に?
いとうじゃあさっき買っていただいた山東京伝の現代語訳の2つ目は思いっきり深川の話ですからね。岡場所の話だから。
千歳太夫そうですか。
いとう『仕懸文庫』っていう作品なんですけど、官許の吉原はこうだけど、そうでない深川はこうですよっていう、山東京伝の洒落本で、そんなのを訳してたら、なんか深川に縁ができちゃって。
千歳太夫あら。
いとうしかし、千歳さん、深川なんていう江戸も江戸っていうようなところで育って、大阪の芸能である文楽を観る機会あったんですか?
千歳太夫テレビでは観てましたし、芝居はよく連れて行かれました。人形浄瑠璃はちょっと特殊だったんですけどね、歌舞伎でもそうですけど。お金のことを言うと下等なんですけど、歌舞伎はやっぱちょっと高いしね。
いとううん、確かに。
千歳太夫当時は商業演劇が盛んでありましたから。新派もありましたし。
いとううん。
千歳太夫うちの伯母が連れて行くんです。
いとう伯母さんが、ものすごい芝居好き?
千歳太夫うん、元々ね、ちょっともうみんな死に絶えたから言いますけど、うちの父親の姉さんなんですけどね。足尾の方の生まれなんですよ。
いとううん。
千歳太夫で、ちょっとお家がやっぱ貧しかったんで、早くから働くうち、伯父に見初められたというか。
いとうへえ。
千歳太夫その伯母が、かなりお芝居詳しいんですよ。
いとうなるほど。
千歳太夫で、伯母夫婦が喧嘩なんかすると、僕が「だし」に使われるんです。家を出てるのについて行かされる。
いとううんうん(笑)。
千歳太夫僕は不思議な子で、ずっと芝居を黙って観てる子だったから。
いとう新派の芝居とかを、すごい小さい子が観てたってことなんですか?
千歳太夫観てましたよ。
いとう歌舞伎とかも?
千歳太夫歌舞伎もたまに。
いとうちょっと金がある時には歌舞伎とかですか?
千歳太夫いや、あのね、歌舞伎座に行ったの三波春夫さんの公演。ご存知ないかな。三波春夫さんはご存知でしょ?
いとうもちろんもちろん。
千歳太夫歌舞伎座はね、今は12か月歌舞伎してますけど。うん。昔は違ったんです。
いとうそうだったんだ、松竹が。
千歳太夫そう。歌舞伎はお金なんか入らなかったでしょうね、あんまりね。2月は菊五郎劇団だったかな。そうすると、12月は歌舞伎座はね、大川橋蔵さんだったんです。
いとううんうん。
千歳太夫で、3月にね、長谷川一夫さんが出たりとか。8月は三波春夫さん。
いとうもう全然歌舞伎ないじゃないですか(笑)。
千歳太夫そう(笑)。で、自分で行くようになったのは中学生になってからですけど。
いとううわ、中学生で! えーっと、ちょっと待ってください。整理しますけど。
千歳太夫うん。
いとうじゃあ、まず小学校までは連れられて行っていて。
千歳太夫うん。
いとう1年中いろんなものを観て。で、どれも面白かったんですか、小学生の頃?
千歳太夫黙って観てましたよ。小学生以前から。
いとうもっと小っちゃい時から?
千歳太夫話逸れちゃっていい?
いとう全然いい。
千歳太夫(三木)のり平さんのご子息、お亡くなりなったんです?
いとうはい、のり一さんですね。そうなんですよ。面白い人だったんですけどね。
千歳太夫楽しみにしてたのに……まあまあ、いいけど。その、のり平さんの芝居なんだ。
いとううん。
千歳太夫ちょこちょこ連れてってもらったから、いろんな芝居を観て、でも内容はほとんど分かんないですよ。で『あかさたな』って芝居があるんですよ。のり平さんが 主人公なんだけどね。あの時、いくつだ? 8つか9つ、昭和43年だから、9つか10ぐらいですけどね。
いとううん。
千歳太夫芸術座の芝居だから長くて、3時間ぐらいかかる。もうちょっと長いのかな。で、テレビで観て、それが前半だけだったんです。続きが気になって「これ観たい」って言ったんです。ご存知かどうか分かりませんけど、あれは、すき焼き屋の「いろは」さんっていう方がモデルで、それをのり平さんがおやりになるのね。
いとうええ。
千歳太夫で、奥様が、ちょっともうお年っていうか、いろんな婦人病かなんかになっちゃう設定でね 。その役を一の宮(あつ子)さんがやってるの、本妻さん。子供とかね、そういうのがダメな体になったっていうんで。それで、土曜の夜の10時に劇場中継があったんですよね、(昭和)40年代の初め。で、主人公がお妾さんをいっぱい作って、商売をやらせるって話なんですよ。
いとううんうん。今じゃあり得ないな(笑)。
千歳太夫で、1番最初の口入れをやってるお妾さんが山田五十鈴さんで、それですき焼き屋をやってるお妾さんが、誰だったかな? あとは葬儀屋をやってるお妾さんが森光子さんで。
いとうすごいですね。
千歳太夫それで、子供をいっぱい産んでるお妾さんがいて、それを丹阿弥谷津子さんがなさってたんですよ。で、それをテレビで観て、「これ観たい」って言ったらしいの、9つの子がね。
いとうあはは(笑)。
千歳太夫でね、前に聞いた話。もっと大人になってから聞いたんですけど、ちょっと家族会議されたらしい(笑)。
いとう「どうする?」って。
千歳太夫うん。で、結局連れてってくれましたけど。
いとうへー。でものり平さんの芝居を、もうその時から「ああ面白いな」って思って観たってことでしょ。すごい目利きですよね。
千歳太夫いや、目利きかどうか分かんないですけど、面白かったです。
いとうだって、多分もちろんアドリブをバンバン入れてたはずだし、のり平さんとか。僕はやっぱりその辺の軽演劇の技術を復活させればいいのにって。一時は別役実さんとか、ケラリーノ・サンドロヴィッチなんかと色々と考えて舞台を作ったりしてました。だから今聞いてびっくりしました。のり平さんにそんなに魅入られた子供だったって。
千歳太夫魅入られてたっていうか、面白かっただけですよ。
いとうで、そういう子供で、中学になったら1人で行くようになっちゃった?
千歳太夫1人で行く。そうそう、今度は歌舞伎行くようになったんです。
いとうそれはなんで歌舞伎なんですか?
千歳太夫テレビで観てて、やっぱりその頃からね、やっぱしね、東宝歌舞伎って言った長谷川(一夫)さんのお芝居もちょっと下火になってきたんですよ。それで、じゃあ歌舞伎を観に行こうかということがなんとはなしに……。
いとうていうか、当時、テレビですごくやってたってことなんですね。
千歳太夫お芝居中継、劇場中継ね。やってましたよ。
いとうだからしょっちゅうお芝居観る機会があったってことですね、今と違って。
千歳太夫そうですね。乗り物もね、新幹線で3時間で来られる、やっとそんな風になったくらいだから。
いとううんうん。
千歳太夫地方の方も観たかったでしょうしね。ありがたいことに東京生まれですから、大阪から松竹新喜劇が来れば観に行けたし。
いとううんうん。
千歳太夫その劇場中継もあって、千葉蝶三朗さんとかね、色んなことを知った訳ですよ。大体ね、魚屋やってますから、うち。
いとうえ、そうなんですね?
千歳太夫そうなんです。
いとう深川の魚屋って、もうちゃきちゃきじゃないですか!
千歳太夫なんだけど、僕はもうお店と家と離れて、鱗が嫌いな子だった。
いとうあはは(笑)。
千歳太夫鱗と魚の匂いが嫌いな子だったもんですから。で、昼間は誰もいないんですよ。土曜日で昔は半ドンっていっても、魚屋は夜までやってましたし。そうするとね、土曜の午後って大概ね、劇場中継なんで、それで観る訳。そのうち文楽も流れましたし。
いとうそうか、そんなのやってたんだ。僕、「デン助劇場」ぐらいしか観てない。同じぐらいの年齢ですよね?
千歳太夫もうちょっと若いでしょ?
いとう1961年生まれです。
千歳太夫僕、59年だもん。
いとうほとんど変わらないじゃないですか。その時、気づいてなかったです。僕、「デン助劇場」しか観てなかった。
千歳太夫 観てましたね。
いとうでも、そういうのもやってたんですね。で、それを観て、自分で歌舞伎観に行くようになって、で、1年中観るわけですか。しょっちゅう?
千歳太夫しょっちゅう観るんです。
いとうもう全部観てくわけですか?
千歳太夫色々と。
いとうお小遣いどうやって……?
千歳太夫親が出してくれましたよ。なんか知らないけど。
いとう親御さんが行ってこいって言って。
千歳太夫うん、「行く」って言ったら出してくれました。ダメだったら幕見ですよね。4階の。
いとうなるほど、そうか幕見するのか。
千歳太夫お正月の公演なんかでも、例えば夜の部は伯母を連れて行くととりあえず切符買えて、全部観られるんですよ。
いとううんうん。
千歳太夫昼の部ね、観たいのがあると、お正月は幕見。4階の上から観るんです。
いとうそんなに面白かったんですね、やっぱり。
千歳太夫 観てて退屈しないんです。変な子でしょ?(笑)
いとう何がそんなに千歳さんを惹きつけたんだろう?
千歳太夫分かんないですね。
いとうその世界にね。
千歳太夫うん……なんでしょうね。
いとうだって別に映画観に行く時代でもあったから。映画観に行っててもおかしくない訳じゃないですか。
千歳太夫チャップリンの映画も観ましたよ。でも、やっぱ実演がいいんだね。
いとう人間がやってるのがいいんだ。
千歳太夫いいみたいですね。どうも思うに、映画も嫌いじゃないんですけど、観に行くんですけど、やっぱ映画っていつでも観られるっていうのはまずあるんだな。
いとううんうんうん、そっか。舞台は、その時1回こっきりのものですもんね。
千歳太夫そうなんです。
いとう消えちゃうもんですもんね。
千歳太夫テレビで観てるのがやっぱり劇場で実物になるっていうことなんでしょうね。本物を観たいっていうことになる。藤山寛美さんも本物が観たいとなる訳です。
いとうなるほど。それで、いつ人形浄瑠璃を観るんですか?
千歳太夫中学の頃。
いとうその中学の時に?
千歳太夫そうです。テレビです、最初は。
いとうテレビで観て、どんな気持ちがしたんですか。人形が動いてて、そんなに画像も良くない頃だし。
千歳太夫そうですね。
いとうザーッってなって、モノクロだし。
千歳太夫やっぱり義太夫節の音楽自体に。
いとうああ……そこか。
千歳太夫うん。惹かれたというか、なんか感じるものがあったんでしょうね。
いとう太棹の音が。
千歳太夫うん。音楽は嫌いじゃなかったですけど、
いとううんうん、元からね。
千歳太夫日本の音楽ってあんま学校でやらなかったし。
いとううんうん。でも、歌舞伎の時からチョボを竹本とかでは聴いてはいたんだろうけど。
千歳太夫そうですね。
いとうそれが全部、その音楽になってきた時に、「いい!」って思ったんですか。「面白い」って。
千歳太夫思ったんです。中学のね、2、3年の時に父親に太夫になりたいって言ったら、「はあ?」とか言われて(笑)。
いとうええー?! 今、なんておっしゃいました(笑)? いつの頃?
千歳太夫中学のね、2、3年頃です。
いとう中学2、3年で「太夫になりたい」って言ったんですか?
千歳太夫言ったんです、父に。これは覚えてます。
いとうでも、例えば太棹の音がって言ってた訳だから、三味線弾きの方に行くかと思いきや、やっぱり太夫が面白かった?
千歳太夫うん、語る方ですね。こう、ナレーションみたいなものに興味はあったんだけど、そこまでは……何て言うのかな。
いとう引き込まれるものではなかったりする?
千歳太夫そういうものではなかったですね。
いとうでも、太夫の喋りというか、語りというものはすごかった?
千歳太夫うん、なんか、良かったっていうか……琴線に触れるものがあったんですかね。
いとうそうですよね。
千歳太夫うん。
いとうだけど、その、松竹が1年やってる中に、人形浄瑠璃ないですよね?
千歳太夫ないです。
いとうですよね。そうすると、観に行くって言ったら。
千歳太夫国立劇場、もうできてましたから。
いとうあ、そうなんだ!
千歳太夫もうできてましたよ。あれ、昭和41年?
いとうじゃあ、ほんと、ラッキーっていうか。
千歳太夫そうですね、僕、49年ぐらいから観始めましたから。
いとううわあ。
千歳太夫その2月。
いとうそうすると、そっちに今度は1人で行くよって感じですか?
千歳太夫1人で行くようになりました。
いとう1人で行くようになって。
千歳太夫うん。
いとう学校も行ってるんだけど、午前中から夕方までってことだ?
千歳太夫だから土日に行くんです。それはしょうがない。休みのときに行きます。
いとうで、1日中観てるんですか?
千歳太夫2週に分けて……2つは観ませんね。どっちかやっぱり1つ選んでましたね。
いとうああ、「こっち観たい」って。
千歳太夫当時は2部制だったから、観たい方を観てました。
いとうはあ。どうやって観たい方を区別してたんですか? お話はこうで、っていうのはもう分かってたんですか?
千歳太夫大体しか分かんないから。
いとううん。
千歳太夫どうだろうなと思って。勘っていうことはなかったですけど。
いとうポスターとかパンフで。パンフみたいのは当時ありました?
千歳太夫ありましたありました。どれにしようかなみたいな。それはどちらでもよかったんですけど。
いとうでもまあいっぱい観るから、結局観ることになりますもんね。
千歳太夫そうですね。津太夫師匠か越路師匠か、どちらかになるんです。大概同じ部に出ることないわけですよ。大体、お二方こっちとこっちで。
いとう出番が分かれてる。
千歳太夫分けてあったんで、まだ弟子になってませんから、ただの観客でどうしようかなって(笑)、選んで観に行ってました。
いとうそしたら、太夫になりたいっていう気持ちももう完全に湧いて。
千歳太夫うん。
いとうで、家でも言ったりして。
千歳太夫うん。
いとうなんて言われたんですか、その時?
千歳太夫「ふうん」って言われて(笑)。今思えば、まさか本気だと思わなかったんだろうな、親は。
いとうびっくりしますもんね。僕も自分の子供が、いきなり「太夫になりたい」って言ったら、それは絶対びっくりします。
千歳太夫まあそうでしょうね。
いとうで、中学2、3年の頃がそうで、その後、どこでもう1回、本気で言うんですか?
千歳太夫高校出る前です。
いとう高校の間も言ってる?
千歳太夫言ってる。
いとう「太夫になるんだ」って。
千歳太夫そうそう。で、高校を出る前に色々ご縁があって。
いとううん。
千歳太夫紆余曲折あって、越路師匠のところのお弟子にしていただけました。
いとういや、すごいです。それはもう元々越路師匠がやっぱり、っていう感じですか?
千歳太夫というかご縁もあって。
いとうあったんですね。
千歳太夫色んなご縁が。ちょっと習いに行ってたりなんかして。
いとううん。
千歳太夫東京でね。
いとうそうなんだ。「やった!」って感じだったんですか?
千歳太夫やったじゃないですね。始めちゃったからしょうがないというか。いつの間にやら、やってました(笑)。
竹本千歳太夫編(その2)へつづく