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竹本千歳太夫編(その2)
竹本千歳太夫編(その1)よりつづく
いとうせいこう越路師匠の語りはやっぱり自分でこう、すーっと入って来るものが魅力的だという感じだったんですか?
千歳太夫そういう感じはしましたね。それはしました。子供心ですけど、本当に引き込まれて、「あ、この人すごいな」って思ったんです。それから、ご縁もあって、紹介していただいて。
いとううん。
千歳太夫で、お弟子にしていただきました。
いとうその頃は同じような若いお弟子さんを取ってたってことなんですか?
千歳太夫師匠はね、僕が入った時、65だったですから。もう色々あってね、試験とかしていただいて、それで取ろうかどうかってとこだったんですね。年がね、65なんで、昔の65歳ですから。
いとううんうんうん。
千歳太夫一応、一人前になるのに10年15年ぐらいかかるじゃないですか。
いとうええ。
千歳太夫なんとか1人でやっていけるようになるまで、そうすると、15年経つと80でしょ。だから、最終的に75で引退されて、88まで生きられましたけどね、それを考えて、やめようかどうしようかって逡巡してらしたところへ、これ、後から聞いたんですけど、鶴澤清治師匠が後押ししてくれたと。
いとうそうなんですか!
千歳太夫らしいです。
いとう弟子にとって育てたらと。
千歳太夫それでじゃあってことに。
いとうそんなことを清治さんがおっしゃって。
千歳太夫あと、越路師匠の奥さんもおっしゃったんじゃないかな。
いとうへえ……。それで弟子入りが始まって。
千歳太夫うん。
いとうで、大阪に越すってことですか?
千歳太夫そうです。(師匠は)京都でしたから、引っ越しました。
いとう越路師匠のところの近くに、16とかで?
千歳太夫いや、19。
いとうそうか、高校出て19で引っ越して、それで通う日々が始まった。
千歳太夫そう、近くでね。師匠のお宅はマンションだったんで、一緒には住めませんから、通う日が続きました。
いとうその最初の時って、制度として、国立劇場から御駄賃もらえるとかだったんですか?
千歳太夫劇場の研修生もありますけど、私は直接入門して入りましたから、「研究生」と言われる立場でした。で、1年でその研究生が終わって、次の年に契約して、お給金はいただきました。
いとうあー、そうなんだ。1年やるもんなんですか?
千歳太夫はい。それで舞台がね、4月に入って、1年間、研究生の期間があって、お手伝いとかして、いろんな楽屋でのこのやり方とか教えていただいて。
いとううん。
千歳太夫で、次の年度の7月から舞台に。
いとう舞台出ちゃうんですか?
千歳太夫出ましたよ。出されました(笑)。
いとううわー。もう当然ドキドキしてるっていうか、とんでもないですよね。クルっと回ったの、覚えてるんですか?
千歳太夫そんなんじゃないです。
いとうじゃあ、並んでて。
千歳太夫並んでるものの、一番端っこでしたけど。通称「豆食い」って言うんですよ。
いとうあそこの端の位置のことを?
千歳太夫うん。あそこの一番端っこで豆を食ってるみたいに口をパクパクしてるっていう悪口なんですよ(笑)。そんなこと言っちゃダメですよ。
いとうあははは(笑)。可愛い名前じゃないですか。
千歳太夫そういう一番の端の役だったんですよ。
いとうそれは何の演目だったか覚えてますか?
千歳太夫覚えてます。「酒屋」にね、三勝半七が道行する場面があって。
いとうはいはい。
千歳太夫「道行霜夜の千日」っていって、千日寺で心中する場面があるんです。そこのツレで出てまして。刑場の話ですね。朝日座の舞台に小道具の首が並んでいました。
いとう初舞台は、終わった後、師匠になんか言っていただけるものなんですか?
千歳太夫いや、端の方ですし。これは新しく作曲された道行で、こういうものは師匠もご存じなかったしね。芯の方がいらっしゃって、指導していただいて。浄瑠璃のことだけじゃなく、お行儀の悪いのはいけませんから、こういう立ち居振る舞いをしなさいとか。
いとう立ち居振る舞いっていうのは、舞台の上での?
千歳太夫そうです。目立っちゃいけないっていうのとはまたちょっと違うんだけど。
いとういい感じでいなきゃいけないんだ、そういうところは。
千歳太夫統率がとれてないと、というか。
いとうそうですよね、見た目がね。
千歳太夫芯の方の邪魔にならないように。これはもう必須です。

いとうで、それを1度やったら、もうずっと、次の公演も次の公演も出るってことになるんですね?
千歳太夫不始末がない限りは、お役つけていただいて(笑)。
いとう不始末が幸いなかったってことで(笑)、やがて1人でやるようになるってことですね?
千歳太夫そのうちにね、短いのをやらしていただけるようになるんです。
いとうなるわけですよね。それは、何だったんですか?いくつぐらいの時なんですか?
千歳太夫まだ朝日座の頃、盆に乗って出た覚えはあるんですけど、忘れました。
いとうそうなんだ。でも、盆に乗ってクルって回ったことは、なんか覚えてる?
千歳太夫覚えてる。初っ端だったんですね。
いとうその日のですか?
千歳太夫確かね。早い時間の端場か何かだったと思うんですよ。国立の床は据え付けですけど、朝日座って劇場はね、床ごと出るの。
いとうええ!?そうだったんですか。
千歳太夫そういう仕組みだったんです。あとは「返し」っていうんですけど。
いとううん。
千歳太夫今の舞台みたいに。
いとう廻るのは同じだけど……。
千歳太夫終わった時には床ごと引っ込めちゃう。そういう、なんか最新設備の劇場だったんです。昭和34年か、33年あたりかな。
いとう1960年前後ですかね。
千歳太夫あ、もうちょっと前ですね。34年の年っていうのは、山城少掾が引退した年なんですよ。だから31年ぐらいです。1956年ぐらいにできた劇場なんですよ。
いとうはい。
千歳太夫当時は道頓堀文楽座です。最新の劇場で、その頃はまだ松竹が持ってたんですよ、文楽を。
いとうそうなんですね。その床をガシャーンって出すやつは、電動とかじゃないですよね。人力ですね。
千歳太夫電動です。
いとうえ、電動なんですか!?
千歳太夫ゴーって音がしてました(笑)。
いとうなんでそんな面白いことしたんですかね(笑)。
千歳太夫松竹さんの考えることですから、他にも使おうと思ってたんじゃないですか?
いとうあー。例えば歌舞伎で使おうとか?
千歳太夫そうです。朝日座には花道が据え付けてありましたよ。
いとうあー、花道あった?
千歳太夫ありましたよ。
いとうへえー、そうなんですか。そこで文楽やってたんですね。
千歳太夫ただね、道頓堀は狭いんでね、中座は廻り舞台があるんですけど、朝日座はなかったですね。迫りはありました。
いとうやっぱりそれぞれ相当違うんですね、舞台が。それで、そこで1番最初にやって。
千歳太夫うん。
いとう配役はどういう風に決まっていくっていうか、師匠がもう1人でやれるから、やった方がいいよ、みたいな?
千歳太夫それは制作サイドです。当時の文楽協会ですね。それと国立劇場の制作の方ですね。「ちょっとやらしてみようか」っていうんで、若い者にぱっとお役がつくわけです。
いとううん。
千歳太夫で、「まあ、なんとかいけるな」ってなったら。
いとう上がっていく?
千歳太夫ちょっとずつ上がっていきました。あと、代わり役っていうのがあって、先輩方がちょっとご病気とかで出られない時とかにぱっと出て、それくらいならお役がいただけます。
いとうはあ。
千歳太夫そういうことがあって、段々、なんとかできるようになりました。
いとうそうなんだ。で、千歳さんの語りっていうのは、もう越路さんの系統の語りなんだってことですね?
千歳太夫そう思っていただけたら嬉しいんですけど。まあ、色んなのが入って、自分の我も出ることもありますので。
いとうそういうこともあるわけですか。自分でこうアレンジして、みたいな。
千歳太夫アレンジっていうよりは、声柄もやっぱ違うじゃないですか、それぞれ。
いとうはい。
千歳太夫そして、生きてる時代も違うんで。
いとううん。
千歳太夫考え方が違う場合もありますしね。
いとうそうですね。お客さんの考えも違いますもんね。
千歳太夫「師匠、こう言ってるけど、違うじゃないんじゃないかな?」とか思ってたり。生意気にもですよ(笑)。ちょっとだけ、思惑で違う風に言うと通る時もあります。
いとうなるほど。通らない時はちゃんと関所ができる?「あれは違うぞ」と。
千歳太夫そうなります。それと、「今はお前に言っても分からないから、ここは黙っておく」ということもあるはずです。
いとう考えとけよ、って。後から分かるかもしれないと。
千歳太夫分かるからっていうことで言う場合もあれば、言うと混乱するかもしれないって、言わない場合もあります。言葉でしか言えないんで。
いとううん。
千歳太夫弟子を持つと分かります。
いとう教える人ができて初めて分かる。
千歳太夫それで分かることがある。「今言っちゃってまずいな」ってよくあります。言い過ぎたって。
いとうその人がなんだか分かんなくなっちゃう。
千歳太夫そうそう、これがね、一番いけません。自分もありましたから、そういうこと。
いとうそうなんですね。
千歳太夫わざと、1つ良くなってもらうために、あえて言う場合もある。
いとううんうん。
千歳太夫わざと混乱させるというか。それで「混乱したな」と思ったら、次、何か策を出さないとダメでしょ。
いとうちょっとヒントを出してみる、みたいな。
千歳太夫 浄瑠璃にはご縁っていうのがあって、師匠も言ってましたけど、言葉で説明しきれない部分があるので、「この時だ!」っていう時にスパッと言えればいいんだけど、そうもいかないから。
いとううん。
千歳太夫自分で考えて、考えて考えて、考えた挙げ句に「これか」って分かる時が確かにある。
いとうそれは言い方というか、イキとか間とか、色んなパターンがある訳ですね。
竹本千歳太夫編(その3)へつづく