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【千駄ヶ谷だより】国立能楽堂令和8年1月主催公演がまもなく発売です!

能 絵馬
年の暮れ、天皇の勅使が献上品を携えて伊勢神宮へ参拝します。夜になると、翌年の天候を占う絵馬をかける行事がはじまり、晴れを表す白い絵馬をもつ老人と、雨を表す黒い絵馬をもつ姥が現れました。どちらの絵馬を掛けるかでふたりはいさかいますが、今年からは二枚揃えて掛けることとして仲直りとなります。そして、実はふたりは伊勢の神霊であることを明かし、明朝、内宮・外宮で参詣を待つとの言葉を残して消えて行きました。
やがて天照大神(あまてらすおおみかみ)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)、手力雄命(たぢららおのみこと)が現れて、天岩戸隠れの神話を再現し、国土の安穏と繁栄を寿ぐのでした。
狂言 牛馬
中世において、新しく立った市では、一番乗りした者に特権が与えられる習わしがありました。
今日立ったばかりの市に最初に到着した博労ばくろう(馬商人)と、後からきて一番乗りのふりをする牛商人。両者は互いに我こそが一番乗りだと主張して譲りません。目代もくだい(代官)が仲裁に入り、牛と馬を競争させて決着をつけることになったのですが…。
狂言 三本柱
家の普請(ふしん)をしようと考えた果報者(かほうもの)は、太郎冠者、次郎冠者、三郎冠者の三人を呼び出して、柱にするため伐らせておいた山の木を三本運んでくるように命じます。ただし、運ぶにあたっては「三本の柱を三人が二本ずつ持つように」という条件がつけられていて…。さて、三人は無事に任務を成し遂げることができるでしょうか?
能 百万
今日は嵯峨野・清凉寺で大念仏(参加者が声を合わせて念仏を唱える法会)が行なわれています。境内は釈迦堂にお参りする人々で賑わい、そのなかには母と生き別れになった子どもを連れた僧がいました。何か面白い芸を見たいという僧の所望に応えて、門前の者が百万という女芸人を呼び出します。行方不明のわが子を思う気持ちが募った百万は、物狂い(心が高ぶった忘我の状態)となって舞車を曳きつつ謡い舞います。やがて百万は、僧が連れている子どもがわが子だと知り、再会を果たした母と子は阿弥陀如来の法力に感謝し、ともに家路につくのでした。
1月16日(金)国立能楽堂ショーケース 午後7時開演
能・狂言を初めてご覧になる方にも親しみやすい作品を選んで、コンパクトに上演する入門向けの公演です。当日の上演前には、ロビーに能楽体験コーナーを設け、舞台では能楽師による簡単なプレトーク(解説)を行ないます。
狂言 清水
明日の茶の湯で用いるため、主人は太郎冠者に、野中に湧く名水を汲んでくるよう命じます。自分ばかりこき使われるのは不公平だと不満を抱く太郎冠者は、主人から渡された秘蔵の手桶を道の途中に置き去りにして引き返し、鬼が出て喰われそうになったのであわてて逃げ帰ってきたと嘘をつきます。すると主人は、手桶が惜しいと言って、自ら取りに出かけてしまいました。嘘がバレては大変と、太郎冠者は先回りをし、鬼の面をかぶって主人を脅しますが…。
能 箙
旅の僧の一行が、摂津国の生田(いくた)神社にやってきます。境内の生田の森は、かつて源平合戦の激戦地となった場所でした。一行が美しく咲く梅を眺めていると、ひとりの男が現れ、この梅は源平の合戦にゆかりの「箙の梅」だと教えます。そして源氏の若武者・梶原景季(かじわらのかげすえ)がこの梅の枝を箙(腰が背に着ける矢を入れる道具)に挿して戦った過去を語り、自分こそその景季の亡霊だと明かし姿を消してしまいました。
その夜、僧の夢の中に、颯爽とした鎧兜姿で腰の箙に梅の枝を挿した景季の亡霊が現れ、かつてこの地で繰り広げた戦いのさまを再現して見せるのでした。
狂言 骨皮
隠居することにした住持は、後をまかせる新発意しんぼち(新米僧)に、寺を維持していくには檀家あしらいが大切だと教えます。そこに檀家の男が傘を借りに来たので、新発意は新品の傘を貸してやりました。すると住持から「そういう時は、あいにくと大風に吹かれて骨と皮(地紙)がばらばらになってしまったのでお貸しできませんと断わるものだ」とダメ出しが出ます。次に、馬を借りたいという檀家が来たので新発意は…。どんな理由をつけて断るのでしょう?
世渡りもままならない太郎冠者とその妻は、そろって酒が大好物。どうせなら好きな酒を売る商いをしようと、市に店を出しますが、いっこうに客はやってきません。太郎冠者は、せっかく酒があるのだから飲みたいと言い出しますが、妻は「口開けの客が肝心」だからと飲むことを許しません。ない袖は振れないと言いながら太郎冠者が袖を振ってみせると、その袖から二文の銭が出てきました。これをお代に自ら口開けの客となった太郎冠者ですが…。
シテを演じる佐藤友彦作の新作狂言です。
狂言 馬口労
近ごろ、世の中は仏教に帰依して極楽へ行く人ばかりで、地獄は危機的状況です。そこで閻魔大王は自ら六道の辻(この世とあの世の分かれ道)に出向き、罪人が通るのを待ち受けることにしました。ちょうどそこに亡者となった博労ばくろう(馬商人)がやって来たので、閻魔大王は、博労が生前に馬をいじめたことや、人を騙して馬を売ろうとした罪を責め立てます。ところが、博労が持っている轡(くつわ)の音を耳にした閻魔大王は、にわかに乗馬の稽古がしたいと言い出して…。
能 当麻
大和国(奈良県葛城市)・二上山の麓の当麻寺に、旅の僧の一行がやってきます。そこに老尼と若い女が現れて、この寺の本尊である当麻曼荼羅(まんだら)がどのように作られたかを語ります。実はこの曼荼羅は、いにしえに老尼と若い女性の姿を借りて来迎した阿弥陀如来と観音菩薩が、信心深い中将姫に力を与え、蓮の糸を染めて一夜にして織り上げたものでした。ふたりは自分たちこそ、そのときの阿弥陀と観音の化身だと明かして西の空に消えて行きます。
夜になると僧の前に、今は極楽に往生して菩薩となった中将姫が現れます。そうして阿弥陀仏の救済と功徳を賛美して、美しい舞を舞うのでした。
主人の許可を得ず、勝手に旅をしてきた太郎冠者。怒った主人が問い詰めると、「都見物をしてきた」と言います。そこで主人は、都の様子を教えることと引き換えに今度だけは許すことにしました。語り始めた太郎冠者は、都で主人の伯父にご馳走になったと言うのですが、食べたものの名前が思い出せません。主人は次々と食べ物の名を挙げてみるのですが…。
能 妻戸
天下泰平の祈祷を行なう比叡山の法性房僧正(ほっしょうぼうそうじょう)の前に、満願の夜、かつて親子のように信頼し合い仏道の子弟関係を結んだ菅原道真の霊が姿を現します。僧正から給わった弔いに感謝した後、道真の霊は、無実の罪で左遷された口惜しさを語ります。そして、死後もその恨みを抱き続けていると打ち明けると、たちまちに鬼の形相となり、火炎を吐きつけました。僧正が動じることなく洒水(しゅすい)の印を結んで祈ると火焔は消え、立ち上る煙の中に道真の霊は姿を消してしまいました。
やがて、あたりに妙なる音楽が響き渡り、神号を賜ったことで天満天神となった道真が現れ、君恩に感謝して幾久しく国土の安穏を祈る舞を舞うのでした。
道真を主人公にした「雷電」の後場を大きく改作した作品(宝生流の「来殿」とほぼ同曲)。昭和初期に「妻戸」の曲名で金剛流の現行曲となりました。
【文/氷川まりこ(伝統文化ジャーナリスト)】
●令和8年1月主催公演発売日
- 電話インターネット予約:令和7年12月10日(水)午前10時~
- 国立能楽堂チケット売場窓口・自動発券機は国立能楽堂主催公演日(*)のみの営業(午前10時~午後6時)です。
*販売開始は電話・インターネット予約開始日の翌日以降 - 国立劇場チケットセンター(午前10時~午後6時)
0570-07-9900/03-3230-3000(一部IP電話等)
https://ticket.ntj.jac.go.jp/





