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国立能楽堂

トピックス

【千駄ヶ谷だより】国立能楽堂令和7年1月主催公演がまもなく発売です!

 

素謡 翁

 新年最初の国立能楽堂主催公演は、謡のみで上演する“素謡”の「翁」で幕を開けます。“能にして能にあらず”とも言われる「翁」は、神事儀礼の色彩を色濃く留める作品で、天下泰平、国土安穏を祈ります。

狂言 蛭子大黒

 津の国・芦屋の里の男が、比叡山の大黒天と西宮の蛭子三郎に参詣したところ、両神から「吉日を選んで勧請(かんじょう・神霊を分けて、新設した別の社にも祀ること)をせよ」とのお告げを受けました。お告げ通りにしめ縄を張り待っていると、蛭子と大黒が来臨し、男の求めに応じて、それぞれに出自や由来を語ります。さらに男が宝を授けてほしいと望むと…。

能 海士

 自らの出生の秘密を知った大臣・藤原房前(ふさざき)は、亡き母の追善のため志度(しど)の浦を訪れ、そこで出会った一人の海士の昔語りを聞かされます。かつて唐の皇帝に嫁いだ藤原不比等(ふひと)の妹が興福寺に三種の宝を贈った際、そのうちのひとつ「面向不背(めんこうふはい)の玉」がこの浦沖で龍に奪われたこと。取り戻しにやってきた不比等が土地の海士と恋に落ち、房前が生まれたこと。わが子を藤原家の世継ぎにすることを条件に、海士は海に潜り、命と引き換えに玉を取りもどしたこと――。話を終えた海士は、自分はその海士の亡霊で、房前の母だと明かして、波の内へと消えて行きました。
 やがて追善がはじまると、龍女となった海士が現れ、供養に感謝し、法華経の功徳によって救われたことを喜び舞を舞うのでした。
 懐中之舞の小書(特殊演出)により、龍女は経巻を懐に納めて舞った後、房前に手渡します。海士の魂が成仏を遂げたことがより鮮明に伝わる演出です。また、他流では作品名の表記は「海人」となります。

 

狂言 竹生島参

 召し使う太郎冠者が、自分に断りもなくどこかへ出かけていたため、主人は太郎冠者の家を訪ねて厳しく問い詰めます。すると、竹生島にお参りに行ってきたと言うので、島の様子を語ることと引き換えに許すことにしました。太郎冠者は、秀句(駄洒落や語呂合わせ)を巧みに盛り込みながら、島の様子を語るのですが…。

能 大蛇

 神々が住む高天原から地上に降りて旅する素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、出雲の国・簸(ひ)の川のあたりまでやってきました。そこで声を上げて泣き悲しむ老夫婦を見かけて、尊が訳を訊ねると、老人は脚摩乳(あしなづち)、その妻は手摩乳(てなづち)と名乗り、今夜、娘の奇稲田姫(くしいなだひめ)が大蛇に喰われてしまうのを嘆いているのだと打ち明けます。ふたりにはかつては八人の娘がいましたが、毎年ひとりずつ大蛇に吞まれ、最後のひとりとなったのがこの奇稲田姫でした。尊は大蛇退治を申し出て、姫と結婚の約束を交わします。そして、老夫婦に八つの酒槽(さかぶね)を用意させると、姫とともに川上の山に登って行きました。
 やがて轟音とともに出現した大蛇は、槽を満たす酒に映り込む姫の姿を生身の姫と思い込み、酒と共に吞み込みました。したたかに酔った大蛇に、尊が十握(とつか)の神劔(しんけん)を手に襲い掛かります。激しい戦いの末、ついに尊が大蛇を切り伏せると、尻尾から劔(つるぎ)が現れて、その劔は叢雲(むらくも)と名付けられました。

 

◎ 復興と文化 -阪神・淡路大震災から30年-

 阪神・淡路大震災から30年が経つ令和7年。被災地にまつわる能楽を取り上げるとともに、災害からの復興と文化との関係性を改めて見つめ直す企画です。

舞囃子 淡路

 淡路島を訪れた帝の臣下一行の前に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が現れ、颯爽と祝福の舞を舞い、国の繁栄を約束します。
 舞囃子は、能一曲の中でシテの所作や舞の見どころとなる部分を抜き出して、面・装束をつけず、地謡と囃子によって舞う上演形式です。

狂言 舟船

 西宮に遊山に出かけた主人と太郎冠者。渡し場で舟を呼ぶことになり、主人が「ふね」と言うと、太郎冠者は「ふな」と言うのが正しいと言い、口論になります。どちらも能や古歌を引き合いに出し自らの正しさを主張するのですが…。

能 芦刈

 家が没落し、心ならずも夫と別れることとなった日下左衛門(くさかのさえもん)の妻が、従者とともに津の国・草香(くさか)の里へとやって来ました。別れてから三年が過ぎ、今は高貴な家で若君の乳母として仕える身となった妻は、行方知れずになった夫を捜すため、しばらくこの地に留まることにします。そこに通りかかった芦売りは、従者に求められるままに芦や土地にまつわる故事を語り、「笠尽くし」の芸を披露します。様子を見ていた妻は、この芦売りこそ夫だと気づきますが、夫は零落した今の自分を恥じて小屋に身を隠してしまいました。妻の説得にやがて心を開いた左衛門は、小屋を出て、烏帽子直垂に着替えると、再会を祝って舞を舞います。そうして、妻とともに都へと上って行くのでした。

 

◎ 水面に浮かぶ老木の花

 令和6年11月に続いて、令和7年1月も「水面に浮かぶ老木の花」をテーマとした能・狂言をお届けします。在りし日の自身について語る老翁が見たものは…。

狂言 鏡男

 訴訟のため、故郷の越後を離れ都に滞在していた男。晴れて訴えが叶い、長らく待たせておいた妻のために鏡を買って帰ります。夫の帰りを大喜びで迎えた妻ですが、土産だと渡された鏡をのぞき込むと、いきなり怒り出しましした。妻の怒りの原因は、はたして何だったのでしょう?

能 実盛

 加賀国・篠原を訪れた遊行上人が、数日間に渡って説法を行っています。そこに毎日やってくる老人がいて、上人は言葉を交わすのですが、どうやら周囲の人々には老人の姿は見えていないようです。素性を尋ねる上人に、老人は、唐突に、かつてこの篠原で木曽義仲の軍に打たれて果てた平家の老武者・斎藤別当実盛の話をはじめ、「その実盛の首は、この池で洗われた」と近くの池を指し示します。そうして、自らが実盛の亡霊であることを明かし、姿を消してしまいました。
 夜になり、池水を照らす月光のもと、念仏で弔う上人の前に実盛の亡霊が現れます。池面に映ったその姿は、白髪を黒く染め、錦の直垂をまとった勇ましい出立(いでたち)。錦の直垂は大将のみが着(ちゃく)す決まりながら、最後の戦いを覚悟した実盛の願いに応えて、惣領・平宗盛が許したものでした。壮絶な戦の様子を語り舞った実盛の亡霊は、後世の弔いを頼みつつ、闇へと消えて行くのでした。

 

狂言 今参り

 太郎冠者ひとりしか召し抱える者がない大名は、新たな使用人を雇い入れることにします。街道に出て適当な人材を見つけてくるように命じられた太郎冠者は、たまたま通りかかった男に声をかけ、連れて帰ります。道中、今参り(新参者)の心得にと、太郎冠者は男に「大名の御眼鏡に適うには秀句を唱えて披露すると良い」と智恵を授けますが…。

狂言 祐善

 旅の僧が都の五条油小路に差し掛かると、にわかに時雨が降り出しました。近くの庵で雨宿りをしていると、祐善と名乗る亡霊が現れて、回向を頼み、消えてしまいました。不思議に思った僧が、このあたりの人に訊ねると、かつてここには日本一下手な傘張りの祐善という男が暮らしていて、今日はその命日だと教えられます。やがて、回向する僧の前に祐善の霊が現れて…。

狂言 金津

 越前の国・金津の里の男が、新たに建てた持仏堂に祀る地蔵菩薩を求めに都にやってきます。けれど仏師にアテがないので、「仏師、いませんか?」と大声をあげながら通りを歩いていると、すっぱ(騙り者)が目をつけ、近寄ってきました。そして、自分こそお探しの仏師だと名乗り、男から注文を取りつけると、明日、因幡堂で引き渡すと約束します。翌日、すっぱは自らの子である金法師(かなぼうし)を地蔵に化けさせて因幡堂に向かいます。受け取りにやってきた男は、出来栄えに満足し、地蔵を背負って国許へ帰って行きました。地蔵をひと目拝もうと人々が集まり、「金津の地蔵」と名付けて花を供えると…。

【文/氷川まりこ(伝統文化ジャーナリスト)】

 
●令和7年1月主催公演発売日
  • ・ 電話インターネット予約:12月10日(火)午前10時~
  • ・ 窓口営業日:12月14日、20日、25日、
            令和7年1月7日、9日、11日、17日、24日、29日
      国立能楽堂チケット売場窓口・自動発売機は国立能楽堂主催公演日のみの営業となります。
      詳細は「国立能楽堂 チケット売場営業時間のお知らせ(2024.11.30)」をご覧ください。
  国立劇場チケットセンター(午前10時~午後6時)
  0570-07-9900/03-3230-3000(一部IP電話等)
  https://ticket.ntj.jac.go.jp/
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