12月15日(月)開催 於 国立劇場伝統芸能情報館3階レクチャー室
次世代の文楽大夫のひとりとして注目されている豊竹咲甫大夫さんをお迎えして、あぜくらの集いを開催いたしました。聞き手は産経新聞大阪本社文化部編集委員の亀岡典子さんです。
実演も交えながら、入門から転機となったエピソード、文楽に対する思いまでたっぷりと語っていただきました。
1975年、大阪に生まれた咲甫大夫さん。祖父は文楽三味線の二世鶴澤道八、伯父は人間国宝の鶴澤清治という文楽一家に育ちました。物心つく頃から浄瑠璃やさまざまな芸事に触れる環境に育ち、4歳から小唄や三味線を習いはじめますが、お琴と三味線の稽古は大嫌いだったとか。そんな時、たまたま出演した関西の長寿演芸番組『素人名人会』で小唄を唄い、賞をいただきました。「賞金で自転車を買ってもらい、唄えばみんなに褒められ、祖父は大喜びで美味しいものばかり食べさせてくれて」とご本人が笑うように、子どもが「その気」になるには十分なきっかけでした。
幼い咲甫少年の憧れは、祖父が三味線をつとめていた四代目竹本津大夫師匠。当時、四代目竹本越路大夫と並ぶ文楽義太夫の両巨頭で、咲甫大夫さんは津大夫師匠の舞台に心を奪われていました。
「子どもながらに、津大夫師匠には圧倒される思いでした。〈劇場の空気を支配しているのは大夫なんだな〉、と。でも祖父が三味線弾きですから、自分から『大夫になりたい』とは言えませんでしたね」。
大夫への思いを密かに胸に抱いていた7歳の時、小唄の発表会で豊竹咲大夫師匠に出会い、大夫になることを決意。8歳で咲大夫師に入門します。咲大夫師以来30年ぶりに誕生した豆大夫は、師匠方にたいへん可愛がられたそうです。
入門から30年、今では文楽大夫の若手ホープのひとりとして活動する咲甫大夫さんですが、25歳前後で2度の転機が訪れました。まずは、1年間かけて稽古した『寺子屋』。自主公演で披露するために初めて取り組み、「圧倒的な難しさだった」と振り返ります。「息の吸い方と止め方、緊張と緩和、空気感のつくり方……。稽古をいくらしてもまったく前に進まず、恐ろしい毎日でした。あれ以来、浄瑠璃に対する向き合い方がすべて変わりましたね。〈こんなに結構なものをやらしてもらえて、(それができないのは)作者に失礼や〉という感覚がずっとあります」。大きな山と向き合い、研鑚を積んだ経験が、文楽大夫・豊竹咲甫大夫の土台を作り上げました。
また、以前はジャズやボサノバのCDを収集するなど多趣味で知られていました。ところが15年前のある日、父親の書斎でふと目にした『本職の中に無限の楽しみがある』という言葉に衝撃を受け、趣味を持たないことを決意します。「その言葉を見た瞬間に自分が恥ずかしくなりました。集めていたCDや家具などは人にあげたりして整理し、本を読むのは老後の楽しみにとっておこうと。趣味は楽しいけれど、本業がおろそかになっては本末転倒。三代目竹本大隅太夫は『文楽の大夫は浄瑠璃以外の趣味を持ってはいけない』と書き残していますが、〈こうならなあかん〉と思いました」。
亀岡さんも「人生と仕事が一体化する域まで行かなければ浄瑠璃は語れないものなのですね」と芸を究める厳しさに感じ入っていらっしゃいました。
近年では、現代美術家・杉本博司氏の演出による『杉本文楽 曾根崎心中』において、近松門左衛門の原文復曲に参加。また国立文楽劇場の夏休み公演では、新作『かみなり太鼓』にも出演するなど、新たな試みにも次々に挑戦しています。「伝統を守る人間は休んではいけないと思います。自転車にたとえるなら古典は後輪で、新作などの新しい試みは前輪。一所懸命漕いでいれば必ず前に進むはずですから、何をしてもすべて自分の身になります」。
舞台と稽古の合間を縫って、大阪の小学校で文楽を教える普及活動も十五年目を迎えました。その大きな目的は地元大阪の子どもたちに文楽の魅力を知ってもらうことです。「自分たちが生まれ育った土地の言語や文化の良さに気づいてもらうこと、あいさつの大切さ、全員でひとつのものを作り上げるための責任感などを学んでもらいます。夏休みが終わる頃には、子どもたちの顔がものすごくしっかりしてきますよ」。
自らの芸を磨くだけでなく、次世代へ文楽を広めることにも積極的な咲甫大夫さん。「竹本住大夫師匠が辞められる時に、『文楽のために発言し、文楽のために行動しなさい。そうすれば褒美はおのずとついてくる』と僕におっしゃったんです。だから僕は個人のためではなく、文楽のためだけに行動しようと心がけています」との思いを語られました。
「なぜ義太夫節は大阪弁でなくてはならないのか」を実証するための実演も交えながら、会場からの質問にも丁寧に答えてくださった咲甫大夫さん。舞台本番直後の疲れをものともしないエネルギッシュなトークに会場も沸き、充実したあぜくらの集いとなりました。
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