国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの集い
「国立能楽堂の復曲・新作の取り組みを辿る」

開催:令和7年5月17日(土)
場所:シアター1010(10階アトリエ)


 国立能楽堂では、昭和62(1987)年の第1回研究公演以来、歴史の中で埋もれていた能・狂言に再び息を吹き込む復曲や、全く新しい視点から創作する新作の制作を行っています。今回の「あぜくらの夕べ」では、多くの復曲・新作の制作に携わる小田幸子氏を講師に迎え、前半は小田氏による講話、後半は3月28日(土)に行われる企画公演・復曲能「名取ノ老女」に出演予定の武田孝史師をゲストに迎え、再演に向けた意気込みや見どころをうかがいました。

 


 

 

復曲・新作は時代を照らす鏡

 まず小田氏の講話では、明治以降に新たに台本が作られた「新作」と、過去に作られて今は上演されていない作品を舞台化した「復曲」の潮流についてお話しいただきました。  復曲は「古*こ*演出上演」とも連動している点を踏まえ、「台本・作曲(節付)・演出」という基本的な流れは新作と変わらないものの、復曲には研究的な側面が加わり、「古さプラス新しさがある」と小田氏は語ります。古典と現代を繋いで未来への展望を示し、「能とは何か、狂言とは何か」という根本的な問いを私たちに投げかける実験的な場であり、皆で議論しながら創り上げる過程が演劇として存続していく活力になるなど、復曲・新作は「時代を照らす鏡でもある」と小田氏は力を込めます。
 特に文楽三味線の音色に心惹かれた團七さんは、18歳で十代竹澤弥七に入門。四代竹澤団二郎を名乗り、翌年初舞台を踏みます。「当時文楽の三味線は5、6歳から始めるのが常識でしたから、遅い初舞台でした。一緒の初舞台だった今の鶴澤清治君は10歳下でしたが、あまりにも上手くて、この人にはとても敵わないと思いましたね」。尊敬する師匠に自ら入門を志願し、弟子入りが叶ったことが幸せだったと團七さんは振り返ります。
 昭和56年(1981)には四代竹本津太夫の相三味線となり、竹澤團七と改名。「師匠の竹澤弥七に半分でも近づこうと、弥七の〝七〟をもらって團七と名乗りました」

復曲上演の高まり

 昭和五十八年(一九八三)に開場した国立能楽堂の開場以前の基本構想は、定例公演、普及公演、特別公演のほか、春秋二回の研究公演(復曲・新作等)を掲げています。昭和六十二年(一九八七)以降、三十一作の復曲・新作の能・狂言を上演しており、当初は復曲作品が続きました。  この背景として小田氏は、昭和五十七年(一九八二)に法政大学能楽研究所が上演した「雲林院*うんりんいん*」を皮切りに、復曲上演の気運が各所で高まりを見せていたことを指摘します。スペクタクル能「大般若*だいはんにゃ*」、異色の修羅能「重衡*しげひら*」、小田氏がドラマトゥルクとして参加した台詞劇「治親*はるちか*」などのほか、古演出で上演された「葵上*あおいのうえ*」「恋重荷*こいのおもに*」などを例に、復曲と古演出上演は、「歴史を見直すことで未来に繋げていこうとする動きだったのではないか」と見立てます。  こうした流れの中で始まった国立能楽堂の復曲公演は、「古い時代の能を見てみたいという願望と、失われたものの中にある宝を掘り起こしたい気持ち、そして能の多様な豊かさを認識したかったのでは」と小田氏。台詞劇の復活、象徴化以前のリアリズム表現やスペクタクルへの挑戦とともに、人間の本能的な情念を見たい、演じたいという思いが復曲の興隆に繋がったと捉え、「新しい熱が生まれた時代」と振り返りました。

復曲・新作の多彩な取り組み

 続いて、国立能楽堂の復曲・新作の中から、映像を交えて解説していただきました。  平成三年(一九九一)の復曲能「当願暮頭*とうがんぼとう*」は、大幅な脚色と、声明など宗教行事の導入のほか、様々な試みが見られる初期復曲の総決算。平成七年(一九九五)の新作能「晶子 みだれ髪」は、歌人・馬場あき子氏が構成した詞章を役謡と地謡で分担し、近・現代劇に接近した実験的な作品。瀬戸内寂聴氏による平成十二年(二〇〇〇)の新作能「夢浮橋*ゆめのうきはし*」は、ビジュアルの華やかさとエロス的表現が特徴的で、再演を重ねる人気作に。小田氏が台本を手がけた平成二十二年(二〇一〇)の新作能「野馬台*やまたい*の詩*うた*」は、能と狂言の共演が見どころで、内容・演技ともに梅若六郎玄祥(現・実桜雪)師と野村萬斎師の対比が際立ちました。

祈りの能「名取ノ老女」

 後半は、シテ方宝生流の武田孝史師をゲストにお迎えしてのトークコーナーです。  宝生流は伝統的に謡の美しさを大切にしてきた流儀であり、「あくまでも謡で聴かせることを心がけています」と語る武田師は、東京藝術大学音楽学部邦楽科でも長年指導を続けて来られました。他流との顔合わせやオペラ公演への出演などの経験も豊富ですが、「能楽の中でもお互いの流儀の主張をしたうえで付き合うことが大事だと思っています」と話されました。  国立能楽堂の復曲能では、昭和六十二年(一九八七)初演の「武文*たけぶん*」初演にも出演された武田師。今回は、小田氏が台本・監修を手がけた復曲能「名取ノ老女*なとりのろうじょ*」の再演で、名取ノ老女を勤めます。熊野三山を勧請した名取の里に住む老女のもとに、熊野権現の使役神である護法善神が現れ、老女を祝福する物語です。  原曲「名取老女」は一五世紀に最古の上演記録が残りますが、長らく上演が途絶えていました。平成五年(一九九三)には堂本正樹氏が台本を手がけ、狂言方とシテ方が共演する「護法」として上演され、四世茂山千作師の老女が評判を呼んで上演を重ねました。  国立能楽堂で平成二十八年(二〇一六)に初演した「名取ノ老女」は、能の芸術性や可能性を探ってきた復曲上演とは意図が異なり、「(東日本大震災の)復興支援・祈りの能として、社会的な意味を持つ作品として創られました」と小田氏。「最後に奇蹟が起きて神が人間を祝福し、救済が訪れるというテーマは、宝生流に伝わる『竹雪*たけのゆき*』などにも通じますね」と話す小田氏に武田師も頷き、「御伽話的な要素もあります。今回は神楽舞をどのように舞うかなど色々考えておりますので、当日にお楽しみいただければと思ます」。  「名取の地に老女が熊野三社を勧請したように、能楽堂という小さな宇宙に中世や様々なものを呼び込んで、素晴らしい公演になりますように」と小田氏が願いを込めると、「型は控えめかと思いますが、老女の謡い分けを構築しているところです」と武田師。  国立能楽堂が取り組んできた復曲・新作の意義や変遷を深く学ぶとともに、祈りが込められた「名取ノ老女」の再演に対する期待も膨らむ「あぜくらの夕べ」となりました。

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