国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの集い
「竹澤團七さんを迎えて」

開催:令和7年5月17日(土)
場所:シアター1010(10階アトリエ)


 (株)コテンゴテンとの共催企画第3弾として「あぜくらの集い」を開催しました。ゲストにお迎えしたのは、現役最高齢の人形浄瑠璃文楽座技芸員、三味線奏者の竹澤團七さんです。ご案内役には古典芸能に精通する落語家の桂吉坊さんにご登場いただき、吉坊さんが絶妙な間合いで引き出す團七さんの楽しいお話に、会場は終始なごやかな空気に包まれました。

 


 

左から竹澤團七さん、桂吉坊さん

 

三味線の音色に惹かれて

 北千住にあるシアター1010で行われた5月文楽公演『芦屋道満大内鑑』「葛の葉子別れの段」での演奏を終え、颯爽と登壇した團七さん。昭和10年(1935)12月生まれで、今年12月には90歳の卒寿を迎えます。「今年は四苦八苦の89歳、誕生日が来ましたら軽率な卒寿になります」と、冒頭から軽やかな挨拶で会場を沸かせます。出身は愛知県名古屋市。義太夫好きの両親の影響で、幼少の頃から歌舞伎や文楽に親しむ環境でした。
 特に文楽三味線の音色に心惹かれた團七さんは、18歳で十代竹澤弥七に入門。四代竹澤団二郎を名乗り、翌年初舞台を踏みます。「当時文楽の三味線は5、6歳から始めるのが常識でしたから、遅い初舞台でした。一緒の初舞台だった今の鶴澤清治君は10歳下でしたが、あまりにも上手くて、この人にはとても敵わないと思いましたね」。尊敬する師匠に自ら入門を志願し、弟子入りが叶ったことが幸せだったと團七さんは振り返ります。
 昭和56年(1981)には四代竹本津太夫の相三味線となり、竹澤團七と改名。「師匠の竹澤弥七に半分でも近づこうと、弥七の〝七〟をもらって團七と名乗りました」

太夫の腹づもりを知る

 内弟子時代には弥七師匠が晩酌する横で正座し、師匠がぽつぽつ語る話に耳を傾けていたという團七さん。「それがお稽古になっていたんです。文楽では自分の師匠に直接ものを教わることはあまりなく、私が若い頃は床の上の御簾がいつも若い者でいっぱいでした。御簾で生の音を聴き、芸を盗むことが一番の教わり方なんです」。芸の伝承という点では落語の世界も同様で、吉坊さんも「はじめは師匠から教わることもありますけれど、ある程度になったら自分から〝取りに行く〟のは大事なことですね」と頷きます。
 また、弥七師匠が六代鶴澤寛治師匠の内弟子時代に、寛治師から「人の腹づもりがわからないのか」と怒られたことがあったという話の真に意味するところを、團七さんは「私が津太夫師の相三味線をつとめさせてもらうようになってからわかるようになりました」と語ります。「太夫の腹づもりをわかっていないと、文楽の三味線弾きはつとまらない。太夫に喜ばれなければ、かえって邪魔をしてしまうことになる。そんな難しい仕事を、私は気楽に70年やって来ました(笑)」

忘れられない味

  吉坊さんが「師匠は昔からよく〝一生修業〟とおっしゃっていますが、文楽のみならず色々なジャンルの方々との共演が昔は多かったようですね」と水を向けると、舞台・映画の双方で活躍した大スター、長谷川一夫との思い出や、歌舞伎の舞踊の演奏にもよく出演したこと、同時期に開場した国立劇場と帝国劇場(今年閉場した二代目帝国劇場)に掛け持ち出演したことなど、貴重なエピソードが次々に飛び出しました。
 師匠と一緒に旅公演に出る際には、自分用、師匠用、予備の三味線のトランクと、身の回り品を入れた4つのトランクを抱え、朝5時起きで一番列車に飛び乗り、毎日移動と本番を繰り返すハードなスケジュールでした。「今はトラックで荷物を運んでもらえるので楽ですよ」と團七さんは笑います。そんな旅公演の中でも、新潟から次の公演地に向かう早朝、大荷物の團七さんに宿の女中さんが持たせてくれたおにぎりの美味しさは今でも忘れられないそうです。「汽車のデッキにしゃがんで竹の皮の包みを開けたら、真っ白な三角のおにぎりが2つ。戦争中に育ったので新米のご飯なんて食べたことがなかったんです。その美味しかったこと。生涯最高の味の思い出です」

まだ青春真っ只中

  作曲や復曲にも意欲的に取り組む團七さんに、吉坊さんが作曲に対する思いを尋ねると、「演奏とは別の一から作る面白さがあります。自分の感覚で向き合えるので、難しいけれども楽しいですよ」。国立文楽劇場の親子劇場でおなじみの『西遊記』や、昨年5月にシアター1010公演にも登場した『近頃河原の達引』「道行涙の編笠」など、團七さんが作曲を手がけた作品は近年でも度々上演されています。「『西遊記』はシルクロードの雰囲気に近づけられたらと。また世話物の道行、特に心中物では色気を大切に作曲しました」
 このほか個性豊かな先輩たちの大らかな素顔など、吉坊さんが引き出す團七さんの軽妙洒脱なトークも、あっという間にお別れの時間に。「気持ちはまだ青春です。舞台に出ることが一番楽しいので、もう少し楽しませていただきたいと思っています」と最後を締めくくった團七さんに会場から温かい拍手が送られました。

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