- トップページ
- 国立劇場
- いとうせいこうによる 文楽の極意を聞く
- 竹本織太夫編(その2)
竹本織太夫編(その2)
竹本織太夫編(その1)よりつづく
織太夫:文楽は三業では太夫が一番とか言いますけど、じゃあどう見たらそれが分かるかというと、例えば本外題というのがありますよね。例えば、『仮名手本忠臣蔵』が本外題。そこから中ぐらいの字になって、今度は段名。
いとう:「殿中刃傷の段」とか。パンフとかに書いてありますよね。
織太夫:そうそう。で、段名の下に出演者の名前が出てくるじゃないですか。外題に近い方から太夫、そして三味線。横に線が引いてあって、下段に人形遣いの名前となります。
いとう:はあ、そうだね。
織太夫:人形でも右からずっと書いていって、最後になったら「大ぜい」って書いてあるでしょう?
いとう:書いてある、書いてある。
織太夫:だから、上段は太夫、三味線。一緒に出る三味線弾きのキャリアがいくら上でも、太夫が先に書かれます。口上でもそうですよ。
いとう:あ、確かにそうだね。
織太夫:床は「相勤めまする太夫、何々太夫、三味線、何々」ってなって、そして「人形出遣いにて相勤めます」という口上になる。
いとう:ああ、そうか。
織太夫:口上の順番としては、本外題、段名、太夫、三味線、人形なんです。
いとう:戯曲も分かりやすいから戯曲が上に来ているというよりは、こうやって床本を掲げて頭下げちゃうぐらいだから、
織太夫:戯曲を奉るというかね。
いとう:作品に対するすごいリスペクトがありますよね。
織太夫:リスペクトがあります。文楽で戯曲を上演するということに対して一番重きがあるのは、どうしても太夫じゃないですか。
いとう:なるほど。読んでいるんだからね、そりゃあね。
織太夫:はい。例えば、人形の「頷きの糸」の糸が切れて、かしらが下がってしまう状態になっても太夫は語り続けられますし、三味線の三の糸切れたら二の糸で対応して、二の糸も切れたら一の糸で対応して、一の糸が切れたら舌噛んで死ね、なんてくらいのことが言われるじゃないですか。
いとう:あ、そうなんだ。激しいな(笑)。
織太夫:というぐらいですけど、もし三味線の音がなくなってしまったとしても、太夫が語ってさえいれば芝居は成立するのかなと。
いとう:それだけ中心なんだということだね。今までの対談ではさ、例えば声の出し方とかさ、メロディーとかね、そういうことをちらちらとお伺いしていたんだけど、僕は秘密で、咲甫太夫時代だけど、お稽古をつけてもらっていた時は、気持ちというか、どうそれを表現するかということに対する、何というのかな……自分としての重きの置き方、それから稽古を何度も何度も何度でもやっていたことを教えていただきました。あれを今日は聞きたいなと。
織太夫:はいはい。
いとう:一番最初に僕がびっくりしたのは、まず白い扇子で止められて、
織太夫:張り扇でね。
いとう:ええ、真正面にいる師匠にパシッと机を叩かれて止められてさ。僕30幾つか40幾つだったか忘れちゃったけど、「奥を窺ふ長袴の」って「殿中刃傷の段」でしたよね。
織太夫:はいはい。
いとう:「待ってください。その奥を窺っている人が何メートル向こうで窺ってるかがまず全くわからない」と言うわけ。これは気持ちよりも、まずは声が説明をしてないって言ってるわけですよね?
織太夫:息の問題ですよね。
いとう:うんうん。
織太夫:だから、僕たちは普通にしゃべっているときも、ここ、そこ、あっち、向こう、っていうふうに息が変わっているんです。普通、人がしゃべっているときって息が変わっているんですよ。
いとう:言葉が含む息の量とか質ですね。
織太夫:「眼鏡どこ?」って言ったら、「そこや」「そこってどこや?」「そこってそこや」「いや、あっちやったかな?」「あっちやったか」みたいな。
いとう:ちょっと遠かったり近かったりの表現ね。
織太夫:という話ですよね。
いとう:そうそう。
織太夫:これが語りで表現できないといかんという話です。だから、松の廊下での「向こう」っていうのが20メートルだとすると、その息で20メートル届くのかと。爽秋文楽公演で私が舞台でやっていたのは『曾根崎心中』お初ですけれども、顔がこのすぐ近くにあるのか、1メートル50センチなのか、3メートルなのか、例えば「おーい」って言っても、これが何メートルかというのを考えているんです。
いとう:それが適切じゃなかったら全く伝わらない。
織太夫:そうです。
いとう:人形を観てても、何か変だなってお客が分かっちゃうという。
織太夫:あとせいこうさん、今思い出しました。「奥を窺ふ長袴」で、長袴が引いてない、っていうのもありましたね。
いとう:ああ、そうそうそう(笑)。「長~袴~」なんて言わないと、袴が動いていないじゃないかって、引っ張ってないじゃないかと。
織太夫:袴をザッザッザッザッという感じで、「奥を窺ふ長~袴~」って。
いとう:そうそう。
織太夫:ザッザッザッザッっていう、この足取りが見えない。
いとう:うんうん、そうです。
織太夫:気持ちの方がバッと先に行くから、「おのれ師直」って言う時でも、「おのれ」よりも息の方が先に出なきゃいけない。
いとう:声より先にね。
織太夫:そうそう。声よりも息が。そうしないと段取りになっちゃうから、芝居が。
いとう:だから、芝居、演劇としてずっと鍛えられてきた伝統があるんだなということがよく分かったんですよ。
織太夫:師直に判官が斬りかかるのを本蔵が見てる時もそうでしょ。「御次に控へし本蔵が」とかね。
いとう:そうそう。
織太夫:じっと見てる方もね。
いとう:本蔵の声は小さくなきゃおかしいし。
織太夫:「御次に控へし」やから、これが目の前に出てきちゃいけないんです。
いとう:うんうん。で、後ろの小さい衝立みたいなところにいるんだもんね、実際ね。
織太夫:そうなんですよ。
いとう:そういう具合に、織太夫さんが自分で稽古をしていて、どうしても言えないというか、納得できないせりふがあって、何度も何度もやっても、自分が、多分師匠もそれ許してくれなかったんだと思いますけど。そしたら、何線だっけな、どっかの電車の中で急に、「あっ、これだ!」と思って、でっかい声で言っちゃったって話なかったっけ?
織太夫:ありました、ありました。
いとう:あれ、面白いんだよね(笑)。
織太夫:「コレ人でなし卑怯者」かな?
いとう:ああ、そんなようなことだったかも。
織太夫:それは電車の中ではなかったんですけど、電車の中で言ったのは何だったっけな……「本蔵下屋敷」(『増補忠臣蔵』)か。
いとう:だったかな。
織太夫:そうだ、思い出した。距離感が掴めていなくて……「何も慌てる事はないぞ」、これです。「何も慌てる事はないぞ」。
いとう:そうだ、そうだ(笑)。それだよ!
織太夫:これですよね。稽古で「何も慌てる事はないぞ」って語っても、師匠から「違う。ちょっと違う」と言われる。そうそう、京阪電車ですよ。京阪電車で淀屋橋、北浜、そこから、暗闇から上がって、京橋に上がってぱーっと光が入った瞬間に何かがふっと降りてきたんですよ。何か降りて「何も慌てる事はないぞ」。それがパッと入って、それを本息で。
いとう:本息で言っちゃったんだね。
織太夫:全然知らない隣の人に向かって「何も慌てる事はないぞ」。
いとう:あははは(笑)。
織太夫:本息でやったんですよ(笑)。何かふわーってこうなって。
いとう:すごいよね。
織太夫:井浪伴左衛門の詞(ことば)ですよね。あれが、ふわーっと降りてきたんですよ。その瞬間にやったんですよ。
いとう:でも、それを言ったら“掴む”から、あとはもう大丈夫なんだろうね。
織太夫:言った瞬間に正解って分かるんです。
いとう:分かるんだ。こんな言い方なんだって。
織太夫:たしかその後、清治師匠の稽古だったんです。咲太夫師匠の稽古が終わって、そのまま天満橋に行って、それで京阪乗って清治師匠のお稽古に上がる時に、ああ、違う違う違う、どうやったら分かるのかな、ずーっと考えていて。咲太夫師匠の口癖で、「便所入っても、風呂入っても言うとけ」って(笑)。師匠、僕が言えなかったらそう言うんです。
いとう:へえー、そうなんだ。
織太夫:それは電車バージョンなんですよ。さっきの、これは『菅原伝授手習鑑』の「東天紅の段」のところで、「コレ人でなし卑怯者」というのがあるんですよ。シチュエーションとしては、口に手を当てられて言うわけです。立田の前が宿禰太郎に口を塞がれて、「コレ人でなし……」と。これを、語る姿勢のままやるんですね。
いとう:はいはい、そうね。そうだわ。自分で口に手を当てちゃいけないもんね。
織太夫:やっちゃいけない。このせりふの稽古をトイレでずっとやってたんですよ。しかも僕、実家が旅館でしょう?2階のトイレにいたんです。1階は家族しかいないんですけど、2階だと旅館の仲居さんが2人いたんですよ。
いとう:お客もいるの?
織太夫:お客さんはいない。お掃除とか色々やってくれている仲居さんがいたんだけど、僕が女性の役の声を出してるから、女の人がトイレの中で襲われていると思って、「大変!誰か!」とか家族に言って(笑)。
いとう:あははは(笑)。
織太夫:それを僕はいきなり何もなしで、トイレで「コレ人でなし卑怯者」っていうのを本息でやったんでね。
いとう:「卑怯者」って、普通に言っても、言えるっちゃ言えるせりふなんだけど。
織太夫:「コレ卑怯者」って大きな声出されて、口を塞がれる。だから途中からこっちの端の方だけ閉じるんですよ。音が変わる。そうして「卑怯~者~」って言う。今考えると、めっちゃ面白いんですけどね(笑)。
いとう:何度聞いても笑える(笑)。でもさ、ほかにも重要なせりふはありそうなものじゃない。それでも、一つ一つのせりふにそういうふうにきちんとした納得がないと、先に進めない。だから、やれるまでずーっとやっている。
織太夫:そんなんばっかり。僕は学校出て、すぐ毎日舞台に出るようになって、稽古でさっきの『菅原伝授手習鑑』の「東天紅の段」をその前の「杖折檻の段」からやりなさいって言われて。時間的には45分くらいかかって、キャリアのない者にとっては大変ですよ。
いとう:うんうん。
織太夫:言ってみたら、このぐらいの距離で土師兵衛は座っていて、宿禰太郎は立っている。「親人御首尾は」「コリヤ、シイ」ってやりとりがあるわけですよ。「件の物は参りしか」「倅、気遣ひ仕るな」なんていうのを、座ったままやるわけでしょう。だから、座って語りながら、人形がどういう位置関係でやりとりしているかも表現しなきゃいけない。
いとう:下から上に話しかけてるよね。
織太夫:上から下と、下から上に向かってがあるので、僕は座ったままにして、距離感や言葉の向きというんですかね、それが違うように語らなきゃいけない。
いとう:どんどん変わっていく。
織太夫:これを延々やっていた、1人で。
いとう:それ今もすぐ出るじゃないですか。細かく細かく細かく詰めて、一行ずつできるようにしとく。本番になるとそれがつながって長くなるわけじゃない、延々でしょう?それの連続なわけでしょう、太夫がやっていることというのは。
織太夫:そうなんです。だから僕がすごくありがたいと感じているのは、師匠に恐ろしいほどの稽古を、この2メートルぐらいの距離でばんばんつけられるんですよ。笑いにしたってそうです。例えば込み上げてくる笑い。「うわーっはははは」って、マグマが噴き出てくるような、そういう笑い。「アハハハ」じゃない。そうじゃない。こういうのを延々、思いついたらやっちゃうんですよ。公園とかで周りに人がいないなと思うと、そういうことをばーっとやるんですよ。でも後ろにいたりとかして、笑われたりもする。太夫って面白い生き物ですよ。
いとう:それはほかの人もそうなんだ、やっぱり。
織太夫:千歳さんはそうらしいです(笑)。
いとう:千歳さんもそれやっちゃう。
織太夫:千歳さんはやってるって聞きました。
いとう:やってる(笑)。
織太夫:誰かが千歳さんを見かけたら、(語りながら)手まで動いてたらしいです(笑)。僕も手までつきますけど、太夫の習性ですよね。
いとう:すごいよね、その集中力。一日中考えてるって言っても過言じゃないわけね。
竹本織太夫編(その3)へ(つづく)
12月文楽鑑賞教室は12月18日(木)まで!
チケット好評販売中
国立劇場チケットセンターはこちら※残席がある場合のみ、会場(東京芸術劇場プレイハウス)にて当日券の販売も行っています。
公演詳細はこちら





