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国立劇場
いとうせいこうによる 文楽の極意を聞く

鶴澤清志郎編(その5)

鶴澤清志郎編(その4)よりつづく

いとうさてさて、何かとんでもない連載を始めてしまったなという(笑)。深過ぎるよ、これ。

清志郎どうなんですかね。言語化できるような教わり方してないから、僕も言語化できない。

いとうそうなの。そこがまた面白いね、本当に。

清志郎具体的に伝えようとすればするほど、何かこう違う。

いとう何か違うこと言ってんな俺みたいな。じゃ、調弦と同じじゃない。言っちゃったもののみたいに感じて、表現を変えていく。こっちもね、近づいていくしかないから。本当のこと言ったら、ここにクラシックのヴァイオリンの人と、何とかの人と何とかの人が何人かいれば、「あっ、それは僕の場合はこうです」って、「あっ、そうなんだ、やっぱりオーケストラはそうやるんだ」とか、「うちはこうやっていますよ」みたいなことがあるかもしれないけどね。

清志郎そうですね。音楽の素地が全くないので、そんな音楽好きで入ってきてないんで。

いとうあはは。だって、三味線好きじゃないんだから、しょうがないよね(笑)。

清志郎五線譜も読めないし。

いとうすごいねえ。

清志郎全くわからない。

いとうでも、それはかっこいいよ。ブルースのね、アメリカ南部のおじいちゃんたちがやる音楽。譜面とかが読めるとは到底思えない人たちの、調弦が狂っているとしか思えないブルースがかっこいいもんね、やっぱ。そんなとこ行くんだ!という。解決しないんですよね、音が。解決するってつまんないよね。俗っぽい。

清志郎かもしれませんね。

いとううん。わかるところの音で終わるとか、何かこう歌謡って感じの。がっかりするけど、でも、やっぱり三味線にはそういう、「あれっ、大丈夫なのか、不安だけど」ぐらいの気持ちを味わわせてくれる良さがある。うん。

清志郎まあ、音階もちょっと西洋とは違うというのもあるかもしれませんけど、そういうのに馴染み切らないのも、弱点かもしれないけど、強みでもあるのかなというのはありますし。懐がすごく深い芸能のような気がしていて、どこかに1個、誰も負けないものがみんな1人ずつある。

いとうそれは三業ということじゃなくて、もっと個人個人でってこと?

清志郎そうですね。三味線弾きが作品の中に入っていけば、この人物のこの音は。

いとう誰にも負けない。

清志郎負けないというか、この人のほうがいいとか、そういうことも生まれてくるんで、全部が絶望的に駄目なわけじゃなくて、「ちょっと姫は弾けないけど、武士はできる」とか、「無骨なのは無理だけど、柔らかい感じはすごい」とか、そういう逃げ道って言っていいのかわかりませんけど、そういうこともどこかに準備してもらえる。懐が深い芸というか、芸能。

いとうそう。芸能というか、作品というか、分野というか。

清志郎そうですね。三味線の持つちょっと曖昧な部分も、鷹揚に何かを許してくれるところがあって。

いとうなるほど。

清志郎絶対こうじゃなきゃ駄目なんです、ってことはない。

いとう理想的な社会じゃない、それ、つまり。

清志郎多様性を売りにできますね(笑)。

いとうそうだよ(笑)。人形浄瑠璃こそが世界に求められるべき多様性の一番いいやり方、在り方。

清志郎そうですね。

いとう「誰かはどっかで光るよ」「聴いててごらん」っていう。

清志郎そうなんです。それもあって続けられるといいますかね、古典という、何だろうな……自分よりうまい人が多過ぎて、全体としては勝ち目がないけど、でも、ここには1つ救いがあったというのがどっかにあるので続けられる。

いとうお客さんもそれを探しに来ればいいということだね。

清志郎そうなんです。この人のここが、みたいな。

いとう「あそこ、あの一音がいいんだよ」って、何だか説明もつかないって。

清志郎そうです、そうです。

いとう何であんな音出すんだろうと思うけど、納得しちゃうんだよという。

清志郎そういうところもあっていいんじゃないかというか、あってほしいですよね。

いとうそうだね。

清志郎下手だけどいい、という。

いとうブルースもそう。

清志郎そういう良さもありつつ、もちろん全体的に天才的な演奏家も必要ですけど。

いとうもちろんいるけど。

清志郎そっちのブルースのおじいちゃんも生き残れないと、この芸能らしくないというか。

いとうそうそう。例えば音楽でいえば幅が出ないしね。で、作品として、文学としても解釈が、ちょっとこの解釈でいいのかなと思うぐらいのやつが、5年後見たときに、「あっ、そういうことか」って思うときあるからね。それは見ている側も変わっているし、相手も変わっていくから、お互いの調弦が、ほら、ちょっとずつ変わっているから、いつか出会う場合があるじゃない。

清志郎どっちも動きながらですからね。

いとうそう。でも、完璧なものを完璧なもの同士が渡し合ってるって、そんなさ、株価じゃないんだからさ。数字じゃ表現出来ない。

清志郎そうですよね。昔、何とも思わなかった人の演奏が、突然、急に響き出すということもあると思います。

いとうやっぱりあるんですか?

清志郎あると思います。お客様にね。

いとうそうだよね。

清志郎きっと動いている間に。例えば、「ちょっともうそういうあまりにも息詰めたしんどいのもう要らん」とか。

いとうはいはいはい。そうそう。緩いぐらいがいいわー、とか。

清志郎とかね、きっと移り変わっていくんでしょうけど。

いとうそうだね。

清志郎そこにどこかにみんな1個、救いが残るところもありがたいですよね。

いとうこれは清志郎くんとの対談の第1回なんだと思うんだけどさ。俺、何度か呼び出すと思うから(笑)。

清志郎そんなに経験積んでないんで、話すことも……。

いとういやいや。でも、自分の言葉でしゃべってくれるから。前回の千歳さんも言っていたけど、僕は言っちゃったからあれなんだけど、イキと間の問題みたいに、そういう専門的な言葉で言ってしまうほうに行っちゃうと、本当のことがわからなくなるんですよねって。そういう言葉をむしろ警戒していたわけ、千歳さんは。素晴らしい考え方じゃないですか。つまり、そういうことじゃない?

清志郎そうですね。

いとう言えないから、今日も練習するんでしょう?

清志郎そうなんです。そうなんです。そう。そのとおりです。模写を続けるということになるんですけど、個性というのを求めない。できるだけ師匠というお手本に似たものになるように整えていって、真似して、真似して、真似して、そこからはみ出した少しだけが個性になる。うちの師匠もそうおっしゃる。

いとうああ、やっぱりそうですね。

清志郎最初から個性というのを求めに行かせないというのもいいなあと。

いとううんうん。制度としてね。

清志郎そうなんです。だから、それがこの古典の良さというんですかね。

いとうそうだよね。それこそ体が違うから音が違うわけだから。どうしたって自由を与えたら、いくらでも違っちゃうわけだからね。

清志郎そうですね。

いとうそうなったら合奏もできなくなっちゃうし、ましてや、ほかに太夫と人形遣いもいるんだから、この芸能は。三味線だけじゃないんだから。

清志郎みんなが1つの何かレールにきっちり乗るつもりで、そこからズレるというのを求めていない。みんな好き勝手に走り出したら、バラバラになりますからね。そこは古典のありがたさというか、データの詰まったものが僕らに受け渡されているので、これまでそれをつないでくださった何代もの方々が頑張って、その人たちが考えたものが僕らの手に乗っかってきて、これをそのまま演奏すれば十分、真似できさえすれば、それで十分いいものはできる。

いとううん、いいものがある。

清志郎そこに、僕がこれから何年生きていくかわからないですけど、自分の人生ではもう到底辿り着けないものを最初にがんっと渡してしてくれているので。

いとう渡されちゃった。

清志郎だから、スタート地点はすごい早いということになりますよね。

いとうなるほど、なるほど。

清志郎一からこれを考えるっていうのはちょっと……。

いとう考えて、ここはどう弾くのかな、ここはどう弾くのかな、じゃないもんね。

清志郎はい。

いとう流れは来てるもんね。

清志郎まず、そこに挑んでいくという部分があるので、そういう点で言うと、面白い疑似体験ですよね。自分の人生だけでは全然届かないところを。

いとう何世代も経験して。

清志郎そうなんです。それを渡してもらって、それを聴きながら、弾きながら、「ああ、これ恐ろしいことが起こっているな」というのが。

いとう「そんなことがあるな」みたいな。「あっ、それでか」みたいな。

清志郎そんなふうに教わることも多いですよね。弾いているうちに、曲から教わること。

いとう弾き方が自然にわかってくる。

清志郎はい。曲が僕を弾けるように導いてくれるような体験も。

いとううわー、すごいねえ。やっぱそうなんだね。

清志郎材料は多いですよね。自分を成長させる材料ですよね。ちょっと追いつかないところがあるんですけどね。

いとういやいや、そんな、そんな簡単に追っついてもらったらさ、こっちも長生きして聴き続けようって気にならないから、どうぞ存分にお迷いください(笑)。

清志郎そうですね(笑)。

いとうそうだよ、それが生きてる楽しみなんだよ、俺は。いつも同じだったら本当に生きてなくていい、もう死んじゃっていいんだもん。「あ、同じこれが続くのね。ザッツオール」ということになるから。

清志郎頑張ります。すごくシンプルで正直なんで、作品も、うちの師匠の芸も。だから一番難しいんですよね。人間としてこう、何ていうんでしょう、一番大事なんだけど、一番入り込めないところにいてはるので、そこがちょっと。

いとう透明なのね。

清志郎はい。簡単というか、いや簡単じゃないんだけど、当たり前なんだけど。

いとうすごい個性があるわけじゃないから、そこを真似してというわけじゃないんだという。

清志郎そうなんですよね。ただただ正しい、としか言えない。

いとういや、それは大変だわ。それは。

清志郎お坊さんが修行して真理に近づいていくような状態なんだと思いますけど。

いとうそうなのかもしれないですね。毎日毎日、座禅組んで、うーん、まだわからない、まだわからない、っていう。

清志郎そうなんでしょうね。

いとうわかって死ぬのかどうかも、もちろんわからないという。

清志郎幅広いテーマを与えられているわけじゃないんですけど、シンプルなものを、刀を研ぐみたいな。

いとうそうだね。

清志郎フリーハンドで直線や真円を描くというぐらいの難しさですよね。

いとうすごいね。いや、面白い、面白い。

清志郎恐ろしいです。

いとういや、でも、これは嬉しいですね。こんな話を発表してもらえるから。まずここまでの話はなかなか聞かないじゃない?

清志郎そうですね。

いとうまあ、2回目もありますから(笑)。

(了)

2月文楽公演は
2月8日(土)から26日(水)まで!(17~19日を除く)

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※残席がある場合のみ、会場(きゅりあん大ホール/文京シビックホール大ホール)にて当日券の販売も行っています。

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