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竹本千歳太夫編(その3)
竹本千歳太夫編(その2)よりつづく
千歳太夫そうそう。それと、教えてるとつい、イキとか間とか、テクニカルターム(内輪の用語)を使いたくなっちゃう。
いとう分かりやすそうだから。
千歳太夫ところが。
いとうそんなんじゃない?
千歳太夫うん。テクニカルタームって使い方が難しいじゃないですか。テクニカルタームに頼りがちというかね。
いとうあー、なるほど。
千歳太夫これ、難しいですよ。だからその人にとって分かりやすい言葉に変えなきゃいけない。
いとうちゃんと具体的な何かを言わなきゃいけない。
千歳太夫そうなんですね。
いとうそうしないと、「イキが違うぞ」って言われても、「何のことだろう?」って分からなくなりますよね。
千歳太夫「間が違うだろ」って言われても、分かんないじゃないですか。
いとう確かに。でも、そのすごく理知的な感じは千歳さんらしいとも思うし、越路さんらしいとも思うんだけど。それは1つの流れなんですかね。そうじゃない人たちもいるわけでしょ。
千歳太夫浄瑠璃を語るにおいてですね、必須じゃないかとは思うんですけどね。やっぱり、決まりはあるんですよ。その決まりがまだ分からないってことはあるんだけど、決まりは分かってるのに言えない、ということもあるしね。
いとうああ。
千歳太夫細かいこと言い出すと、もう本当に専門的になっちゃうんで。
いとういやいや、ちょっとだけでも専門的なのやってくださいよ(笑)。
千歳太夫そうですか。
いとううん。
千歳太夫じゃあ、ちょっとだけ専門的なことも。(野澤)錦糸さんと一緒に素浄瑠璃を解説する会があって。
いとうああ、ありましたね。
千歳太夫色々ね言ったんですよ。それでね、「イロ」っていうのがあるんですよ、節の言い方でね。それで「中(ちゅう)」っていうのもあるんですよ。解説で語ってみて、「分かりますか?」って言ったら、僕の言い方もうまくないのかもしれないですけど、ほとんどのお客様が分からない(笑)。
いとうそれは分からないですよ。でも、イロか中かってことは、太夫であるならば全員分かって語ってるってことですか?
千歳太夫そうです。
いとうイロができているかどうかは別として。
千歳太夫教える方はちゃんと説明しなきゃダメですよ。説明して、実演ができなきゃダメです。
いとううんうん、「これがそうだ」と。ちなみにイロってどんな感じなんですか?
千歳太夫やってみますよ。「状の封じを切るところへ」って、こう言ったらイロです。
いとう今のがイロ……。
千歳太夫「状の封じを切るところへ」(イロよりもテンポが遅く、抑揚がついている感じで)って言ったら、中です。
いとう難しいー(笑)。そうか、でも中の方が言葉に引っ掛かりがある感じ?
千歳太夫音がついてるんですよ。イロっていうのはやっぱり棒読みなんですよ。
いとう普通に語るって感じになるのか。むしろ色がついてない方がイロなんだ、イメージとしては。
千歳太夫そうです。「詞(ことば)」に移る寸前っていうかね。橋渡しですから。詞という旋律に移るちょっと前。
いとうちょっと前段階の?
千歳太夫そうなんです。
いとうで、「行きますよ」って感じを示しながら。
千歳太夫そうです。「詞」って要はセリフなんですけど、浄瑠璃の場合はご存じのとおり、 セリフである場合にも節がついてくるじゃないですか。
いとううん
千歳太夫義太夫節の大きな特徴なんですけどね。そういうことがあるので、地とか地色とか、色々あるんですけど、そういうのをきっちりと……。
いとうト書きからセリフに行くところと、セリフとでは違いますもんね。そうすると、イロとか中とかを使い分けていくってことになるんですね。
千歳太夫そうです。で、節が、旋律がついて、高い低いなどもあって、一曲がまとまっていくわけですね。
いとうその1つ1つを学んでいくっていうことが、日々の稽古?
千歳太夫そうですね。基本の「き」。でもね、なかなか、毎日やってるとね、そういうのが一番疎かになります。
いとううーん、そうなんだ。
千歳太夫「基本に返れ」ってよく言われますけど、本当にその通りでね。
いとううん。
千歳太夫「文章を語るんだ」っていうことですよね。
いとう浄瑠璃ってもっと難しいことも細かいこともたくさんあって、それから気持ちの入れ方とかもあったりして。
千歳太夫そうですね。
いとうあらゆる解釈があるわけじゃないですか。それで千歳さん、これもうやだなって思ったことはないですか?もうこの世界嫌だなって。
千歳太夫「嫌だな」はないな。
いとうで、ないんだ?!好きなんだ、本当に。
千歳太夫嫌になる時もあるけど。
いとううん。
千歳太夫浄瑠璃を聴いているうちに気が晴れたりする。
いとううわ、すごい!聴いたりって、何か他の人のをですか?
千歳太夫他の方のでも、師匠のでも。例えば師匠が舞台前に気が立っていて、怒られるじゃないですか。そうすると「嫌だな」って思うんですけど、一段終わるでしょ?
いとううん。
千歳太夫それ聴くと、「やっぱり浄瑠璃、ええな」と思うんです。
いとうはあ、すごいなあ。
千歳太夫病気です、病気(笑)。
いとうすごい。その愛みたいなものは何なんでしょうね。やっぱり、その深みがすごいっていうことなのかなあ。
千歳太夫そうですね、浄瑠璃を表現しようとしてきた何千という方が、それぞれ関わってきた訳じゃないですか。その思いを辿るって言ったら生意気かな。「なんでこんな節がついたのかな」とか、そういうこと考えていると、面白いですね。
いとうへー……。
千歳太夫「なんかこれおかしい」「なんでこういう言い方するのかな」と思うんだけど、「ああ、なるほどな」ってなるんです。やっぱりね、越路師匠はじめ、山城少掾、綱太夫師匠、津太夫師匠、そういった方々の演奏を伺うでしょ。そうするとね、「なるほどな」って。
いとううん。
千歳太夫今までずっとスルーしてたところが、ちゃんと考えて言ってんだって気づくんです。節穴みたいな耳と思いますね(笑)。
いとう自分のことを?
千歳太夫これだけいろんなことを考えて言ってるんだ、って考えさせられることがあります。
いとうだからさっきはああ言ってたんだ、そういうことだから今はこう言ってんだ、ってことが見えてくる?
千歳太夫そういうことがあります。なんで言い方変えたのかな?とかね。何か思いとか、きっかけがあって、言い方変えるんです。
いとううんうん。
千歳太夫思いつきで変えてる訳じゃない。いくつもパターンがあって、その中で思いついて変えるってことはあると思うんですけど。
いとうはい。
千歳太夫今日はこういう風に語ってきちゃったから、ここはこう言わなきゃダメだってこともあるんです。
いとうそうじゃないと、その人物が違っちゃうからとかってことですね。
千歳太夫そうですね。でも、出たとこ勝負であることだけは確かですよ、浄瑠璃語ってて。
いとうどういうことですか、それは?
千歳太夫体調もあるじゃないですか。
いとうああ、そうかそうか。その声がたまたま出なかった、ちょっと思ってたのと違う、ってことだって当然、その生きてる人間のやっていることだから、さっき言ったように舞台のことだから、違うこともある。
千歳太夫それと、やっぱりこう客席との行き来ってあるんだよね。不思議なもんで。
いとうなるほどなるほど。
千歳太夫どんなにお客さんが少なくても(笑)。
いとうそれでも(笑)お客さんが空気を作ってくることってありますもんね。
千歳太夫あるんですよ。でも、頼る訳じゃないですよ。
いとううん。
千歳太夫こっちがプレゼンしなきゃ、向こう(お客さん)は来てくれないんだけども、そのきっかけを作っていくっていうのは、楽しい作業ではありますね。失敗もしますけど(笑)。
いとうあはは。
千歳太夫失敗の連続(笑)。
いとうでも、それは本当は全然落ち込むようなことじゃない。ないんだけど、でも落ち込むことは落ち込みますよね(笑)?
千歳太夫そうですね。で、ダメなんだなと思うと、大概の芸人は他のことのせいにしがちなんだけど(笑)。
いとうあはは(笑)。
千歳太夫だけど、ほとんど自分のせいだね(笑)。
いとう偉いなあ、千歳さん(笑)。
千歳太夫いえね、他に良くないところを探すんだけど、結局、俺が悪かったってことになる(笑)。ほとんどそうなる。
いとうほとんどなる?
千歳太夫ほとんどなります。自分の体調が良くなったんだなとか。怒ってる時でもそう。
いとう怒ってる時?
千歳太夫弟子に怒ってる時もそう感じますね。自分の気分で怒らないように、そういうことがないようにしてるんだけど、怒っちゃって、「しまった」って。
いとうここは怒るとこじゃなかったな、とか。
千歳太夫そうなんですよ。それが成功すればいいけどね。やっぱり昔の人ってね、なにかと怒ってたじゃないですか。確かに、そういう部分もあったと思うんです。自分の不足を投げつけるというか。でもね、考えて怒ってる時もある。
いとううーん。
千歳太夫わざと考えて怒ってる。いわゆる「かましてる」っていうかね。なんだけども、わざとかます時もあると思う。年取った方だって、怒られてやってきたに違いないんだから。
いとうそうか。
千歳太夫怒られたらどういう気持ちになるぐらい分かってる。
いとう分かってやってるんだと。ていうことは、千歳さんは芝居の人物の流れのことも考えてるけども、実際にそれを人に教える時の流れも考えなきゃいけないってことですよね。
千歳太夫考えますね。
いとう全部考えてなきゃいけない。
千歳太夫そうですよね。だから、人生について考えてることが浄瑠璃で出ちゃう。
いとうやっぱりそれが出ると。
千歳太夫そ出ざるを得ない。良きにつけ、悪しきにつけ。
いとううーむ。
千歳太夫で、お客様が同じこと考えてるんだなと思ってくだされば、なんて言うか、贔屓ってなりますけど、全然別のことを考えてる人だっているじゃないですか。だから、そういう人たちにも分かっていただく必要はないんだけども。
いとうでも、これはこうでもあるかもなって思わせないと、やっぱりダメでしょ?
千歳太夫わそう思ってくれるようにはやりたいんですけど。
いとううん。
千歳太夫でもね、年取ってきたらだんだん了見が狭くなるんだよ、せいこうさん(笑)。
いとう自分っていうものが?
千歳太夫 うん。
いとうそれは困りますね。ちょっと教えてください、先輩。僕もそれはすごく怖いです。了見を広く広く持とうと思ってやってきたけど、やっぱり狭くなっちゃうもんですか。
千歳太夫なる。
いとう気をつけないと。
千歳太夫 気をつけていてもなる。だから反省ってあんまりいい言葉じゃないんだけど、なんとかね、いいものを後輩に伝えたいんじゃないですか。
いとうもちろんもちろん。そうですよね。
千歳太夫 「無理でした」でいいんだけど。
いとううん。
千歳太夫 「無理でしたけど、これはこうやりたかったんだよ」ってのは。
いとう残しておかないと。残してというか、それを受け取ってきたんだから、ってことですよね
千歳太夫 そうですそうです。責任ですよね。お取次ぎはしないといけないんで。
いとううんうん。
千歳太夫よく言うね、黒門町(八代目桂文楽)のように「お取次ぎ」はしなきゃいけないんで。
いとうお取次ってなんですか?
千歳太夫黒門町が得意にした『心眼』という噺があるんですけど、これは三遊亭圓朝がお作りになったんです。それで、自分は高座にかけているけれど、それは単に圓朝から受け継いでいるだけなんです、ということで、黒門町は噺に入る前、「ただ私はそのお取次ぎをするだけのことでございます」とおっしゃっていたんです。浄瑠璃も一緒で、先人たちが伝えてきてくださったものを次につなげていきたいなと思いますね。
竹本千歳太夫編(その4)へつづく