- トップページ
- 国立劇場
- いとうせいこうによる 文楽の極意を聞く
- 豊竹呂勢太夫編(その2)
豊竹呂勢太夫編(その2)
豊竹呂勢太夫編(その1)よりつづく
いとうせいこう呂勢さん、一番最初に入ったのは何歳なんですか?
豊竹呂勢太夫義太夫を始めたのは13歳なんですけど、プロとなって舞台に出たのは18なんですよね。
いとう13の時はもう好きで好きで、なの?
呂勢太夫好きで始めたんですけどね。子供ですから、子供の時からやってることって、まず「好き」から始まるじゃないですか。それでなんか「これを職業にしよう」とかって思う子供も今だったらいるかもしれないけど。「13歳で職業を意識」とかって、今はいっぱいいるけど、当時はあんまりいないんじゃないですか?なんかやってるうちに知らないけどプロになっちゃったよね、みたいな。
いとうそんな感じなんだ?
呂勢太夫私はそんな感じです。
いとう13歳より前にはどういうところで聴いてたんですか?
呂勢太夫9歳の時に、親に連れられて文楽観たんですけど、
いとう国立文楽劇場で?
呂勢太夫国立劇場で。東京出身なんで。
いとうあ、そうなんですね。
呂勢太夫NHKの人形劇が好きでして、『新・八犬伝』ってやってましたでしょ?
いとうありましたねえ。
呂勢太夫あれにハマってて、うちの親が、私が人形劇をすごく好きだったんで。そしたら、そこからうちの親も変なんですけど、「人形劇が好きなら文楽があるよ」って。
いとう(笑)糸で吊ってるのとはちょっと違うけど。
呂勢太夫で、連れていってもらったら、すごいハマったんですよ。で、毎回毎回。
いとう最初何観たか覚えてるんですか?
呂勢太夫『加賀見山旧錦絵』の「草履打から長局の段」を観たんですよ。
いとうはあ、そうなんですか。岩藤。
呂勢太夫子供ですから、細かい筋は分かんないけど、あの人が悪い人で、あの人がいじめれらてるとかってね。
いとううんうん、そうね。
呂勢太夫死んじゃって敵討ちだとか、それくらいは分かりますよね。子供なんで人形がばーって並んでて、角隠しみたいのつけてて、パッとこう幕が上がったらザーッと並んでいて、いいもんと悪もんとかって、そういうのね、やっぱり。
いとうやったー、すげーみたいな。
呂勢太夫はい。ずっと観てるうちに、音楽が好きだったんで、義太夫を!っていう感じですね。
いとうそこはどの境目なんですか?人形観てた、面白かった、僕も学生の時、最初人形に惹きつけられた。
呂勢太夫はい、そうですよね。
いとうで、そのうち「あれ?」って舞台の上手が気になってきて、上手ばっかり観てるようになってきて……っていう風になる。
呂勢太夫私はね、「三番叟」って今もやってますよね、開演前の。「三番叟」がすごい好きになって、踊ってる曲がありますよね。で、これもうちの親、すごいんですけど、文楽の帰りに「三番叟が好きだ」って言ったら、「じゃあレコード屋行こう」って、レコード屋行ったんですね。
いとううんうん。
呂勢太夫そしたら、今はほとんど見かけませんけど、昔って「純邦楽コーナー」っていうのがあって、
いとうあったねえ、あったわ。
呂勢太夫そこに長唄とかがいっぱい売っていて、そこに義太夫の「三番叟」のレコードがあったんですよ。
いとう(笑)すっごい渋いけど、基本中の基本だもんね。
呂勢太夫それ、1,500円。あの当時の1,500円。買ってもらって、それを家で擦り切れるまで聴いてたんですよ。で、そのうちに「太棹の三味線、いいね」っていう感じになったんですよ。
いとうあー。聴こえてきた?
呂勢太夫そうなんですよ。
いとう三味線、曲の方に行って?
呂勢太夫音楽が好きだったせいもあって、
いとうそうか。
呂勢太夫人形からその義太夫にシフトしたんです。
いとうで、三味線に行ってから太夫でしょ?
呂勢太夫最初は三味線の稽古もしたんですよ、私。
いとうああ、やっぱりしたんだ。
呂勢太夫したんです。
いとうそうなりますよね。だって、どう考えても、弾いてみたいってことになったら。
呂勢太夫最初はね、その三味線をやりたいって言っても、子供は最初に地唄の三味線をやるんですよ。義太夫の三味線は大きいのでね。
いとうなるほど。
呂勢太夫で、小学校6年生の時に、その、お箏の先生のとこに行って、その三味線と箏を習ったんですよ。
いとううんうんうん。
呂勢太夫それやってるうちに、次は義太夫をやろうってことになって、
いとうそこ、そこ。そこの切れ目。そこ、何ですかね?
呂勢太夫それはね、先代の呂太夫師匠っていう人を国立劇場の養成課の方が紹介してくれたんです。誰か文楽の人に会わせてあげるから、って言って。
いとうへえ。あんまり好きで通ってるから?
呂勢太夫それ、カモが来た!って思ったんじゃないですかね。
いとう(笑)
呂勢太夫で、その方が、誰でもいいから会わせてあげるよって言ってね、言ってくださって。その時たまたまね、いらしたのは先代の呂太夫師匠で、その先代の呂太夫師匠っていうのは、昔立教大学に行っておられたんです。で、鶴澤重造という文楽のお師匠さんが東京在住だったので、学生の時にそこにお稽古に行ってたんです。なので「重造師匠を紹介してあげるよ」ってことで、お師匠さんを紹介していただいて、そこで、私、学校の帰りに寄ってたんです。
いとう寄っては?
呂勢太夫お稽古してもらってたんです。三味線と語りと。
いとう両方してた。両方はすごいっすね。
呂勢太夫どっちに向いてるかっていうのを調べるため、ということらしいんですが。
いとう向こうからすれば?
呂勢太夫お師匠さんからすればね。例えば、音痴だったら太夫ダメだしね。で、どっちでもいける、って言われたんですけど、それでどうして太夫を選んだかはちょっと今いちよく分からない……。
いとうそれはなんとなく?
呂勢太夫大人になってからの理屈づけすれば、そういう演劇的な部分もありの、
いとう音楽的な部分もありの?
呂勢太夫というところに惹かれたんだと思いますけども、その時はそこまでは思ってないですね。
いとうじゃあ何かに突き動かされて的なことなのかな?
呂勢太夫でもそんな感じじゃないですか?なんか気がついたらそうなってた、みたいな。
いとう好きなことってそうかもしれませんね。
呂勢太夫ねえ、なんか「これでどうかしよう」とか「金儲けしよう」とか、
いとうないないない。
呂勢太夫ないですよね。
いとうない方が続くし。
呂勢太夫結果、なんか好きでやっているうちに、それがこう、特化されていくっていう。
いとうそうそうそう。
呂勢太夫ね、そういう感じだと思うんですよ。
いとうそれやって、じゃあ、その、お稽古してるうちに、もう国立劇場の人たちもこっちに注目してるし、 これはもう手ぐすね引いて待ってる的なことになったのが……?
呂勢太夫それで、私、高校行きながらね、研修生になってますよ。特例ですが。
いとうそうなんですね。じゃあ、もうその教える世界には入っちゃってる?
呂勢太夫私をプロに入れようっていうことでね、研修生になるってことは。
いとううん、プロを目指すってことだから、それはもう、周りはすごいことになってるわけですね。「若いのが入ってきたぞ!」っていう。もっと他にも若い人、いたんですか?
呂勢太夫いないんです。子供だと例えば今の藤蔵さんみたいに文楽の家の人はいますけど、
いとううんうんうん、確かに。
呂勢太夫そうじゃない人って、あんまりいないですよね、子供はね。だから、そんなカモはなかなかね、いないですから。
いとううん。しかもこのカモはめちゃめちゃ好きなんですもんね、この浄瑠璃の世界が。
呂勢太夫でも、子供の時からやってる人って、みんな多分そうだと思うんですよ。本人も好きだけど、その成り行きで、周りがね。
いとうで、さっきの、なんだっけ、13で稽古を始めて、舞台に出るようになるのは……。
呂勢太夫18歳から(文楽座に)入りましたよ。
いとうで、えーっと
呂勢太夫最初は南部太夫師匠の弟子になって、
いとうはいはいはい。
呂勢太夫師匠がもう1年半ぐらいで亡くなっちゃって、で、次が、その最初に紹介してくださった呂太夫師匠の弟子になって、でまた呂太夫師匠が55歳で亡くなって、嶋太夫師匠の弟子になって、
いとうなんかこう、嶋太夫さん、確かに、何となく語りの、この粘りみたいなのが、
呂勢太夫結局、今、思い返すと嶋太夫師匠の弟子だった時が一番長い。
いとうあ、そうなんですね。
呂勢太夫ええ。呂太夫師匠、そんな55で死んじゃうとはね、思ってなかった。
いとううんうんうん。これは色んな語りの人たちなんですか。それとも、割とこう、似た、お好きな系統の?
呂勢太夫同じ系統なんです、全部。若太夫師匠の系統。最初の南部太夫師匠だけはちょっと違うんですけど。ただね、芸に対する取り組み方っていろんな方向があるんですよ。私らはとにかく「いっぱいにやれ」って。文楽では「筒いっぱい」って言うんですけど。清治師匠もそうなんですね。それから南部太夫師匠も、呂太夫師匠も、嶋太夫師匠も、方針がそれなんですよ。自分の持ってるものを全部出していっぱいにやって、それで道が開けるっていうことで。例えば明日のこと考えるとか、演奏配分を考えて、後でこれ使うから、ここは控えめにしとこうとか、
いとう楽にしとこうとか。
呂勢太夫そういうのをすごい嫌がるんです。だから、そういう系統のタイプなんですよ。また違って、頭脳プレイというか、我々とは違う行き方をするのが好きなチームももちろんある訳ですよね。
いとううんうん。はい、あるけど、体育会系的な?
呂勢太夫そうなんです、そうなんです。よく色んな人に話しているんですけど、呂太夫師匠の師匠っていうのが、最初が若太夫師匠で、その後は越路太夫師匠だったんですね。私が20歳ぐらいの時に勉強会で『一谷嫩軍記』(嫩の文字の右部は「欠」)の「熊谷桜の段」をやったんです。その中で、豪傑みたいな侍が出てきて、「やい、なまくら親父め!」っていうのがあって、それを本番ですよ。勉強会でやったんですが、すごい気張って喉がイガイガしてですね、「なまくら親父め!!、オエェ……」って、えずいて演奏停止したんです。もうお客さんのいる前ですよ。
それで、勉強会っていうのは、偉い師匠方がみんな聴きに来てくださるんですけど、翌日にね、お礼に行くっていう、そういう習慣があって。
いとうはいはい。
呂勢太夫その越路太夫師匠のお宅にお礼に伺ったんですよ。そしたら、ものすごくニヤニヤしておられて、「うん、 昨日、君はあれ、めちゃくちゃ気張ったら、喉がイガイガしてああなったんだろう?」っておっしゃるんですよ。「そうなんです。気張ったら喉がイガイガして、えずいちゃったんです」って言ったら、ニコニコして、「うん、喉で気張るとああなるってことが分かったら、それでよろしい」。
いとうははは(笑)。
呂勢太夫よろしいわけないでしょ。
いとういやいや、精一杯やった、ということなんですよね。。
呂勢太夫そういうことなんですね。よくね、その、「通っていくべき道」っていうのがあって、そこを通らないでずるをしていくの、ものすごい怒られるんです。失敗しないようにセーブするとか。例えばですね、それだけの実力がないのに上手ぶってやるとか、そういうことを、ものすごいうちらの師匠は嫌うんですよ。 だから、「お前がこんな曲をやったらこうなるはず。まずは声が潰れる!」っていうのは分かっておられるので、声が潰れないように加減してやってると、ものすごい怒るんですよ。
いとうあ、そうなんだ。
呂勢太夫お前がこんなのやって声が潰れないわけない、って言ってね。人によっては声を潰さないでやる方がいいっていう人も、もちろんいるんですけど、私らの師匠はそうじゃないんですよ。 で、お前の今のレベルなら失敗するはずなのに失敗しないっていうことは、ちゃんとやってない!って怒られる。
いとうそうか。第一の価値観がいっぱいにやることだからね。
呂勢太夫そうなんです。だから、そういうはずないだろって。お前の実力でこんな曲をやって、汗もかかなきゃ声も痛まないって、そんなはずないよって。そういうの、よく言われました。
いとうでも、俺、結構呂勢さんをずーっと見てきているけど、
呂勢太夫はい、
いとう(声が)枯れてたことないよね?
呂勢太夫結構ありますよ(笑)。
いとうある?!
呂勢太夫たまにあります。たまに。
いとう俺はないイメージだなあ、呂勢さん。
呂勢太夫じゃあ、ちょうどいい時に来ていただいてるんですよ。結構、声潰してますよ。
いとうそうかなあ。
呂勢太夫はい。ああいう時ってね、本当に辛いんですけど。でも、文楽の師匠ってね、そういう時って、決して怒りませんよ。みんな嬉しそうですよ。
いとう(笑)ちゃんとしっかりやったんだって。
呂勢太夫まあそういうね。風邪をひいて痛めてるとか、そういう病気もありますけどね。「よくうがいしとけ」とか言われたりね。「気張るさかいにそうなるんじゃ!」とは言うけど、「そうならないように加減してやれ」っていう言い方はしない。ただ「間違っているからなる」ってことは言うんですよ。喉で気張ってるから声が潰れるんだ!って言うけれども、だから力を入れるのをやめろとか、そういうことは言わない。
いとう言わないんだ。力を入れることはいつでもいい?
呂勢太夫そう。で、その上で、いっぱいに語っていながらも声を痛めないような発声方法を自分の体でマスターして来いと。
いとう尻引があって、こっちは小豆みたいな袋入れて、そこまでして、ものすごいロックンロールなことするじゃない?
呂勢太夫はい。
いとうこの価値観はなんなんですか。まさに一所懸命やるっていうことが、その声を楽しむっていうことになってるの?
呂勢太夫やっぱり義太夫の特色って迫力だと思うんですよ、他の邦楽と違って。あと、リアルっていうことですよね。。
いとううんうん。
呂勢太夫ものすごいリアルですよね。リアルって言っても、芝居のリアルですけどね。やっぱり、あとあそこまで大熱演するっていうのは、うん、義太夫ぐらいですよ。あんな真っ赤な顔して、鼻かんじゃったりとかするのは。
いとうそうそう、ないですよ。
呂勢太夫ないじゃないですか。他の邦楽なら、わりかた綺麗なビジュアルでいようと。
いとう鼻かんじゃいけないもんね、他の芸能は。
呂勢太夫普通ないでしょ。人前で鼻かむの。
いとうそうそう、そうなんだよ(笑)。
呂勢太夫痰は吐くは、
いとう痰はペッて手ぬぐいの中に入れてるしね。「あ、痰入れてんなー」とかって見てんだ。
呂勢太夫そういうちょっとアレなところがあるんですけども、それくらいやることによって何かお客さんに伝わるということだと思うんですよね。
いとうやっぱり客に伝えることをものすごくきちんと。
呂勢太夫そうですね。
いとうそしたら最終的に、やっぱり一所懸命やってる、言ってないと元々根本伝わんないでしょっていう。スカしてるとダメでしょっていう。
呂勢太夫そのいっぱいっていうのは、そのやけくそとか、そういう意味じゃないんですよ。声を大きく出すと言うんだけど、その怒鳴り声とまた違って。あと言われるのは、こう、 なんていうか、「筒いっぱい」っていうのはね、そのマックスまでやれっていう意味なんですね。どんな人でも年取りますよね?
いとううん。
呂勢太夫若い時にマックスを高めておくと年を取ってちょっと落ちてきても、わりと高めでとどまる感じになる。若い時のマックスがそうでもないと、年取ったらぐっと下がっちゃうんですよね。
いとうなるほどなるほど。
呂勢太夫そしたらもう全然その、
いとう声出ないし。
呂勢太夫聞こえない。そうならないために、若い時にマックスを上げておく。
いとうはあ。
呂勢太夫そうすると年取ってもね、大丈夫なんですよ。
いとうもう何十年後かのこと考えてるってことなんですね。
豊竹呂勢太夫編(その3)へつづくCopyright (C) Japan Arts Council, All rights reserved.