初春公演には、なじみ深い演目が並ぶ。1 部に『新版歌祭文』、2部に『仮名手本忠臣蔵』、3部に『本朝廿四孝』と、名作の連続である。
『新版歌祭文』は世話物の名作。 「座摩社」や「野崎村」など、大阪人には身近であるどころか、日常生活の場が舞台となる。主人公のお染と久松は、まだ本当に世間を知らない幼い少年少女のように見え、小助、勘六ら、世知にたけた小ずるい大人に、簡単にしてやられる。でも、その大人たちも、騙し騙され、加害者が被害者になる。生き馬の目を抜く大阪の町人社会を、笑いの中で表現する。今も昔も金の世の中。
そうした状況を見れば、「野崎村」のお染の純情と、おみつ の献身が実に純粋なものとして迫ってくる。店の大金を失ったために親元に帰されてくる久松に、久作は実の親代わりの思いやりと義理を示す。密かに久松に思いを寄せる連れ子のおみつ。だが上手に、姿を見せない婆がいる。おみつは終始上手を意識している。病の篤い母に心配をかけまいとしている。自分の祝言を心待ちにしてくれている母。思いがけず祝言をと言われたその喜び。しかしそこに恋敵のお染が現れる。その二人の間に、自分にはない絆を見たおみつはどんな思いであっただろう。口では親のため別れると言いながら、二人は確実に死ぬだろう。だが愛しい久松を死なせたくない。最初お染に嫉妬していたおみつは、尼になって身を引くという、 辛い決断をする。迷いはなかっただろうか。でも、それしか愛する人を救えないとなった時の、少女の潔さ、強さが胸を打つ。
思えば、故七代竹本住太夫師匠は、この母親の出る演出で語られた。病に伏し、目も見えず、娘の祝言を心から喜ぶ、しかし娘の髪が下ろされていることを知り、嘆く。住太夫師匠の語りに何度も泣かされた。でも、今の我々には、ややくどいというか、あざとさを感じてしまう。だが今回の若太夫師匠は、その場 に出なくても、久作の情ある説得、おみつのその悲しみの蔭に、もう一人、見えない母がいることを感じさせ、そしておみつが、その母にとっても、娘を誇れるような決断をしたのだと感じた。
段切れ、華やかな三味線に乗って、船頭の楽しい動きがある。今回は川に落ちる演出ではなかったが、悲しみの後こそ笑いを与えてくれる。あのツレ弾きについて 、いつだったかNHKの文楽入門講座で、故七代鶴澤寛治師匠が語られていた。彦六系の三味線の手では波が船べりに当たる音を表わすようにチリツンと弾くのだと。(文楽系ではチリチリツンとなる。)それ以来、このツレ引きの音に耳を澄ますようになった。「舟と堤は隔たれど」と、駕籠屋 二人の足拍子、屋形船の船頭の仕草が笑いを誘う。年の内の春だから、寒さの中にも僅かな光が見える、梅の香がかすかに届くような、そんな感覚を覚えた。
第2部は、昨年11月の 『仮名手本忠臣蔵』の続きの八、九段目に当たる。八段目の道行、こんな哀しい道行だっただろうか。本来なら喜びに溢れる嫁入りが、先行きもわからず供も連れず駕籠にも乗らず、ただ一縷の望みにすがって、長い旅路を女二人で歩んでいく。九段目もそれを受けて、重く、ずっしりとこれまでの全ての苦衷と嘆きをのみ込んだような一段となる。お石の、 加古川本蔵への恨み、何とか娘の幸せを願う戸無瀬、黒と赤の激しい戦いに、純潔無垢なる小浪の白。父本蔵の、娘のために婿の手にかかるという情愛。前半の詞の闘いを見事に語られた千歳太夫師匠、富助師匠と、後半の語りをリズムに乗せて聞かせた藤太夫師匠、燕三師匠。そして三人の人間国宝、吉田和生師匠、桐竹勘十郎師匠、吉田玉男師匠が顔を揃えたこの場を、かつて故初代吉田玉男師匠の由良助、故吉田文雀師匠の戸無瀬、故吉田玉幸師匠の加古川本蔵で見た日があったのだ。あの時も品格と情、娘の一筋なる愛と、男の義のせめぎ合いが、舞台を終えても深く心に刻まれていた。「人の心の奥深き」という「山科閑居」の幾重にも重なる親子の情愛と若者同士の恋、にも拘らず武士の義を果たすためにそれらの情を断ち切って旅立つ由良助。『忠臣蔵』の主題を一段に込めた名作であると思う。
第3部、今回の『本朝廿四孝』は、後半の見せ場である「十種香の段」「奥庭狐火の段」が中心。華やかで美しく、そして八重垣姫の狐憑きの鮮やかさが、他にない文楽の代表的演目の一つである。ここに至る複雑な人間関係を匂わせながら、なおも恋する相手しか見えない八重垣姫の一途を、実に丁寧に語る錣太夫師匠、宗助師匠。そして八重垣姫は、父の陰謀を阻止するために、追手より先に勝頼に追いつこうとする。諏訪法性の兜の奇瑞が起こり、姫に白狐が力を与え、人を超えた動きをする。左遣い、足遣いも出遣いで、懸命に狐特有の、超自然的な動きが、スピーディーに、ダイナミックに展開される。その八重垣姫を見ながら、これを超えるものはない、と思わされた、故三代吉田簑助師匠の八重垣姫の動きが目に浮かんでいた。それも、病に倒れられた後、いかに回復されたとは言え、昔のようには難しいだろうと思っていた。しかし、驚きの八重垣姫だった。病に倒れられる前と変わらない、というより、鬼気迫る人形であった。その動きが、三味線と呼応して、次第に大きく、激しくなり、狐の眷属を従えて躍動し、ぱっと場内が明るくなる。それこそ見えないオーラが照り輝くように、見る者全てが満たされ、その奇跡に拍手が鳴りやまなかった。それほど、ここではないどこかへと誘う力が満ちた、めくるめく時間であった。
あの感触が、いまも心にある。全ての感覚が舞台に向かっていく、溢れる力とエネルギーが光のように舞台を包む。今ここで見ているのは、奇跡だと思わされる。そんな舞台に出会っていたのだ。思えば私は、文楽劇場の四十年のうち、三十年近くの舞台をここで見つめてきた。なぜかと言われれば、それは、見えるものを通して見えないものを見るためだと思う。一つの舞台を見たことが、また何年かを経て、身体に沁み込んだ記憶となって、現在と過去を結びつけ、現在しか意識にない私たちの人生に、その反復の厚みを与えてくれる。もうあの時の自分ではない。だがあの時がなければ、今はなかった。そして、その芸を通して、技芸員の方々が表現しようとするあの世界に、より近づいたのだと。
それは語り、弾き、人形を遣う技芸員の方々にも言えるだろう。それぞれがかの大師匠方と出会い、その芸の示す方向へと、苦しい修業を積まれてきたのだ。よく、昔の方の芸にはかなわない、と言われる場合がある。そうではない。技芸員の方々が、大師匠方と出会い、この世ならぬほどの美しさに魅了され、修業されてきたからこそ、その遥かなる美が、今 私たちに見えるのだ。それが向かっているものを、確かに示しておられるからこそ、今生きている私たちは、その世界があることを信じることができる。そう、見えるものと見えないものを、私たちは同時に見ているのだ。なぜなら、芸能は常に現在形であるから、私たちは今ある方々を通してしか、その見えないものを知るすべはないのだ。
文楽は奇跡の芸能である。生きる力、というのは大げさかも知れないが、三業の方々がそれぞれ命がけの至芸を披露してぶつかり合い、そこに生まれる舞台が、私たちの心を動かす時、生きていてよかったと言える。それが繰り返され、伝えられ、個人の中で再び何かが 創造される、伝統とは現代に生きる我々の基盤であり、過ぎ去った過去ではなく、現在に再び経験されるものだ。だからこそ、失われてはならないし、途切れさせてはならない貴重な人類の財産である。
願わくはこの舞台が、これからもここで、この大阪で、続いていきますように。
■森田 美芽(もりた みめ)
大阪キリスト教短期大学元学長。専門は哲学・倫理学。キリスト教と女性と文楽をテーマに執筆を続ける、自称「大阪のおばちゃん哲学者」。
(2025年1月3日第1部『新版歌祭文』、1月4日第2部『仮名手本忠臣蔵』・第3部『本朝廿四孝』観劇)
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