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国立文楽劇場

開場40周年記念文楽かんげき日誌SPECIAL
こころならずの噓まこと

くまざわ あかね 

 この年末年始、久しぶりに読んでいたのが井上ひさし氏の『不忠臣蔵』でした。
あっぱれ殿の敵を討った義士のみなさま……ではなく、討ち入りに参加しなかった人たちから見た「忠臣蔵」が描かれた短編集です。

 討ち入りに参加しなかった人たち、といえど事情はさまざまで
参加したかったが志なかばで叶わなかった人
参加したくなくて途中で逃げた人
はなから加わる気なんてまったくなかった人、などなど。

 今回初春公演で『仮名手本忠臣蔵』九段目を見ながら、加古川本蔵もある意味、討ち入りに行けなかった人、「不忠臣蔵」の人なのかもしれないと思ったのです。
もちろん、判官さまの家臣ではない本蔵には討ち入りに参加する理由なんてなにもないわけですが、大星由良助に自らを重ねて「自分だったらどうするだろう」と思ったんじゃないかな、と。

 前回、11月公演のかんげき日誌に、もしかしたら桃井若狭助は判官さまのことを「あれは自分だったのかもしれない」と思っただろうか、と書きました。もし若狭助が判官さまのお立場だったら、加古川本蔵はイコール大星由良助、ということになります。

もしあれが自分だったなら。
討ち入りはするだろうか。
ならばどうやって同志を集めるのか。
いつ、どのように決行するのか。
そして、殿を抱き留め一太刀討たせてやらなかった自分を、自分は恨むだろうか。
大星になったつもりであれこれ考えたと思うのです。
ときに加古川本蔵としての自我が消え、大星と自分が混ざりあって一体化してしまうほどに。
そんな自分をいけにえとして、「死」を捧げることで、討ち入りの成就を願ったのではないかと思うのです。

 それにしても。この段に限らず「忠臣蔵」の登場人物には好むと好まざるとにかかわらず、嘘をついている人の多いこと。
討ち入りになんか行きませんよ、と嘘をついて祇園で酒を飲む由良助。
若狭助に向かって「師直なんか斬ってしまえ!」と言いながら裏工作に走る本蔵。
おやじ殿に会った、と苦し紛れに言う勘平。
由良助の密書なんか見てません、というおかる。

 で、この九段目のお石さん。
わざわざ山科までたずねて来た母娘に対し「へつらい武士の娘に、うちの大事な息子はつり合いませんことよ!」とピッシャリ言ってのけたあと、最後になって「すぐに後家になるとわかって嫁にもらうのは気の毒な……と思ってひどいこと言いました」と謝っておられます。
本心を隠しての罵詈雑言やったんですね、うん、わかるわかる……とうなずきつつ、いや、ちょっと待って? お石さんそれほんまのほんまに100%の嘘やったんでしょうか? と言いたくなるのです。
 「それに引換へ師直に金銀を以てこびへつらふ追従武士の禄を取る本蔵殿」
って、スラスラ言えすぎじゃないですか? これふだんから思っていることが口について出たのでは……嘘とまことが半々、ともするとまことが八割だったのでは。

 それがだめだと言うんじゃなくって、リアルだなと思うんです。
日常生活において100%の感情を持つことは少ないような気がします。
この人、腹立つところもあるけど憎めないんだよな、とか、
布団から出たくないけどそろそろ起きなければ、とか。
人やものごとに対して、相反する感情を抱えながら生きています。
白と黒のはざまのグレーゾーンを生きているのが人間なのかもしれません。
だからこそ、このお石さんが人間くさく感じられるのです。

 そこへ「力弥さんの嫁になりたい!」と100%の感情で飛び込んできたのが小浪だ。
ものわかりのよい人ばかりだと物語は動かない。「どうしても願いをかなえたい!」という思いの強さが、ストーリーをダイナミックに動かすのかもしれない、第3部『本朝廿四孝』の八重垣姫もまさに同じタイプの人やなぁと思いながら観劇していた初春公演なのでした。

■くまざわ あかね
落語作家。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。現在、NHKラジオ深夜便「上方落語を楽しむ」コーナー解説を担当。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。

(2025年1月9日第2部『仮名手本忠臣蔵』観劇)

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