国立文楽劇場開場40周年、誠におめでとうございます。
と言いながらいきなり地方公演の話から始めてしまう事、お許しくださいませ。
2024年10月、グランシップ静岡で開催された「グランシップ伝統芸能シリーズ 人形浄瑠璃 文楽(*1)」公演の際にはわたくし、
静岡オリジナル企画として我が演劇の師匠と共にプレトーク&観劇ツアーを担当させていただきました。
その打ち合わせの雑談中。
「今年度、文楽劇場が開場40周年なんですって!」と私。
「もうそんなになるんだ!たきいさんは朝日座知ってるよね?」と師匠から問われ、
「いえ、私は今の日本橋の劇場での観劇が文楽デビューです」と答えたら大変に驚かれました。
確かにわたくし、うら若き女子高生時代に文楽と出会い、その後、
人形浄瑠璃文楽こそが、我が師匠との出会いの架け橋となるわけですが。
師匠ともすでに約25年の付き合い、
つまりそれ以前に文楽劇場にセーラー服姿で日参していたことを考えると
確かに朝日座を知っていても計算上はおかしくないと考えられても不思議ではありませんが、
「残念ながら、ちょっと間に合ってないんです。行ってみたかったですが〜」
以前観た映画、1936年の溝口健二監督、山田五十鈴先生が主演の「浪華悲歌(なにわえれじい)」には
空襲で消失する前の四ツ橋文楽座での公演のワンシーンがあり、戦前の劇場の姿が垣間見られます。
(しかも『新版歌祭文』の野崎村の段が約2分間も収められているのです!)
形状としては今の京都南座をギュッと半分くらいに小さくしたように感じました。
2階建客席でコの字型の桟敷(?)ありの劇場というふうに見受けられました。
昭和に入ってからはこのような近代的な劇場での公演が行われていたのか、と思いきや、
戦時中には戦火で消失、バラック小屋で公演されていたこともあるようで、
公演する劇場一つ取っても、様々な苦難を乗り越えた歴史があるのだな、と
朝日座知ってる? 知らない? 問答から、思い至ることになりました。
そういえば「ジャポニスム2018:響きあう魂(*2)」のパリの会場は今まで私が拝見した文楽座公演では一番大きな劇場だったな、とか、
移動式劇場での六本木ヒルズでの公演「にっぽん文楽(*3)」は半野外でとってもワクワクしたな、とか、思い出もさらに蘇ってきました。
そんなふうに過去にも想いを馳せながら、11月24日の千穐楽に。
通常だと拝見する演目に気が行ってしまいがちなのですが、
心に「祝40周年!」と強く思いながら劇場に到着すると……。
「劇場で働く人々」に自然と目がいくではないですか。
そうか、たくさんの皆さんのお力で、劇場って動いてるんだよね、
なんて、「劇場」という場所がホームな私ですら改めて思ったわけです。
まずはもちろんのこと、ご出演の皆さん、公演に関わる全ての舞台スタッフさん。
そして公演を企画し、制作される皆さん、広報や宣伝に携わる皆さん、
公演中は場内の案内やチケット周りの皆さんや売店スタッフさん、
劇場周りの看板などの設置施工の方々、警備の皆さん、清掃の皆さん、
さらには一階にて文楽の紹介をしてくださってるボランティアの皆さん!
たくさんの人が携わってこの劇場は動いているんだな、
こういう一体感が、なにより素敵なんだよなー
なんて思っていたら。
そうしたらです!
ご覧ください、このTシャツ!!
(2024年11月24日第1部『仮名手本忠臣蔵』、第2部『靱猿』『仮名手本忠臣蔵』観劇)
Copyright (C) Japan Arts Council, All rights reserved.