竹本碩太夫さん ※令和4年11月掲載
第27期文楽研修修了者で太夫の竹本碩太夫(ひろたゆう)さんにお話を伺いました。
©野口英一
◆研修に入るまで
―碩太夫さんは、地元・北海道で人形浄瑠璃を経験されていたと聞いています。
小学校4年生から大阪に来る直前まで、「さっぽろ人形浄瑠璃芝居あしり座」に所属していました。最初は人形のコースしかなかったんですけど、僕が高校生のときに太夫と三味線もできるようになったんです。そこから三業ともやっていました。
この頃から太夫志望でした。人形を遣っていると義太夫節が聞こえるじゃないですか。段々そっちに興味が沸くようになったんです。義太夫コースが開設されたのも僕がいたからなんですよね。興味がある子どもがいるということで、初めて開設されたんですよ。人形遣って、三味線弾いて……。その中でやっぱり僕は太夫がやりたいな、と思いました。
―経験があっても「文楽に入りたい」という人は珍しいと思います。何かきっかけや、周りの方と違ったことがあったのでしょうか?
うーん、なんでしょうね……。でも周りが大学に行く頃には「職業としてやりたい」と思っていたんです。そう思ったときに、大学に行ってもプラスになるか?と考えてしまって。1日でも早く入った方が良いっていう世界だと聞いていましたから、「もう大学には行かないで、研修生に応募しよう」と思いましたね。
直接入門する道もあるというのは知っていましたが、研修について話を聞ける人が身近にいたので、研修制度に応募しようと思っていました。入ることへの不安や、入ってからのギャップもなかったです。
◆研修に入ってから
―選考試験の思い出を聞かせてください。
竹本住太夫師匠、鶴澤寛治師匠、吉田簑助師匠が前に座っていらして……まあ、びっくりしましたね。その当時からテレビで放送された公演映像を録画して観たり、ドキュメンタリー番組のDVDを借りて観たりしていましたから、本当に目の前にプロ野球選手を見ている様な感じでしたよ。
―同期はどういう存在でしたか?
僕の同期は人形専攻の2人で、適性審査後はそれぞれの専攻に分かれての研修になるので、朝と夜ぐらいしか顔を合わせませんでした。でも、同期の存在は大切だと思います。グチる相手というか、相談相手というか、それは今でも変わってないです。
―文楽の東京公演中は、研修生も東京へ行きます。
楽しかったですよ。単純に気分も変わりますしね。僕は北海道出身だから、東京もそんなに行ったことのない土地だったので、テレビに出るような所に行くのは楽しみにしていました。研修には全然関係ないですけど(笑)。研修に関係あるところだと、御朱印を集めていたので、神社仏閣には結構たくさん行きましたね。演目にゆかりのある所もない所も含めて。
◆研修を修了した今、思うこと
―今振り返ってみて、研修を出て良かったと思うことは何でしょうか。
副科*を経験できたのは良かったんじゃないでしょうか。プロになってから直接その技術を使うことがなくても、副科の経験は無駄ではないですよね。僕も、研修で松井宗豊先生(裏千家業躰)に茶道を教わって、今は「霜乃会」として一緒に舞台活動をしていますが、研修がなかったら、もしかしたらこういうご縁もなかったかもしれないですよね。
あとは、入門先を、研修の2年をかけて決めることでしょうか。師匠となる方の芸に憧れるというのはあるんですけど、やはり人間なので、相性みたいなものもあると思うんですよ。研修期間を通して、芸だけではなく、お人柄も知ることができるというのは、やっぱり研修の一番の強みなんじゃないですかね。
*文楽研修では、太夫・三味線・人形以外にも、講義、謡曲、狂言、日本舞踊、箏・胡弓等を副科として履修します。
―今後の抱負をお聞かせください。
今のことで精一杯なので、あまり先のことを考えている余裕はないのですが、経験させていただいたことを、いつか舞台でお返しできなくては駄目だと思っています。今、自分のできることを精一杯やるしかないんですけど。成長っていうんですかね、実力を身につけるっていうか、向上したいという気持ちは常に持っていますね。芸歴や実力にそぐわない沢山の貴重な経験をさせていただいていると思うので、いつかそれにお応えできるように、将来「あの経験があったから」と言えるように、頑張ろうと思っています。
―最後に、研修に興味がある方へ、未来の後輩にメッセージをお願いします。
興味があったら、まずは「どんな世界なのかなー?」って覗きに来てください。受講料もかからないわけですし、人生経験の一つとしてやってもらえたらいいんじゃないかなって、僕は思いますね。
―今後のご活躍も期待しております。ありがとうございました。