トピックス
【千駄ヶ谷だより】国立能楽堂令和7年11月主催公演がまもなく発売です!
狂言 饅頭
もとは良い身分ながら今は落ちぶれて饅頭売りとなった男が、市(いち)で饅頭を売っています。そこに、長引く訴訟で都に逗留していた男が、帰郷のための土産を求めにやって来ました。饅頭売りが男に饅頭を勧めると、「うまいかどうかは口元を見ればわかるので、お前が食べて見せろ」と言います。さらに代金は払うと男が約束したので、饅頭売りは男に勧められるまま、つぎつぎと饅頭を食べて見せるのですが…。
能 俊寛
政争に敗れて鬼界島(きかいがしま)に流された藤原成経(ふじわらのなりつね)、平康頼(たいらのやすより)、俊寛僧都(そうず)の三人は、互いの存在を心の支えに流刑地での不自由な日々を送っています。そこにある日、平清盛が帝の中宮である娘・徳子の安産を祈願して流人を赦免するという知らせが届きます。けれど赦免状には成経と康頼の名前だけが記されていることを知り、俊寛は激しく取り乱し、嘆きます。二人を乗せた船の出航が近づき、俊寛は康頼の袖にすがり、船を舫(もや)う綱に取りつきます。やがて無情にも船は島を離れ、あとには絶望した俊寛が一人残されるのでした。
狂言 禰宜山伏
檀那(だんな)まわり(各地をめぐりながら暦やお札ふだを配ったり、お祓いをしたりする布教活動)の途中、禰宜が茶屋でひと休みしています。そこに修験道の聖地での修行を終えた山伏が立ち寄って、茶を所望します。山伏は、出された茶に難癖をつけ、禰宜を脅しつけ、傍若無人にふるまった挙句、自分の荷物を禰宜に持たせようとする始末。見かねて仲裁に入った茶屋の主人は、大黒天像を持ち出し、大黒様を振り向かせた方を勝ちとする呪術比べを勧めます。意気揚々と受けて立った山伏ですが…。
能 養老
美濃国に不思議な泉が湧いたという知らせを受けて、雄略天皇は様子を確かめるために勅使を派遣しました。目的地に到着した勅使一行の前に、老人とその息子が現れ、養老の滝の謂(いわ)れと、老いも忘れるほどだというその薬効を語ります。勅使が、さっそく都にもどって天皇に奏上しようとしたところ、にわかに天空が光輝き、あたりに妙なる音楽が聞こえてきました。やがて現れた養老の山神は、舞を舞い、奇瑞を讃え、御代のめでたさを寿ぐのでした。
能の作品に現れる作者の視点に着目する新企画。第一回は、十一月・十二月と二ヶ月にわたって観阿弥の作品を取り上げます。
狂言 宗論
身延山(みのぶさん)に参詣した帰りの法華僧と、善光寺詣から京都へもどる途中の黒谷(くろだに)の浄土僧。道連れになったふたりは和気あいあいと歩くうちに、互いに明かした自らの宗派が犬猿の仲であることを知って、浄土僧の態度が急変します。居丈高に詰め寄ってくる浄土僧をかわそうと法華僧は近くの宿屋へ逃げ込みますが、浄土僧も付いて来て、負けたほうが宗旨替えをすることと決めて、宗論を挑みます。そうして、一晩かけてふたりは宗派の優劣を競いはじめるのですが…。
能 通小町
比叡山の麓・八瀬(やせ)の僧のもとに、薪や木の実を届けに毎日通ってくる女がいます。素性を尋ねる僧に、女はとある和歌の下の句にことよせて「自らは名乗りません、薄が生い茂る市原野辺(いちはらのべ)に住む姥です」と言い残して姿を消してしまいました。
その言葉から、僧は女が小野小町の亡霊であろうと察して、市原野へ赴き回向をします。現れた小町の亡霊は「仏の戒(かい)を授り、成仏したい」と請いますが、小町の成仏を妨げようとする深草少将(ふかくさのしょうしょう)の怨霊が姿を現し、共に愛欲地獄に留まろうと引き止めます。僧に懺悔を勧められた少将の怨霊は、「百夜(ももよ)通ったら思いをかなえましょう」という小町の言葉を信じて毎日通い続け、あと一夜で願いがかなう九十九日目についに力尽き命を落とした無念を語り、やがて小町とともに成仏を遂げるのでした。
雨夜之伝の小書(特殊演出)により、後半の立廻リで雨垂れを思わせる小鼓の手が入り、特徴的な所作が加わります。装束も常とは変わり、より優美な印象となります。
日本ろう者劇団の役者が声を出さずに演じる狂言を、手話によるセリフの通訳と狂言師の声の出演で豊かに表現します。公演冒頭で二十分ほどの解説があります。
手話狂言 鶏聟
最上吉日の今日、聟入り(結婚後にはじめて舅を訪ね挨拶をする儀式)に向かう聟は、物知りの知人の家に立ち寄り、聟入りの作法を教えてもらうことにします。教え手の男は、悪戯心をおこして、「当世風の聟入りでは、鶏の鳴き方や蹴り合うさまを真似るのが作法だ」と嘘を教えます。真に受けた婿は、舅の家に着くなり鶏の真似で挨拶をはじめたので、さあ、大変! 舅はどう受けて立つのでしょうか?
手話狂言 瓜盗人
丹精込めて作った瓜を盗まれた畑主は、畑に垣をめぐらせて、案山子(かかし)を立てました。夜になり、再び盗みにやってきた男は、案山子を人間だと思い込み、平身低頭して謝ります。けれど相手が何も言わないのを不審に思い、よくよく見たところ案山子だと気がつきます。男は、ほっとするやら腹がたつやら。そうして瓜を取り、畑を荒らし、垣や案山子をさんざんに壊して帰って行きました。翌日、荒れ果てた畑の様子に憤慨した畑主は一計を案じて…。
手話狂言 博奕十王
仏教の功徳で極楽へ行く人間が増えたため、いまや地獄は存続の危機に。閻魔大王(えんまだいおう)は罪人を地獄へ攻め落とそうと自ら六道(ろくどう)の辻に出向いて、亡者を待ち受けます。そこにやってきたのは賭博で人々から財産を巻き上げた大罪人の博奕打ち。その弁明を聞いているうちに、閻魔大王は博奕に興味をもってしまい…。
明治期に能楽の再興を推進した岩倉具視(いわくらともみ)の生誕二〇〇年を記念し、明治十二年に岩倉邸で行われた天覧能の演目を上演します。
独吟 起請文
能『正尊(しょうぞん)』の起請文。身の潔白を主張するために正尊が即興で書き、読み上げる文書を、シテひとりの謡でお聴きいただきます。
仕舞 玉ノ段
能『海士(あま)』の一部を、地謡の謡にのせて、シテが装束をつけずに舞います。
狂言 隠狸
太郎冠者が狸を釣って(捕獲して)売買する副業をしているのではと疑う主人は、真偽のほどを確かめます。けれど太郎冠者は、「狸など釣ったこともない」としらを切ります。そこで主人は「来客に狸汁をふるまいたいので市場で狸を買ってこい」と太郎冠者に命じました。絶好のタイミングとばかりに、昨日仕留めた狸を売りに太郎冠者がいそいそと市場に向かうと、そこには主人が待ち受けていて…。
能 石橋
修業のため唐に渡った寂昭(じゃくしょう)法師は、清涼山(しょうりょうせん)に入ります。山深くへとつながる石橋の前に至って、通りかりの樵夫(しょうふ)(きこり)から、この先は文殊菩薩の浄土だと教えられます。さらにこの石橋は人間が渡したものではなく、岩と岩が続いて自然にできたもので、橋の幅は一尺(約三十センチメートル)に満たず、長さは三丈(約三メートル)余り。表面は苔に覆わて、谷の深さは千丈以上。神仏の加護なくして人が渡れるものではないと語った樵夫は、やがてあらわれる奇瑞を待つようにと告げて、姿を消してしまいました。
しばらくすると、文殊菩薩に仕える獅子が現れて、咲き乱れる牡丹の花に戯れながら勇壮な舞を見せ、千秋万歳を寿ぐのでした。
獅子が登場する後半のみの半能で上演されることが多い作品ですが、今回はフルバージョンでご覧いただきます。和合連獅子は金剛流のみの小書で、後半がより華やかな演出となります。
【文/氷川まりこ(伝統文化ジャーナリスト)】
●令和7年11月主催公演発売日
- 電話インターネット予約:令和7年10月10日(金)午前10時~
- 国立能楽堂チケット売場窓口・自動発券機は国立能楽堂主催公演日(*)のみの営業(午前10時~午後6時)です。
*販売開始は電話・インターネット予約開始日の翌日以降 - 国立劇場チケットセンター(午前10時~午後6時)
0570-07-9900/03-3230-3000(一部IP電話等)
https://ticket.ntj.jac.go.jp/