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国立能楽堂

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【千駄ヶ谷だより】国立能楽堂令和7年5月主催公演がまもなく発売です!

 

 平安時代初期の貴族・在原業平(ありわらのなりひら)は、六歌仙に数えられた歌人で、平安時代きっての美男子と謳われ、『伊勢物語』の主人公とされるなど、数々の逸話や伝説に彩られた人物です。《月間特集 在原業平 生誕1200年》と題した5月の公演では、そうした業平にまつわる作品を取り上げます。

5月10日(土)普及公演 午後1時開演

狂言 簸屑

 宇治橋供養に訪れる人々に茶をふるまうことにした主人は、太郎冠者に簸屑(箕(み)でふるいにかけて残った粗悪な茶葉)を大量に挽いておくように命じます。ぶつぶつ文句を言いながら茶を挽きだした太郎冠者ですが、睡魔に襲われて居眠りをはじめてしまいました。それを目にした次郎冠者は、あの手この手で太郎冠者の目を覚まそうとするのですが…。

能 杜若

 旅の僧が、今を盛りと杜若が群れ咲く三河国の八橋(やつはし)にやってきました。すると、どこからともなく女が現れて、ここはかつて在原業平が「かきつばた」の五文字を句の頭に置いた和歌「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思う」を詠んだ名所であることを教えます。僧に一夜の宿を勧めた女は、自らが杜若の精だと明かし、歌舞の菩薩の化身である在原業平の歌に詠まれたことで、草木の身でありながら成仏がかなったと喜びます。そうして『伊勢物語』の昔を懐かしみつつ優美な舞を舞い、夜明けとともに消えていくのでした。

小書(特殊演出)の日蔭之糸により、宮廷儀式の装いをイメージした格調高い装束に。増減拍子では、クセ(謡い所の中心となる部分)の足拍子が強調されます。『伊勢物語』第九段「東下り」をモチーフとした作品です。

 

狂言 業平餅

 参詣に向かう業平の一行は、休憩のため茶屋に立ち寄ります。茶屋の亭主が名物の餅を勧めますが、貴族ゆえ普段からお金など持ち歩いたことのない業平は、「おあし(代金)」を求められてもなんのことやらわからず、自分の足を出してみたり、「鳥目(ちょうもく・金銭)のかわりに和歌を詠もう」と言ってみますが、相手にしてもらえません。なんとか餅を食べたい業平と、あくまでも代金を求める亭主のやりとりは、思わぬ方向に展開して…。

 当代一の貴公子を人間味あふれる愛嬌ある人物として描いた狂言版・業平をお楽しみください。

能 右近 

 都の名花をことごとく見たいと願う常陸国・鹿島神宮の神職が、北野神社の右近の馬場にやってきました。桜の名所として有名な右近の馬場は、左近衛府とともに宮中の警護や行幸の供奉を司る右近衛府の馬場で、今日も花見の人々で賑わっています。降り出した雨を松の木蔭でしのいでいると、侍女を連れた花見車が寄ってきたので、神職は車中の女性に向けて「見ずもあらず 見もせぬ人の 恋しくは あやなく今日や ながめ暮らさん」と在原業平の和歌を詠いかけます。女は北野神社の梅や松について語り、自分は末社の桜葉の神だと明かして花陰に姿を消しました。

 夜が更けて姿を現した桜葉の神は、月の光に包まれて舞を舞うと、花を散らす桜の梢へと上り、空の彼方へと消えていくのでした。

 

 続く、20日企画公演と28日企画公演は、作品の演出や解釈を新たな視点でとらえ直す恒例のシリーズ「企画公演◎能を再発見する」をお届けします。

狂言 布施無経

 毎月訪れる檀家でいつものように読経を終えた僧。ところが、今日に限ってお布施がありません。催促するのもはばかられるので一度は帰りかけたものの、これが常となっては困ると思い直し、引き返します。とはいえ、さすがに「お布施をいただきたい」とは言えず、すっかり忘れている檀家になんとか思い出してもらおうと…。

 山本東次郎家以外では、タイトルは「無布施経」の表記となります。

能 雲林院

 幼い頃から『伊勢物語』を愛読してきた芦屋公光(あしやのきんみつ)は、夢のお告げによって京都紫野の雲林院にやってきました。見事に咲いた桜を一枝折ろうとしたところ、現れ出た老人に咎(とが)められます。そこからふたりは古歌を引いた問答を交わし、互いの風流心を認め合い、打ち解けます。公光は自分をこの場所に導いた霊夢を老人に語ります。――花のもとに『伊勢物語』の本を手にたたずむ男女。近くにいた老翁に問うと、「ふたりは物語の主人公の在原業平と二条后、ここは紫野の雲林院」と教えられた――。夢の内容を聞いた老人は、自身が業平の化身であることを匂わせて姿を消しました。

 夢の続きの世界へ誘われた公光の前に在原業平が姿を現し、昔日の二条后との忍ぶ恋を物語り、舞を舞います。語りつくせない『伊勢物語』の興趣のなか、公光の夢は醒めるのでした。

 世阿弥自筆本による今回の上演では、後場の展開が現行曲とは大きく異なります。

 

狂言 素袍落

 ふと伊勢参りを思い立った主人は、かねてから一緒にと約束をしていた伯父を誘うことにします。使いに出す太郎冠者には、「もし伯父が行かないと言ったなら、土産を買ってくるのは面倒だから餞別は受け取ってはならない」と釘を刺しておきました。案の定、伯父は「急なことで同行はかなわない」との返事。ところが、伯父から酒をふるまわれて酔った太郎冠者は、旅のご祝儀にと差し出された素袍をちゃっかり受け取ってしまいます。ご機嫌で帰路についた太郎冠者ですが、隠していた素袍を主人の前で落としてしまい…。

井筒

 旅の途中の僧が在原寺(ありわらでら)の旧跡に立ち寄ります。ここは、『伊勢物語』に「筒井筒(つついづつ)」の話として伝えられた、在原業平とその妻・紀有常(きのありつね)の娘にゆかりの場所。幼なじみで、やがて夫婦となったふたりに思いを馳せて後世を弔う僧の前に、里の女が現れ、実は自分こそ物語に書かれた「井筒の女」(紀有常の娘)だと名乗り、姿を消しました。

 月明かりのもとに、ふたたび姿を現した女は、業平の形見の衣を身に着けて舞い、井戸の水鏡に業平の面影を追慕します。やがて寺の鐘が鳴り、夜明けとともに女の姿は消えていくのでした。

 『伊勢物語』二十三段の「筒井筒」を典拠とした作品です。

 

狂言 御茶の水

 明日の茶会のため、住持は新発意(しんぼち・見習い僧)を呼び出して、「野中の清水に行って、茶の湯に使う水を汲んでくるように」と命じます。ところが新発意は「門前のいちゃ(若い娘の通称)を行かせればいい」と言い、行こうとしません。なにやら思惑があるようです。日暮れに若い娘をひとりで野中に向かわせるのは気が進まぬものの、仕方なく住持はいちゃに水汲みを頼みました。野中の清水で小歌を口ずさみながらいちゃが水を汲んでいると、新発意が後からやってきて小歌で誘いをかけ…。

 和泉流では「水汲(みずくみ)」のタイトルとなる作品です。

賀茂物狂

 東国見物に出かけたまま三年もの間もどらない夫への思いを断ち切ろうと、女が上賀茂社にやってきます。すると末社の岩本明神から「再会を待て」という神託があったので、女は希望をもってその場を立ち去ります。

 後日、ようやく帰京した夫が五条あたりの自宅にもどってみると、妻は物詣(ものもうで)に出たまま行方がわからなくなっていました。折しも今日は賀茂の祭礼の日。男は賀茂の社へと向かってみることにします。するとそこで、帰らぬ夫への思いを募らせて物狂いとなった女と出会います。言葉を交わし、その狂乱の舞を見るうちに、男は女が自分の妻であることに気づきます。やがて女も男が夫であることに気がつきますが、恥ずかしさに名乗り合うことができません。そうしてふたりは、互いに知らぬふりをしながら、五条のわが家へと帰って行くのでした。

 観世流では上演が途絶えていたこの作品は、宝生流・金剛流・喜多流の現行曲(レパートリー)になっていますが、いずれも前場を割愛した形です。今回は、令和4年7月に二十六世観世宗家・観世清和師をシテに迎えて、前場も含めた形で復曲した完全版の再演となります。

【文/氷川まりこ(伝統文化ジャーナリスト)】

 

●令和7年5月主催公演発売日
  • 電話インターネット予約:令和7年4月10日(木)午前10時~
  • 国立能楽堂チケット売場窓口・自動発券機は国立能楽堂主催公演日(*)のみの営業(午前10時~午後6時)です。
    *販売開始は電話・インターネット予約開始日の翌日以降

  • 国立劇場チケットセンター(午前10時~午後6時)
    0570-07-9900/03-3230-3000(一部IP電話等)
    https://ticket.ntj.jac.go.jp/
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