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国立能楽堂

トピックス

【千駄ヶ谷だより】国立能楽堂11月主催公演および12月15日定例公演がまもなく発売です!

岩橋

 男がめとった妻は、頭から衣をかぶったまま、十日経っても一度も顔を見せません。相談を受けた仲人は、「この女は恥ずかしがり屋で、和歌が好きだから、歌を詠んでやるといい」と言い、男に二首の歌を教えます。その歌は、葛城山から吉野山に岩橋を架けるよう命じられた葛城の神が、自らの醜い容貌を見られるのを恐れ昼の間は作業ができずに、とうとう橋をかけることができなかったという伝説にちなんだ歌でした。家に帰った男は、妻の前でさっそく歌を詠んでみるのですが…。

 摂津国・天王寺詣りに向かう途中の僧は、野田の里にさしかかったところで俄かな大雪に見舞われました。しばらく雪をやり過ごそうとその場に留まると、雪の中から忽然と女が現れました。僧が素性を尋ねると、女は、自分でも誰なのかわからないと答え、土に落ち消えて行くこの身にも降り積もる迷いがあるので、仏法の功徳でその迷いを晴らしてほしいと頼みます。女の正体が雪の精だろうと察して弔う僧の前で、雪の精は清らかな舞を舞い、夜明けとともに姿を消して行くのでした。
 現在、金剛流にのみ伝わる曲で、今回は雪踏之拍子の小書(特殊演出)により、音を立てずに足拍子を踏む演出となります。

竹生嶋詣

 自分に無断でどこかへ出かけていた太郎冠者を叱ろうと、主人は太郎冠者の家を訪ねます。すると、竹生島にお参りに行ってきたと言うので、土産話と引き換えに許すことにしました。太郎冠者は、秀句(駄洒落や語呂合わせ)を巧みに盛り込みながら、島の様子を語りますが…。

実盛

 加賀国・篠原を訪れた遊行上人(ゆぎょうしょうにん)が、数日間に渡る説法を行っています。その場に毎日やってくる老人と言葉を交わす上人ですが、どうやら周囲の人々には老人の姿は見えていないようです。素性を尋ねる上人に、老人は、かつてこの篠原で木曽義仲の軍に討たれて果てた平家の老武者・斎藤別当実盛の話をし、実は自分はその実盛の亡霊であることをほのめかし、消えてしまいました。
 夜になり、実盛を弔う上人の前に、実盛の亡霊が現れます。その出で立ちは、白髪を黒く染め、許しを得て大将のみが纏う錦の直垂を着した、最期の戦に臨んだ姿でした。壮絶な戦の様子を語り舞う実盛の亡霊は、後世の弔いを頼みつつ、闇へと消えて行くのでした。

◎演出の様々な形

 長い歴史のなかで様々な演出の工夫を重ねてきた能・狂言。同じタイトルの作品でも、流儀や家の違い、小書によって、多様な上演の様式が展開されます。毎年恒例となった企画「演出の様々な形」では、狂言と能を一番ずつ取り上げて、異なる形を二ヶ月続けてご覧いただきます。

11月17日(金)定例公演 午後5時30分開演
12月15日(金)定例公演 午後5時30分開演

六地蔵

 田舎に暮らす男が、極楽往生を願って、六道の苦しみから救ってくれるという六体の地蔵を祀る持仏堂を建立しました。肝心の地蔵像がまだないので、都に上って買い求めることにしたのですが、どこで注文をすればいいのかわかりません。そこで、人で賑わう街道で「仏師、仏師!」と大声を出して探し始めます。
 すると、その姿を見たすっぱ(詐欺師)が男に近づいてきて、自分こそ由緒正しい仏師だと名のります。そして、男が六地蔵を求めていることを聞き出すと、まんまと注文を取り付け、明日の引き渡しを約束します。
 もちろん、すっぱは、仏像を造るつもりなどありません。仲間を呼び出すと、自分たちが地蔵に化ける計画を立てます。人数が足りないので三体ずつ別々の場所に安置している設定にして、男を迎えることにします。
 約束の時刻、約束の因幡堂に、男がやってきました。すっぱとその仲間は、計画通り自分たちが化けた地蔵を三体ずつ見せることにするのですが、男の要望で二つのお堂を何度も往復することになり…。

 和泉流(11月)では、首謀者のすっぱは案内役で、地蔵に化ける仲間が三人登場します。一方、大蔵流(12月)では、仲間が二人のため、首謀者のすっぱ自身も地蔵に化けます。田舎者の男のキャラクターにも違いがあり、和泉流では、仏像の出来に満足し、ありがたやと拝みながらお堂を往復する信心深い男として描かれますが、大蔵流では、不揃いな仏像の背丈を気にしたり、印相が気に入らないと文句をつけたりするので、すっぱたちはお堂を行き来しながらそのつどポーズを修正することになります。地蔵の引き渡し場所はいずれも因幡堂ですが、和泉流では本堂と鐘楼堂、大蔵流では後堂と脇堂となっています。

乱(11月17日)・七人猩々(12月17日)

 唐土(もろこし・中国)の揚子(ようす)の里に住む高風(こうふう)という孝行者は、夢のお告げに従って市で酒を売り富貴の身となります。市が立つたびに訪れる人のなかに、見た目は子供のようなのに、いくら飲んでも顔色ひとつ変わらない不思議な客がいました。ある日、高風が名をたずねると、男は、海中に棲む猩々(酒好きの妖精)だと明かすのでした。猩々は、高風と酒を酌み交わし、酒の功を讃え、秋の夜の風趣をたのしみながら舞い戯れます。酩酊した高風がわれに返ると、そこに猩々の姿はなく、後には汲めども酒が尽きることのない酒壺が残されていました。

 さまざまな演出がある『猩々』のなかでも、『乱』(11月)は位が重くなる演出です。通常の『猩々』では舞は中之舞ですが、乱という特殊な舞に変えることで、曲名も『乱』に変わります。乱では、囃子が特殊な演奏となり、テンポが不規則に変化する緩急のついた舞となります。猩々が酒に酔って戯れる様を表現する足使い、水面をすべる「流レ足」、波を蹴立てる「乱レ足」などが特徴的です。今回は、双之舞の小書によって、ツレの猩々が登場し、二匹で舞戯れる様となります。置壺の小書は、舞台正面に大きな酒壺の作リ物を出して、シテの猩々はここから酒を汲んで舞い、壺の中に映り込んだ月を見るなどの型が加わります。月が美しく輝く秋の夜の情趣を強調する演出です。
 宝生流のみに伝わる『七人猩々』(12月)は、『乱』を基にした演出で、舞台にはとりわけ大きな酒壺の作リ物が出て、その名の通り七人の猩々が登場します。本舞台と橋掛リにずらりと並んだ猩々たちが、舞い遊び、酒壺から酒を汲む様子は、大変に華やかで豪華な演出です。

 24日、25日の企画公演は「能と組踊」と題して、同じ題材を扱う能と組踊をお届けします。組踊は、琉球音楽にのせて演じる沖縄の歌舞劇です。外交使節などをもてなすための芸能として、さまざまな伝統芸能を取り入れながら18世紀初めの琉球王朝で誕生しました。

 一日目は、兄弟の仇討ちを描いた作品を取り上げて、能と組踊の違いや魅力を比べてご覧いただきます。

万歳敵討

 名馬を手に入れられなかったことを恨んだ高平良御鎖(たかでーらうざし)により闇討ちにされた大謝名の比屋(おおじゃなのひや)。息子の謝名の子(じゃなのし)は、父の敵を討とうと、弟の慶雲(けいうん)に協力を求めます。僧侶である慶雲は親の敵とはいえ人を殺めることをためらいますが、兄の説得により仇討ちを決意します。一方、高平良御鎖は、不吉なことが続いたため、家族とともに小湾浜(こわんはま)を訪れ、厄払いをしていました。それを知った兄弟は、旅芸人に姿を変えて浜遊びの場に近づき、見事、父の敵を討ち果たしました。

夜討曽我

 源頼朝が主催する富士の裾野での巻狩(まきがり)に、馳せ参じた曽我十郎祐成(すけなり)と五郎時致(ときむね)の兄弟。父の敵・工藤祐経(すけつね)も参加していると知り、弟の五郎は、今宵、夜襲を掛けて敵を討とうと兄に訴えます。兄弟は、残して行く母への手紙と肌守りを家来の鬼王・団三郎に託し、仇討ちに備えるのでした。
 その夜、曽我兄弟に工藤祐経は討たれ、富士の狩場は大混乱となります。十郎は仁田四郎忠常(にったのしろうただつね)の手にかかり討死。五郎は死闘の末、御所五郎丸(ごしょのごろうまる)に生け捕りにされ、頼朝の御前へと引き立てられて行くのでした。
 通常は前場の後に兄弟は中入し、後場は五郎のみの登場となります。今回は、十番斬の小書によって、十郎が仁田四郎以下大勢との戦いの果てに討死する場面が入ります。

 「能と組踊」の二日目は鐘をテーマに、恋の情念に鬼となる女を描いた組踊と、我が子への思いに突き動かされる母をシテとする能をご覧いただきます。

 組踊の創作にあたって一番の手本とされたのが、武家の式楽である能でした。組踊は能と同じく様式性を持った表現に特徴があり、すり足で歩くなどの共通点があります。一方、基本姿勢の構えや、能の「謡」にあたる「唱え」と呼ばれるセリフのリズムや言い回しは異なります。今回の『執心鐘入』では般若の面を用いますが、組踊では特殊な例を除いて面は用いません。

執心鐘入

 美少年として名高い中城若松(なかぐすくわかまつ)は、奉公のため首里へと向かう途中の家に一夜の宿を求めます。ひとりで留守番をしていた宿の女は、親が居ないので泊められないと断りますが、相手が憧れの若松だと知ると、家に招き入れるのでした。夜が更け、女から執拗に言い寄られた若松は、身の危険を感じて逃げ出します。
 末吉(すえよし)の寺に逃げ込んだ若松を、座主(ざす・住職)は鐘の中に隠します。やがて若松を追ってきた女が寺にたどり着き、一心不乱に寺中を探し回るので、危険を感じた座主は若松を鐘から出して逃がします。怒りに燃えながら鐘にまとわりつき鬼と化した女は、やがて法力によって鎮められるのでした。

三井寺

 わが子と生き別れになった母親が、清水寺の観世音の霊夢を蒙(こうむ)って、三井寺へと向かいます。
 今宵、仲秋の名月の三井寺では、寺に仕える稚児たちが僧に伴われ月見をしています。子への思いで物狂いとなり、鐘の音に心乱れた母親は、境内にたどり着くと僧の制止を振り切って自らも鐘をつき、月光のもとで舞い興じます。やがて心の落ち着きを取り戻した母は、三井寺の稚児となっていたわが子とめでたく再会を果たすのでした。

【文/氷川まりこ(伝統文化ジャーナリスト)】

●11月主催公演および12月15日定例公演発売日
  • ・ 電話インターネット予約:10月10日(火)午前10時~
  • ・ 窓口販売:10月11日(水)午前10時~
  • ・ 11月17日定例公演との演出の違いをお楽しみいただくため、12月15日定例公演は通常より一ヶ月早く発売いたします。
  国立劇場チケットセンター(午前10時~午後6時)
  0570-07-9900/03-3230-3000(一部IP電話等)
  https://ticket.ntj.jac.go.jp/