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国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの夕べ
「谷崎潤一郎と古典芸能」を開催いたしました

平成27年11月16日(月)開催
於 国立劇場伝統芸能情報館3階レクチャー室

国立劇場邦楽公演「谷崎潤一郎没後五十年 文豪の聴いた音楽」(12月19日)に先立ち、あぜくらの夕べ「谷崎潤一郎と古典芸能」を開催しました。谷崎潤一郎研究の第一人者である早稲田大学教授の千葉俊二氏をお招きし、谷崎潤一郎の人と文学、古典芸能との関わりについてお話しいただきました。

谷崎文学の原点

文豪・谷崎潤一郎(1886─1965)は幼少時代から様々な音曲に親しみ、自ら地歌箏曲を習い覚えるなど、多様な古典芸能に精通していました。伝統的な美意識に彩られた名作の数々は、現代人をも魅了してやみません。人気の高さを裏づけるように、平日夜の開催にもかかわらず、会場は多くの会員の方々で埋まりました。古典芸能にまつわる谷崎の小説や随筆を抜粋したプリントをもとに、千葉氏のお話が始まります。

晩年の谷崎は自身の原点を振り返り、満十歳だった明治29年の正月に、五代目尾上菊五郎の『義経千本桜』を観た印象が、自身の文学に大きな影響を与えてきたと述懐しています。「この戯曲を全体として眺めるとき、幼稚極まる矛盾撞着が眼について鼻持ちがならないけれども、(中略)十歳前後の折に感じた甘ったるい恍惚感が、今も私の胸の中にその時のままで生きて働いているのを覚える」(『雪後庵夜話』)。

千葉氏は、「『吉野葛』や『白狐の湯』のように、谷崎作品には狐が非常に多く出て来ます。美女に化けて男をたぶらかす狐は、谷崎文学の骨子そのものになっている。それも『義経千本桜』のひとつの影響ではないでしょうか」と指摘します。

当日の講演の様子
当日の講演の様子

関西移住後の作風転換

東京の下町、日本橋蠣殻町に生まれ育った谷崎は、江戸の音曲になじみが深く、「私の親父は小さんの都々逸が大好きで(中略)私も東京時代には咽喉(のど)が自慢で、遊びに行くと矢鱈に三味線を弾かせたものだ」(『東京をおもう』)と書いています。『母を恋うる記』では三味線に合わせた新内節が「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」と聞こえるというユニークな感性を披露し、『異端者の悲しみ』では、清元「北州」を蓄音機でかける場面が印象的です。

その谷崎の作風は、大正12年9月1日の関東大震災後、関西に移住したことを機に変化します。江戸音曲の素地はありつつ、東京時代の谷崎は「日本の古典的なものよりも西欧的なものに対する関心を強く持っていました」と千葉氏。移住後は関西の様々な古典芸能に触れていきました。谷崎が芥川龍之介、佐藤春夫夫妻と一緒に大阪弁天座で観た『心中天網島』は、『蓼喰う虫』の冒頭部分に描かれ、「人形の小春こそ日本人の伝統の中にある「永遠女性」のおもかげではないのか」とも著しています。

ただ実際の谷崎は、「必ずしも文楽に全面的に肩入れしていたわけではないようです」と千葉氏。「小さい子供が斬り合いをするむごたらしいものを見せられたので、一層イヤになってしまった」(『饒舌録』)などと辛辣で、随筆『所謂痴呆の芸術について』では、義太夫に批判的な仏文学者の辰野隆(ゆたか)に対する反駁文を書いてほしいと、義太夫の名人・豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう)に頼まれたものの、「私は山城氏の義太夫には感激するけれども、義太夫そのものについては、恐らく辰野と同意見のふしが多いだろう」と述べ、「谷崎は非常に正直な人ですね」という千葉氏の言葉に苦笑してしまいます。

千葉俊二先生
千葉俊二先生

地歌「雪」への思い入れ

一方で谷崎は、関西に移住後、地歌への思い入れが非常に強くなり、稽古を受けた菊原琴治検校に対して「最も深い精神的感化を与えて下すった方」と敬意を表しています(松阪青渓著「菊原検校生い立ちの記」序)。熱心に地歌の稽古に励んだ結果が『春琴抄』に結実し、地歌「茶音頭」の稽古をつける春琴と佐助の姿が印象深く描き出されます。

名随筆『雪』には、谷崎が感じる地歌「雪」の素晴らしさがこと細かに述べられており、「〈この曲から様々な連想が浮かび上がって来る〉という谷崎が、自身の文学作品を形成するプロセスを自ら語っているような、非常に興味深い文章です」と千葉氏。後期の代表作『細雪』でも、四女の妙子が地歌舞「雪」を舞う場面が登場します。

幼少時代に『義経千本桜』を観た経験と、関西に移住し菊原検校について地歌を習い始めた経験が、見事に結びついた作品として千葉氏が挙げる『吉野葛』には、地歌「狐會(こんかい)」の詞章が母を慕う心を託し全文引用され、谷崎最後の傑作『瘋癲老人日記』では、自分の葬式に地歌「残月」を弾いてほしい、というくだりが登場します。「雪」と並んで谷崎が特に好んだ地歌が、この「残月」でした。

お話の合間には、歌舞伎『義経千本桜 道行初音旅』、新内流し、文楽『心中天網島 河庄の段』、地歌「雪」「残月」の国立劇場記録映像や音源などを視聴。古典芸能を切り口とした千葉氏のナビゲートによって、谷崎文学に対する興味と理解がより深まる夕べとなりました。

文楽「心中天網島 河庄の段」を鑑賞
文楽「心中天網島 河庄の段」を鑑賞

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