国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの夕べ 「漱石と芸能」

開催日:10月23日(月)
場所:伝統芸能情報館・レクチャー室

中島国彦さんと森常好さんの写真
左から中島国彦さんと森常好さん
中島国彦さんと都一中さんの写真
左から中島国彦さんと都一中さん


 12月の国立劇場邦楽公演『演奏と朗読でたどる 漱石と邦楽』、国立能楽堂の《特集・夏目漱石と能》に先立ち、宝生流能楽師の森 常好(もり つねよし)さん、一中節三味線方の都 一中(みやこ いっちゅう)さんをお迎えして「あぜくらの夕べ」を開催しました。ご案内役は、早稲田大学名誉教授の中島国彦さんです。

 第1部は中島国彦さんと森常好さんとの対談です。2017年に生誕150年を迎えた夏目漱石は、熊本で謡を習い始め、英国留学を経て東京で稽古を再開します。その際に謡を教えたのが、森さんの祖父・宝生流ワキ方の名人、宝(ほう)生新(しょうしん)でした。
 森さんは、小説「坊っちゃん」の中で、下宿の階下から聞こえてくる謡を聞き「なぜここに節をつけて謡うのか」と坊っちゃんが怒る場面が印象に残っているそうです。「漢字の単語にわざと節をつけるのが謡の特徴です。節をつけて漢字の意味を消し、心から心へと何かが伝わるのです。宝生新はワキ謡で、囃子事の拍子にとらわれずに自分の好きな節で謡えます。漱石先生はその自由さを好まれたのではないでしょうか」と森さん。
 また、宝生新はよく稽古の約束を忘れたらしく「漱石の日記に『宝生新、今日も来たらず』という記録が残っているそうです」と、楽しいエピソードも披露してくださいました。中島さんは、漱石の門下生・寺田寅彦の留学送別会で漱石が「大原御幸」を謡ったこと、胃潰瘍の手術後、謡の稽古をいつ再開できるか主治医に尋ねた手紙が残されていることなど、漱石がいかに謡好きであったかを話されました。
 宝生新出演による金春流「葵上」(1936年収録)、宝生流ワキ方の人間国宝で森さんの父・森茂好さんの出演された「実盛」(1967年収録)の映像を鑑賞後、森さんの素晴らしい「大原御幸」を拝聴しました。

 第2部は、中島さんと一中節宗家・十二世都一中さんとの対談です。江戸音曲の中でも、一中節は上品さが身上で、知性と教養を備えた大店の大旦那衆に好まれてきたそうです。「近年でも実業家の大倉喜八郎さん、“海賊”と呼ばれた出光左三さんなどが愛好者でした」と一中さん。 
 漱石も祇園のお茶屋で一中節を聴き、詞章を日記に書き付けるほどのめり込んだそうですが、漱石以上に一中節を愛したのが芥川龍之介でした。「芥川の養父が趣味人で、一中節、囲碁、盆栽、俳句など何でもできる人でした。一中節は明治時代の教養のひとつだったのですね」と中島さん。
 一中さんは「漱石の『三四郎』にも一中節を習っていることが出てきます。現代はベートーヴェンを知らない人はいませんが、三味線の実物は見たことも、聴いたこともない若い方がほとんど。こういう時代だからこそ、国立劇場で開催される『漱石と邦楽』のような企画は、原点を見直す意義ある試みだと思います」。
 芥川は「吉原八景」になぞらえた「恋路の八景」を作詞しています。「芥川の歌詞を「吉原八景」の節で唄ってみると、大正ロマンが馥郁と立ちのぼるようです。改めて芥川は天才だと思いました」という一中さん。恋心で頬が染まる様子を、三味線を弾きながら解説してくださいました。

 英語教師だった漱石、クラシック音楽にも傾倒した芥川の根底には、伝統的な音曲の素養が息づいていたのです。日本の音曲を再発見できる貴重な機会となりました。


 あぜくら会ではこれからも会員限定の様々なイベントを開催してまいります。皆様のご参加をお待ちしております。

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