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国立劇場
いとうせいこうによる 文楽の極意を聞く

かしら編(その4)

かしら編(その3)よりつづく

いとうさて、ここからは場所を移して室長にインタビューします。

村尾(文楽技術室長)よろしくお願いいたします。

いとう室長の場合はどういうふうにして入ったんですか、この世界に。

村尾大学卒業前に学校の就職課でここの事務員の募集があって。就職課の人は国立って名前が付いてるから、もう誰彼なしに勧めていて。私も書類出す時に「話だけでも聞きに行ってくれへん?」って言われて。私はまだ文楽がどんなものかってほぼ知らなくて、学校の授業でいっぺん、栗崎監督の映画『曽根崎心中』(1981年、『曾根崎心中』栗崎碧監督)を観たくらいでした。大阪芸大で専攻が映像学科だったんです。

いとうああ、そうなんですね。

村尾はい。授業でそれを見たのが唯一と言っていいぐらいの文楽体験だったんです。それで文楽って聞いて、見学に行ったら人形見せてもらえると思って。

いとう面白そうだと思って。

村尾そうなんです。子どもの頃からプラモデルとか作るのが好きだったので。

いとうああ、細かいものは好きだったんだ。

村尾それもあって、見せてもらったらすぐ帰ろうと思ってたんです(笑)。それが12月の初めぐらいで、ちょうど東京公演の時期で技術室の職員はいなかったんですけど、人事の方に部屋だけ見せてもらいまして。人形を見ながら「今は作る人もいなくて大変なんだよ」と言われて。私も事務員よりはそっちのほうが興味あるから、ぽろっと「私、事務仕事よりそういうのを作るほうが好きですよ」って言ったら「ちょっと待て」って、急に別室へ連れていかれて。役員が来て「君か、やりたいって言うのは」って、何のこっちゃっていう(笑)。

いとうそうなんですか(笑)。そうして、勝手に話が進んじゃった。

会議室に場所を移して、文楽の世界に足を踏み入れるきっかけを訪ねるいとうせいこう

村尾まあそれで、なんか「かしらをやりたい人」になってしまって(笑)。志望者が来た!っていう事に……。実は、それまで二人でかしら係をされてたんですけど、その内のお一人が亡くなられて、それでてんてこ舞いしてるところに私が……、

いとうひょこひょこって。

村尾ひょっこり行って。

いとうふと出てきちゃったんだ(笑)。

村尾つかまえられたっていう(笑)。

いとうそれは役員もね、すぐ言いますよね。

村尾それで東京公演の後、当時の上司に「とりあえずバイトに来い」って言われて、来てみたら、今のように手足がわーっとたくさんあって、刷毛を持たされて「塗ってみろ」って……。やってみたら、「使えそうだから、明日も来い」って言われて、そのままアルバイトを3月までやりました。それで、「やるか?」って言われたから「はい、お願いします」って。

いとうすごい、もう流されるままに。

村尾ほんとに流れのまんまに。これ就職決まったわ、ぐらいのライトな感じで思ってたんですけど、「じゃあ、師匠に挨拶しに行くから」って言われて、「ええ?」って。

いとう師匠って?って。

村尾そうです、そうです。技芸員さんたちの世界はやっぱり師匠、弟子っていう世界だなとは思ってたんですけど。まだ当時、徳島に大江巳之助師匠がご健在で人形を作られていたんで、上司はその一番弟子だったんですね。それで徳島に行きました。

いとう大江巳之助さんに会うってことなんですね。

村尾はい。だから大江師匠に弟子入りっていう形です。

いとうじゃあ、文楽劇場に入ったんじゃなくて。

村尾いや文楽劇場の職員なんですけど、同時に大江師匠の弟子っていう。

いとうそういう世界なんですね。

村尾そういう流れで、4月から文楽劇場で働き始めたという感じで。

いとう大江巳之助師匠に教わりに行ったりしたことはあるんですか。

村尾何年かしてからですけれども、仕事の合間で徳島に行って教えてもらったりっていうのはやってました。ただ、もう大江師匠もご高齢でしたので、割と入退院を繰り返されていた時期で。

いとうじゃあ、そんなお作りになってない時に。

村尾そうですね。だから時には師匠が入院されてる所へ行って、「じゃあこれとこれしなさい」と言われて。

いとううんうん。

村尾師匠の工房で午前中作業をして、昼になったら見せに行って、「ここはもうちょっとこうしなさい」っていう指導を受ける、というのを繰り返す感じが多かったです。

文楽劇場職員になった頃の様子を話す村尾室長

いとうすごいな。でもやっぱり実地で教わったことって大きいですか。

村尾そうですね。とはいえ、日頃の仕事全般は公演の幕を開けるための作業が基本なので、兄弟子、上司ですね、兄弟子から教わっていたんですけど、その兄弟子が私が入って3年ぐらいで劇場を辞めてしまって。

いとうええ?!そうだったんだ。そうなってくると、もう暗中模索になってきませんか?

村尾そうなんです。急に1人になって、かしらの責任者になってしまって。

いとう上司がいなくなっちゃった。

村尾責任がのしかかってくるわけです。だってやらないと幕が開かないので。

いとううわあ、面白いようなてんてこ舞いが来ましたね。でもその時に、わからないこともまだあったりしそうですよね。

村尾わからないことだらけですね。

いとうどのかしらがどれかとか。

村尾指示されるままに手足とか塗ってたようなもので、3年でやっとかしらの種類をひととおり覚えてきたなぐらいのところで、いきなり「1人でやれ」な状態ですから。幸い当時は、かしら割をされていた吉田文雀師匠からこと細かく教えていただけたし、他の人形遣いの皆さんからもアドバイスを受けながらどうにかやってこれた感じです。

いとう文雀師匠みたいな人形遣いの人に教わって、「これのほうが遣いやすい」とかって、むしろ実地的には良かったのかもしれないですもんね。

村尾そうですね。かしらや手足の動きを「ここはこういうほうがいい」とか、「もうちょっとスムーズに」とか、眉毛の形なんかを指導していただきました。ただ、それは技術的な指導じゃなくて、感覚的な指導なんです。だから文雀師匠が「もっと眉、こんな形やねん」っておっしゃったとすると、「こうですか」って「ちゃうな」みたいなのを繰り返して体得していくというか。

いとう何度も見せて。

村尾これでいいやろうっていう感じでやってました。

次々と質問を繰り出すいとうせいこう

いとうそれを何十体もやるわけじゃないですか、1公演。平均何十体ぐらいですかね。

村尾30~40ぐらいやるんですかね、演目によって差は出てきますけど。

いとうそれを全部1人でやっていて。

村尾そうですね、手足もその分来ますから。

いとうそうだ、手足も来ますよね。その時の床山、小道具なんかの皆さんも2人くらいですか?

村尾はい。

いとう例えば、「かしらにこういうふうにかつらを付けたいんだけど、これだとできないんじゃない?」みたいなこともあったりするんですか。

村尾特に床山さんは同じ部屋で作業をしていて、密接ですから。

いとうそうですよね。

村尾それで当時の名越師匠という床山の親方には、その辺りもだいぶ教えていただいています。

いとううんうん。人形浄瑠璃自体が公演をしながら稽古していくみたい面もあるじゃないですか。あんな感じですよね。

村尾全くもう実地で育っていけという。

いとうお客さんから、「もっと威厳があったほうが良かったんじゃないか」みたいな意見とか、そんなこともこともあるわけですか?

村尾あんまり直接は聞こえてこないんですけども、すごい遠回りして「こんなこと言われてたよ」みたいなこともありました。

いとう言ってくれる時もあるけど、でももうそこまで出ちゃってたら、どう直すとかって言われてもね。

村尾それ、稽古の時に言ってほしかったみたいな(笑)。

いとうそうですよね(笑)。もう始まっちゃってるわけだから。まあそんなふうに1人になって、室長は人生が変わっちゃったんですね。

村尾変わりましたね。本当に入って3年間は、毎日辞めてやろうと思ってたんですよ(笑)。

いとうそうなんだ(笑)。

村尾その兄弟子が厳しくて、こういう世界ですし、少し前の時代ですから当然厳しいんですけど。ただ、理不尽なこととかもあって、「いよいよこれは続けられんな。もう明日辞めると言おう」と思ってたら、何か別の事件が起こって。

いとうそれどころじゃなくなっちゃう。

村尾それどころじゃなくなって、もう辞めるって言えなくなっちゃったっていう状況が度々続いたんです。

いとう度々続いた(笑)。かしらが割れちゃったとか?

村尾もうそれこそ「明日辞めるって言おう」と思ったら、「今朝、師匠が倒れたらしいからちょっと徳島行ってくる。頼むな」って言われて、兄弟子1週間ぐらい帰ってこなかったりして……。

いとういなかったら言えませんもんね。

村尾そう。仕事しなきゃいけないので。そしたら気持ちが有耶無耶になって。

いとうすごいなあ、そうなんだ。

村尾そんな話の一番激しいのは、ある時ちょっとした行き違いで兄弟子を怒らせてしまって、翌日も口を聞いてくれなくて、「もうええわ、明日辞めたろ」って辞表を書いてリュックに入れて、当時バイク通勤だったんですけど、その通勤途中で車にはねられたんですよ(笑)。

いとうあははは(笑)。何ですかね、人形の魂がそうさせたんですかね。

村尾わからんですけど、足、骨折して入院して。

いとう迷惑かけちゃったな。

村尾どないしようってなって。また、そうなったら兄弟子が「病院食、飽きたやろ」って、ハンバーガーとか持ってきたりとかするんですよ。これは辞めるって言われへんなっていう。本当にそういうのが何回も続いて。

いとうあって。

手振りを交えて、当時の思い出を語る村尾

村尾3年ぐらいたって、だからそれまでは、もうこんな人生認めへんぞって思ってたのが、もうしょうがないかって。なんか辞めさせてもらえないし、何かの力でね。

いとう覚えていくことも増えていくし。

村尾それに、3年ぐらい経つと怒られる回数も減ってきたんです。じゃあやっていこうか、でもまた辞めようか、っていう波を繰り返して、いよいよもう駄目だ、辞めるって言おうと思ったら、逆に兄弟子が辞めちゃったっていう(笑)。

いとう究極ですよね、それ。

村尾えーって。

いとうもう仕方がない。

村尾もう四の五の言ってられないので。

いとうもう舞台のためにやるしかないんだっていう。でも、それからはしばらく1人で?

村尾1年半ぐらいは1人でした。さすがに1人では無理なので、劇場が募集はかけたんですけど、なかなか。

いとういい人がいなくて。

村尾ですね。それでしばらくは1人で仕事を回して。けど新しい人が入ったとしても、即戦力とはなり得ない世界なので、教えながらやっていく感じでした。1人入ってくれたんですけど、その人も14年ほどで辞めてしまって。

いとうそうなんだ、残念。

村尾また1年半ぐらい1人で回して、今の体制につなげることができました。

いとう今は人が増えて、最高の時だ。

村尾そうですね。今ようやく、じゃあ基本的な仕事は任せて新しい人形を作ろうかなっていう状況に、やっとなりました。

いとうそうなんですか。その新しいのっていうのは、「これは直したいな」とか、「これはもう少し、本当は違うふうにしたいんだよな」って、ずっと思ってたことをできるようになったってことですか。

村尾まずはその出番が多いかしらを一個でも増やせば、それだけローテーションが回しやすくなるので。

いとうさっきの義平次みたいな。

村尾そうです。特に一つしかないかしらっていうのはまだ何種類かあるので、それを増やしていきたいなというのがあるので。あと、新作物ですよね。

いとうそうですよね。

村尾そのかしらも。だから1人で回していると、とてもそんなことはできないので。

いとう良かったですね。

村尾本当に良かったです。





2月文楽公演は2月11日(水・祝)から2月23日(月・祝)まで!(休演日:16日(月))

チケット好評販売中

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