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竹本織太夫編(その3)
竹本織太夫編(その2)よりつづく
織太夫:「間」とかも色々と稽古をつけてもらいましたよ。例えば、「親人もこの宿禰も、肝に堪えてびつくりした」の、この「堪えて」と「びつくりした」の「間」ですよね。
いとう:その「びつくりした」の前の一瞬の間がもう。
織太夫:稽古だと、「肝に堪えるってどういうこっちゃ?」て訊かれる(笑)。
いとう:肝に堪えてないやないかと。
織太夫:「びつくりした」までのパーンという息の当て方だとかね。咲太夫師匠は「お前、それ全然びっくりしてへん」とかね。
いとう:すごい。
織太夫:息でしょう。息と間が芸になってなあかんと。写実でもあり、芸にもなってなあかんと。
いとう:その芸になっているというのはどういうこと?今の「びつくりした」っていうのは、見てて面白いもんね。
織太夫:芸になってなあかんというのは……難しいですけど、技術に見えちゃいけないということかな、きっと。
いとう:ああ、なるほど。
織太夫:厳しい稽古されていると、その時はめちゃくちゃ嫌なんだけども、その演目をやるとなると、師匠の顔の表情から角度から、言い方に至るまで、今になってもぶわーって思い出しますもん。
いとう:えー、マジで?!
織太夫:だって、これ十代の話ですから。それでもバッと出てくるでしょう、今。
いとう:うんうん。出てくる、出てくる。
織太夫:何の演目とか何やってたかとか、その時にどう言われたかも。
いとう:ずーっと覚えてる。
織太夫:全部覚えていますね。僕、何か特別な記憶力があるのか、生まれもっての芸人なのか(笑)、人の顔とか、これが誰で、どういうつながりがあるのかとか、そういうのを頭に入れるのが得意なのかもしれませんね。
いとう:でもさ、例えば、それができるようになったら、師匠の顔も出なくなるのかと思ったら、そんなことないんだ? できても浮かぶんだ?
織太夫:ずーっとですね。
いとう:そうじゃないと、ちょっとでも油断したら、変なふうにやっちゃうかもしれないということですか?
織太夫:そうです。それこそ中学1年生で声変わりの最中で、「お前声変わりやけども、どんな声出るか一遍やってみ」って言われて、「車曳」を1人でね。床本持ってきてやってね。その時に、どうせ出えへんからって、何も出なくなるまで声のぶつかり稽古するんです、子供の時って。
いとう:えーっ。
織太夫:例えば、この距離より少し離れてるくらいの感じで、向こうからドカーンと来る。
いとう:2、3メートルくらいはあるよね、これ。
織太夫:このぐらいで師匠の声が、バーンと来たら、僕の顔に師匠の空気圧がぶわっと来る。
いとう:マジか。
織太夫:師匠のすごい時ってそうなんですよ。
いとう:はあー。
織太夫:ドカーンと吹き飛ばされんちゃうかみたいな。
いとう:うわー。やっぱり声は声だけじゃないんだね。息があるんですね。
織太夫:びっくりするようなことがいっぱいあって、芝居とかの技術というのもそういう時に教えてもらうんですよ。例えば、桜丸で「三ぃーっつ」っていうせりふだと、師匠からは「お前の“みぃーっ”はこっちで、“つ”はこっちやないか」とかね。
いとう:えっ、どういうこと、どういうこと?
織太夫:「その言葉はどこ向いとんねん」ってなるわけですよ。それ、誰に向かって言ってんねんと。
いとう:でも、それを舞台上で「つ」って言って、相手を指さすんじゃなくて、床という舞台が全然見えないような場所で、お客さんの前でやっているけれども、頭の中には。
織太夫:目の前にはいるということですよ。
いとう:ねっ。そういうこと。イメージ力でしょう?
織太夫:うん。そういうところ含めて本行の芸というのは大事。だから、歌舞伎の役者さんもみんな師匠のところに来てね。ひどいことを皆さん言われて(笑)。聞いたことあるでしょう?
いとう:うんうん。どんな人が来てもね。
織太夫:襲名パーティーの時に今の(松本)幸四郎さんがいらしたんですけど、師匠がガツンと言ったらしく、「織太夫さんの襲名に来たのに、咲太夫師匠に“お前な、あれ、なってへんがな”と言われてしまって、私がめちゃ怒られて」なんて言って(笑)。
いとう:あははは(笑)。
織太夫:でも、これが文楽のええとこなんですよ、きっと。例えば住太夫師匠も月謝取らへんとか言うじゃないですか。
いとう:うんうん。
織太夫:住太夫師匠は「素人さんでもな、お金もらって教えるやろ、ほな嫌なこと言われへんねや」って。
いとう:あ、そうか、そうか。
織太夫:お金もらってしまったら、「いいですね、上手になりましたね」とか言わなあかんから。
いとう:なるほど。そうなっちゃうから、やりたくないと。
織太夫:特に役者さんはそう。そういうことなんです。現金のやり取りしたら褒めなあかん。
いとう:ああ……ストイックだなあ。
織太夫:芸を志す者同士だから、褒め合っちゃいけないし、何か言って相手に考えさせることがお土産やと思っています。
いとう:むしろね。逆にね。
織太夫:むしろ。そういうことを言うてやることが親切という。
いとう:でも、相当きついこと言うんでしょう?
織太夫:めちゃくちゃきついです。
いとう:でもまあ、ほかの方法でちゃんと伝わるようには駄目は出す?
織太夫:はい。
いとう:でも、叱ることは叱る。
織太夫:めちゃくちゃ叱ります。
いとう:というか、「違う」って言うんでしょう。一番大事なことというのは。三味線の時も同じだと、当時咲甫さんは言っていたけど、1音ベーンとやったら、違うって。
織太夫:師匠はやっぱいけずなんですよ。教えてくれないですよ、あんまり。「“師匠にこない言われた”って文楽のみんなに聞いてこい」って言われたりするし。
いとう:「こうすればいいんだ」をなかなか言ってくれない。
織太夫:言わない、師匠はね。
いとう:自分でやってみろと。
織太夫:やって、「違う」「違う」って言いますね。教えてくれないですね。
いとう:その時に、こういう気持ちだから違うだろうというのも言ってくれないんだ。
織太夫:あ、気持ちは言います。
いとう:気持ちは言ってくれる。
織太夫:「それ誰に言ってんねん」とか、「どんな気持ちやねん」とか気持ちは言うけども、文楽の場合って、実際こっちに向かって言ってても、実はそっちに向かって言ってることあるでしょう。
いとう:そうそう。人にね。そうじゃない横の人にね。
織太夫:「寺子屋」でもそういうところありますよね。
いとう:というか、そもそも舞台の構造上そうだからね。床にいて方向が違う方に言っているのに、舞台ではそっちで言っていることのように聞こえさせるんだもんね、あれ。
織太夫:そうそう。「寺子屋」とかでも、「コリヤ、菅秀才の首討つたは、紛ひなし、相違なし」っていうせりふで、「紛ひなし」は春藤玄蕃に言って、「相違なし」は源蔵夫婦に「わかってるよ」という肚づもりで言うわけですよ。
いとう:左に言って、右に言ってる。
織太夫:ええ。それ段取り間違っちゃ駄目でしょう。
いとう:もちろん、そうそう。
織太夫:首実検に来てるわけだから、春藤玄蕃にこれは間違いないよと。その「紛ひなし、相違なし」で、源蔵夫婦が「えー」ってなるわけですよ。「言ふにびつくり源蔵夫婦」だから。それぞれしっかり言わなきゃいけないんだけれども、言い方が違うんです。
いとう:どういうこと、どういうこと?
織太夫:要するに、これが小太郎の首だとわかってるはずなのに、
いとう:ああ、自分の子供の首だってね。
織太夫:で、これは菅秀才の首に「紛ひなし」、間違ってないよっていうのは春藤玄蕃に言って、逆の下手側にいる源蔵には「相違なし」。
いとう:わかってるんだろうな、という感じ。
織太夫:松王にしてみれば、「わかってる、拙者はわかってる」。この肚があるわけですよ。
いとう:それを、太夫としては首をあからさまには動かさないで語るってことでしょう?
織太夫:ちょっとはやります。ちょっとやるけど、それは語りで分かるようにやりますよね。
いとう:ある意味、落語的なね。でも、そういうことの積み重ねで立体的な舞台を、太夫が1人で作り上げるんだね。素浄瑠璃とか完全にそうだもんね。
織太夫:だから、1人でやっていて、視点というのかな、それはその時々によって、源蔵と松王でパッパッと変わるわけですよ。だけど、自分の目線は変えちゃいけないんです。
いとう:はあー、そうか。そういうことか。落語だったら上手下手に顔の向きを変えますもんね。
織太夫:そうでしょう。例えば源蔵の「につこりと、笑うて」というせりふ。この場合、師匠からは稽古の時に、「わしのここ、ここを突くねん」みたいに言われるんです。
いとう:額のところ。
織太夫:額のところをね。「につこりと、笑うて」、って言ってそのまま「アノにつこりと笑ひましたか」って。
いとう:うわー。
織太夫:「ハハハハ」、これで高笑い。で、「あんなことあったな」って悲しみが出てくる。「でも、よくやった、あいつは」と肚で思いつつ、「ハハハハ」。「あんなことあったな」と思いながら「ハハハハ」。持っていた扇子を落として、懐紙を顔に当てるようにしてそっと泣く。
いとう:なるほど。
織太夫:で、最後に大きく泣きます。これ泣き笑いの種明かしですけどもね。そうやって、「笑うて」の「て」から、
いとう:スポーンと。
織太夫:このまま、「て」から息をパーンと出すんですよ。
いとう:真正面を向いたまま、複数の人格を同じ目線でやる。
織太夫:同じ目線で、それを息を吸うんじゃなくて、そのまんまの息から次の息出す。太夫を見てると、そこで息継がないっていうのがわかると思います。
いとう:なるほどね。
織太夫:違う息を先出してから、吸っておいて、違う人の声出すんです。その人の息出すんですよ。
いとう:一々息吸うことで変えていたらテンポもなくなるし。面白くない。
織太夫:この間、ショート動画が流れてきたんですけど、上岡龍太郎さんの「文章の正しい読み方」みたいので、「大体みんな点で止めて、丸でも止めるんだけども、違うんですよ。点のところで止めて、丸のところは流す」ってことを言ってたんです。
いとう:俺も見た。あれすごいこと言ってるよね。
織太夫:すごいこと言ってる。ああいうことなんですよ。でも、もちろんこういうことは僕が編み出したわけでもなくて、よくよく見たら、私は本当に恵まれてて、八代目のお師匠さんが本当に一字一句、1行の中にこうやれってということが全部書いてあるんです。
いとう:うわー。書いてあるって何に?
織太夫:床本の朱のところに全部書いてあるんですよ。
いとう:いやー、すごいですね。宝だね。そのとおりやるんだ。
織太夫:そのとおりやればできる。すごいんですよ、八代目のお師匠さんってすごいんですよ。
いとう:もはや演出の話だね。しかも演出が普通の芝居の演出じゃないからな、それは。だって、真逆の人をそのまま演じるんですからね。
織太夫:そう。だから、「この“て”が大事。このイキのままや、そこや、そこや」で「ヲン」で「アノにつこりと笑ひましたか」。
いとう:うわー。それで切り替わってるもんね。
織太夫:そうでしょう?
いとう:すごいね。
織太夫:そうなんですよ。イキで変える。声で変えてないんですよ。まずイキで変えるんです。
いとう:イキが先に出てる?
織太夫:イキが先。
いとう:で、勘づかせているんだ、逆に。
織太夫:「笑うて」で「ヲン」っていう息になる。
いとう:「音」のことね。なるほど、先にイキがあって、その後で声が聞こえる。
織太夫:「アノにつこりと笑ひましたか」も、そこからズドンって息ですよね。悲しいけどあっぱれ、みたいな。
いとう:面白いね。
織太夫:だから、順番で言うと、イキ、感情、声なんですよ。
いとう:あー、まずイキで何かをお客さんに伝える。で、後で感情がついてくればもう大丈夫だと。ていうか、イキでどきっとするね。
織太夫:そうです。まず。
いとう:何でこっちにスパーンと来たんだろう、これどっちだろうと思うと、感情が来て、ああ、なるほど反対だったんだってわかる。
織太夫:そうなんですよ。例えば、『曾根崎心中』の「天神森の段」、何回も聴いてるでしょう?
いとう:うん。
織太夫:「死に行く身にも肝冷えて」ってあるじゃないですか。その後に「アア怖」って続きます。初演の八代目の床本の書き込みがあるんですけど、「肝冷え~て~」、三味線入ります。何かといったらこの「トン」に合わせて息をバッと吐くんです。このイキを出すことによって、お初がびっくりした息を先に出すんです。で、その間に目線をつけて、「アア怖」と言う。これを言う前に、先にイキを出す。バッていう息を出すことが、お初がびっくりした息になる。
いとう:なるほど。
織太夫:「アア怖」で、「今のは何の」
いとう:人魂見て。
織太夫:「光ぞや」って続く。「あれこそは人魂よ」って言ってる時には、気がどっか行ってしまっている。きっぱりと「あれこそは人魂よ」って言ったら駄目なんです。
いとう:何かをちゃんと見てるように言っちゃ駄目。
織太夫:分かるでしょう。ふわーって見てるんですよ。
いとう:見てるか見てないかも分からない。
織太夫:気がどこかに行ってしまって、死に向かっていくわけで。だから、先に息出すんですよ。「はっ」って言って、まずこの大きな音でお客様をびっくりさせるというかね。
いとう:何だろうと思いますね。
織太夫:「はっ」ていうので極まってから、「アア怖」。で、すーっと目線が行って、「今のは何の光ぞや」「あれこそは人魂よ」こう入るんです。
いとう:なるほど。すごい。
織太夫:先にイキ出すんですよ。
いとう:面白いね。
(つづく)
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