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国立文楽劇場

忠と義と情

玄月

正月がめでたいと思えなくなってずいぶんになる。子供のころは晴れ着らしきものを着て、お年玉の袋の数だけはたくさん貯まり、うようよいる親戚の子供たちと丸一日遊んだものだ。結婚し子供も大きくなってくると、元日に実家にちょっと顔を出していっしょに食事するくらいになってくる。三が日のテレビ番組がくだらないのはわかっていても、酒を飲みながらそれを見るくらいしか時間の潰しようがない。「三が日くらいなにもせず家でゆっくり」とは、こういうことである。

1月3日の文楽の初春公演初日は、着物姿のお客さんが多く、鏡開きも行われ、正月の雰囲気がすごくあったらしい。初春公演プログラムの、人間国宝・鶴澤寛治さんのインタビュー記事によると、戦前の初芝居は元日の12時から行われた。しめ飾り、門松が飾られ、キタ、ミナミ、堀江の花街から芸者さんたちが団体でこられる両桟敷での総見は、それは華やかだったそうだ。みなさん紋付で、お正月ならではの稲穂のかんざしを挿したりして。
私は1月8日に観劇したが、客席に正月気分はもうなかった。舞台は、初春の縁起のいい演し物で始まった。『団子売り』は、人形は2体しか出てこないのに、太夫と三味線は6人ずつという贅沢な構成。夫婦が餅をつきながらの、おめでたい歌と軽妙で滑稽で愛嬌もある踊りは、なにも考えずに楽しめた。文楽は、時代物・世話物だけではない。

つぎは『ひらかな盛衰記・松右衛門内の段』。
摂津の国の漁師・権四郎は、大津の宿屋である事件に巻き込まれて、孫の槌松を違う子供と取り違え連れ帰ってしまう。その子は、木曾義仲の嫡子・駒若君であり、連れ戻しにお筆がやってくる。権四郎は槌松が帰ってきたと大喜びしたが、騒動のとき首を切り落とされたと、お筆に聞かされる。お筆はさらに、孫のことはあきらめて、預かってもらっていた駒若君を返してほしいという。 権四郎の感情の落差はすさまじい。「おなご黙れ」と一喝。「何の面の皮でがやがや頤叩く。恥を知れやい恥を……」と大泣き、罵倒の長セリフ。最後に、「首にして戻そうぞ」と、言い放つ。駒若君の首を切り落として返すというのだ。しかもかなり本気で。

文楽では人がよく死ぬ。女子供も容赦ない。現代の映画やドラマではありえない展開があったりする。切腹死体の横で祝言をあげたり。今回を含め三度文楽をじっくり見てきて、そんな展開に驚かなくなった。
新鮮味がなくなったということではない。三度見たくらいで文楽が理解でき、ましてや飽きるはずない。文楽の型に、少し慣れてきたのだ。文楽の世界観、といってもいい。

「松右衛門内の段」のその後の展開は、時代物のひとつの型である。
いきりたつ権四郎の前に現れたのは、義経に討たれた主君・木曾義仲の仇を討つため身分を隠して権四郎の入婿になっている、樋口次郎兼光だ。権四郎は〈逆櫓〉という船を操る技術の名人で、それを習得し、義経が乗る船の船頭になって仇討ちするという目論見である。 樋口は抱いていた駒若君をお筆に渡し、上座に座ると、「権四郎、頭が高い」と威喝し、駒若君と自らの素性を述べる。そして、殺されたのは義理の子とはいえ自分の子に違いなく、大恩ある主君の嫡子の身代わりになるとはこれ忠義、こんなうれしいことはない、まだこの上に私が武士道を立ててくれたら生々世々の御厚恩と、権四郎に頭を下げる。

権四郎は仰天し、そして納得。駒若君は助かる。しかし、つづく「逆櫓の段」で樋口は頼朝の家来・重忠方に取り囲まれる。権四郎が重忠に訴人したのだと樋口は怒るが、重忠とともに現れた権四郎が、駒若君のことを槌松だと言い張り、樋口とは本当の親子ではない、訴人した代わりに孫を助けてくれという。もちろん重忠は真実を知っていて、駒若君を見逃すつもり。樋口はここで権四郎の心を知り、縄にかかる。やがて樋口は忠死する。

ひと言でいうと、筋が入り組んでいて、しかも回りくどい。樋口の動機も権四郎の意図も重忠の心情も、都合がよすぎたり持って回った感がある。しかしそれは、粗筋を読むかぎりのこと。前述の三者は見事に、忠・義・情を表しているのだ。
太夫の語りと三味線の音色が、人形の感情の起伏を、ときに大仰に、ときに細やかに、あるいは湿らすように、または追い立てるように、忠・義・情を表現する。文楽という型では、筋はこのようでなければならない。数百年かけて、練られ磨き上げられてきた型なのだ。 しかし悔しいことに、私はその三位一体を、理屈ではなく体感で楽しむことがまだできていない。深く理解できる日がやがてくる予感があるだけである。

■玄月(げんげつ)
作家。大阪南船場で文学バー・リズールをプロデュースし、経営している。1965年生まれ。大阪市立南高等学校卒業。2000年「蔭の棲みか」で第122回芥川賞受賞。著書に、『山田太郎と申します』『睦言』『眷族』『めくるめく部屋』『狂饗記』など。大阪府在住。

(2013年1月8日『団子売』『ひらかな盛衰記』『本朝廿四孝』、22日『寿式三番叟』『義経千本桜』『増補大江山』観劇)