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国立文楽劇場

ラブユー・文楽

くまざわあかね

落語でも芝居でも、そしてもちろん文楽でも、観終わってから友人や連れ合いと、ああだこうだ、感想を述べあうのは実に楽しい。観てきた舞台を肴に、うだうだ呑むのはもっと楽しい。「あの場面って、なんでああなるんやろ?」「あの大夫さんよかったわぁ」と、とりとめないことをしゃべっているうちに、うかうかお酒もすすむというものだ。連れがいないときでも、たとえば文楽の昼の部だったら千日前の丸福珈琲で、夜の部終わりなら家の近くのバルなどで、ひとりしみじみ、観てきたばかりの舞台を反芻してみる。自分がなにを感じたのか、どう思ったのかをあらためて確認してみる。ただただ、スタンプラリーに参加するかのように「この舞台見ました」とハンコを押して、ハイおしまい、では、なんかもったいないような気がしてしまうのだ。

一月の文楽公演のあと、真っ先に話題となったのが「赤ちゃんのときに取り換えられた『ニセモノの勝頼(の絵像)』と『ホンマモンの勝頼』が、赤の他人やのにそっくりって、そんな偶然アリ?」というもの。絵像の勝頼(ニセモノ)に恋した八重垣姫が、突如あらわれたホンマモンを見て「あっ、勝頼さま!」と思うわけだから、よほどのそっくり具合である。今日び、本人を描いたモンタージュ画像だって、それほど似てないだろうに。

文楽によく見られる「うそーん」と言いたくなるほどのご都合主義である。もしかしたら、江戸時代の作者の方々も、「どないしょ、だんだん辻褄合わへんようになってきた…こんな設定にしたら、ムチャクチャやん、て後で突っ込まれるやろな…けどこのままやったら終わられへんしな…ええい、ままよ!」と、ちゃぶ台ひっくり返す勢いで書いたのかもしらんなぁ、なんて、少し同情しながら想像してみたりして。「古典芸能」というマジメな顔をしているけれど、実は文楽の戯曲はこんなつっこみどころ満載である。そしてそのつっこみどころはあっけらかんと放置され、解決に至ることはほとんどない。

そんな言うてもせんないことは置いといて、その『十種香』の八重垣姫と、『義経千本桜・すしやの段』のお里と、一月公演にはふたりの恋する乙女が登場するけれど、圧倒的に気の毒なのがお里である。

八重垣姫の場合、侍女の濡衣に勝頼さまとの仲を「なんとかしてぇ」と泣きつけば、条件付きとはいえすぐにカップルになれてしまうわけだし、なったらなったで、勝頼さまの危難を救うべく、狐の力を借りてウルトラマンならぬ超人・八重垣マン(厳密には八重垣ウーマンか)に変身しちゃうわけで。前半のもじもじシャイガールと後半のはじけっぷりと、あなた本当に同一人物ですか? と聞きたくなるほどの変わりようだけれど、ともあれハッピーエンドとなることは間違いない。

それにひきかえお里である。とってもかわいそうなのである。都から離れた草深い土地で、父親が経営する鮨屋に突然あらわれたモデルのようなイケメン従業員。そりゃあ惚れるな、というほうが無理でしょう。ましてや自分は経営者の娘、立場は上だ。ちょっとアタックしてみたら、すんなりいい仲になれたし、両親もふたりの結婚を認めてくれたし、トントン拍子でこりゃラッキー、と思っていた矢先になんと。このイケメンが平家の公達・平維盛で、しかも妻子持ちだったことが判明してしまうのだ。「婚約までしていた彼氏が、実は既婚者でした」って、今でも悩み相談のコーナーに寄せられそうなほどの、ひどい話だ。現代なら「しっかり慰謝料を請求しましょう」てな回答がなされるかもしれないが、お里はもちろんそんなことはしない。事実を知ると泣き崩れ「(もし平家の公達と知っていたら)たとえ焦がれて死ぬればとて、雲井に近き御方へ、鮨屋の娘が惚れらりょうか」。原文のままだけれど、ちっとも分かりにくいことはなく、お里の心情がズバンとストレートに伝わってくる。なんともいじらしく切ないセリフである。

その少し前、久しぶりに妻子と対面した維盛が、妻に「ちょっと離れてる間に、浮気してたでしょ!」とお里のことを責められて、「仇な枕も親どもへ、義理にこれまで契りし」と言い訳する場面がある。「経営者のおやじさんに悪くて、断りきれなくてつい…」というこのセリフ、なんやこの男は! と、傍で見ていても怒り心頭である。それを聞いたお里も、「親への義理に契ったとは、情けないお情に与りました」と号泣する。当たり前だ。

それが、維盛家族に追っ手が迫っていると知るやいなや「なんとか無事、逃がして差し上げねば」と画策するのだけれど…と話は進んでいくのだが、いやいや、ちょっと待った。お里、どれだけいい子なんや、ということもあるけれど、一番「なんでやねん」と言いたいのは、両親が維盛とお里の結婚を進めていた、ということである。父親も母親も、このイケメン店員が維盛だと知りながら、である。いくら源平時代のこととはいえ、娘がメロメロになっているとはいえ、ここはビシッと「あきらめろ」というのが親心なんじゃなかろうか。納得できんよなぁ、と思いながら舞台を見終え、あとから舞台を反芻し、床本を読んでハタと気が付いた。ちゃんと、伏線が張られていたのだ。

冒頭で母親は、維盛のことを「弥助殿、弥助殿」と丁寧に扱うことで、実は娘に「この人はただ者ではないのだよ」とのサインを送っているし、父親も維盛に対し「今宵祝言と申すも、心は娘を御宮仕え」と語っている。夫婦にするのではなくて、侍女としてお仕えさせる心づもりらしい。だけど…両親はそのつもりかもしれないけれど、肝心の娘はウエディング・ハイでそわそわ、いそいそしてるやないですか。始めから、娘になにもかも打ち明けてやればよかったのに…と思いきや、ここにも伏線が。維盛の言うには「女は嫉妬に大事を洩らすと、弥左衛門(父親)にも口留して、わが身の上を明かさず」。結局は「恋いする娘が思いつめたら何をしでかすかわからん」という維盛の疑いの心が、お里の悲劇を招いてしまったのだ。かわいそうに…と思いつつ、意外なほどしっかり張られていた伏線に、文楽の戯曲はつっこみどころ満載なんて思ってしまって並木千柳先生ごめんなさい、と心からすまなく思う一月公演なのであった。

■くまざわあかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。

(2013年1月8日『団子売』『ひらかな盛衰記』『本朝廿四孝』、24日『寿式三番叟』『義経千本桜』『増補大江山』観劇)