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国立文楽劇場

はじめての文楽

後藤 正文

文楽の面白さを僕に説明してくれたのは、いとうせいこうさんだった。人形浄瑠璃の魅力はいろいろあるけれど、ミュージシャンの視点から観劇しても、三味線や義太夫の節回しなども独特なものがあって、刺激を受ける部分が沢山あるだろうとのことだった。そして偶然にも、その数ヶ月後の仕事で出会った釈徹宗先生とも文楽の話になり、劇場スタッフを紹介していただいて、僕は今回の観劇の機会にありついたというわけだ。

邦楽に興味を持ちはじめたのは、ここ数年のこと。世間一般に邦楽と言えば、ポップスなどの歌謡曲全般のことを指す。けれども、それは本来の邦楽ではなくて、西洋音楽を日本的にアレンジしたり解釈したり、そうやって作られたもので、日本の伝統的な音楽とはほとんど接続していない。僕たちはいつの間にか、三味線や尺八のような楽器の音色や、それらに使われる音階を聴いても、郷愁を感じなくなってしまった。自分の暮らす国の伝統的な音楽を知らないでいること、その事実に少しだけ僕は恐ろしさのような感覚を覚えたし、それは音楽だけではなくて、例えば僕の大好きな大相撲に対して世の中が求める潔癖さなどともリンクして、どうにかして伝統と接続せねばと真剣に考えていたところだった。

開演を告げる放送の後、数人の大夫と三味線方が登場した。こんなに多くの人が演奏をするのかと驚いた。そして、人形が現れて演目がはじまり、さらには舞台の上方に字幕が映ることにも驚いた。正直に言えば、どこに集中していいのか分からなかった。分からなかったというよりは、三味線の音が気になって手元を見、初めて観る人形の動きの、例えば右手と左手の動きの違いなどを観察し、話についていくために字幕を読み、とにかく忙しなくあっちこっちに気持ちが分散してしまって、最初の演目『団子売』だけでかなりのエネルギーを使ってしまったのだった。このまま数時間ここに集中して座っていられるかしらと、序盤から心配になった。

なので、僕はまず、この日はストーリーの細部まで理解することは諦めた。正しく物語についていくには、観賞する側にそれなりの準備がいるのだということを直感した。そして、その準備ができていることを「粋」と言うのだろうなと思いもした。だとすると僕は「粋」でなく、むしろここに座っていていいのかしらという恥ずかしさも涌き上がってきた。それは、都会の人たちが嗜む芸能の客席に、田舎の百姓が野次馬根性丸出しで混ざってしまったような感覚だった。だけれども、この機会に得られる感動のすべてを放棄するのはなんだか残念だ。だから、ひとまず、話の筋を理解するという論理的な脳内のチャンネル以外を全て開放することに決めた。そのうえで、ついていけるだけ、ついていこうと思った。

そこからは自然と、各段の始めは三味線と大夫のどこが特徴的なのかに耳と目をやり、それに馴染むと今度は人形の動きに注目するようになった。自然とニヤリとしてしまうユーモアを感じる場面もあった。『本朝廿四孝』では、さめざめと泣いている八重垣姫の繊細な動きから目が離せなくなってしまい、場面が転換した「奥庭狐火の段」の豪快なクライマックスでは危うく立ち上がってしまいそうになるほど興奮してしまった。橋の下の枠みたいなところがカパっと開き、人形のクオリティと比べるとかなり雑な狐の絵が水面の描写として現れたたときには椅子から転げ落ちそうになったが、そこから、あれほどまでに躍動感のある場面になるとは。とにかく圧倒的で、目の前に舞台があるんじゃないかと錯覚するほど引き込まれた。

終演後、僕は少し悔しかった。多分、この文楽という芸能は、僕が想像していたよりもずっと面白い。ただ、今の僕には、その面白さを深く理解するための技術がない。だから、ちゃんと準備をして、また行きたいなと思った。通ってしまうかもしれない、とも思った。

■後藤 正文(ごとう まさふみ)
ロックバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION」のボーカル、ギター。同バンドの作詞、作曲の殆どを手がける。1976年生まれ。著書に『ゴッチ語録 GOTCH GO ROCK!』『ゴッチ語録 A to Z』がある。2012年最新アルバム『ランドマーク』を発売、2013年4月アナログレコードとデジタル配信にて『The Long Goodbye』をソロ名義で発表。現在、“未来を考える新聞”「The Future Times」編集長も務める(http://www.thefuturetimes.jp/)。静岡県出身。

(2013年1月14日『団子売』『ひらかな盛衰記』『本朝廿四孝』観劇)