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国立文楽劇場

曾根崎人形

鈴木 創士

夏の盛りに近松門左衛門作の『曾根崎心中』を大阪の文楽劇場で見た。

ゲーテと同じ時代を生き、古典主義とドイツ・ロマン派の間で逆さ吊りになって、そのどちらに属すつもりもなかった劇作家で詩人のハインリッヒ・フォン・クライストは、「何をやっても、ものにならなかった」などと悪口なのか、別の見方をすれば賛辞なのかよくわからない、普通に聞けば誰が言われているのか、こちらが身につまされるような紹介の仕方をされているのだが、それもそのはずで、たったひとりでゲーテに文学的決闘を挑もうとしていたこの孤高の文人は、妄想のなかでヨーロッパ最強の文学者の暗殺を成し遂げるどころか、栄光を夢見た劇作の上演も見るも無残な失敗に終わり、とうとう最後には道連れの女性を射殺した後、本人がほんとうにピストル自殺を遂げてしまった。「代々甲冑の家に生まれながら武林を離れた」近松門左衛門は、それかあらぬか、凄惨な事件を当時の当節ドキュメンタリー風に、ほとんど余計な抒情を排してある意味でリアリスティックに淡々と報告したのだから、このドイツの劇作家は近松とは正反対の道を歩んだことになる。だが二十世紀になると、この厄介な作家はカフカなどにも影響を与えたと言われているみたいだし、今からドイツ文学の話をしようというわけではないので、まあ、それでよしとしよう。

閑話休題。

クライストは、マリオネット(操り人形)についての文章の中で、人形の動きを「舞踏」だと称して、この舞踏はメカニックなものであり、それぞれの動きにはひとつの重心があって、ぶらぶらする肢部は振り子にほかならない、などと言い切っているのだけれど、人形は人形でも、文楽の人形の立ち居振舞いを見た人からすれば、このクライストの所見はとても珍妙なものに思えるに違いない。同じ操り人形でも、日本の江戸糸あやつり人形にしてからが、糸の下の繊細この上ない人形の動きも糸自体の仕様も西洋のマリオネットとはまったく違うのだから、腕どころか三人の人形遣いのからだ全体を使って人形と連動させるような文楽の人形の動きについては、言わずもがなの話である。ただこのクライストの分析はまったく正反対の方向から文楽人形の動きを逆に照らし出すことになって、それなりに面白いから、もう少しだけ彼の言うことにつき合ってもらいたい。

重心が描くはずの線は一応はいたって単純なものでしょう。大概の場合、直線だろうと思います。曲がる場合には、その湾曲の法則はすくなくとも一次曲線、乃至はまず二次曲線からなると思います。後者の二次曲線の場合でもせいぜいが楕円曲線でしょう。そういう運動の形が、人体の尖端には(関節があるために)さなきだに自然な形ですからね。ですから操り手は、取り立てていうほどの技術を要しません。
それでいてこの線は、ひるがえって別の面からすると、たいそう謎めいたものなのです。というのもそれは舞踏手のたましいの道にほかならないからです。こういう線は、操り手が身をもってマリオネットの重心になり切ることによって、言い換えるならつまりは舞踏することによってしか、露見してこないのではないかと思います。 (「マリオネット芝居について」、種村季弘訳)

人形の動きがメカニックだということは、骨っぽいということである。ギクシャクした動きはそこには骨格があることを思わせる。聖書的な伝統によれば、人は塵のまた塵からたぶん粘土をこねるようにして、その後ふっと息を吹き込まれて創造されたのだから、それにまた最初の女性と言われる(ほんとかな?)イヴなどは、なんとアダムの「肋骨」から造られたそうだから、ずっと後になって中世ユダヤのお坊さんたちが神の業を真似て、いろいろ呪文やら何やらを駆使して造り上げたゴーレムと呼ばれる土偶の人造人間というか化け物の動きが、骸骨人形のように、ロボットのようにギクシャクとしていたのはそれ故である。ゴーレムのからだのなかに骨格があったのかどうかはわからないにしても、そういえば、カトリック思想とブードゥー教の合作だとおぼしいあのおかしなゾンビの動きもまたしかりである。聖書の神は自分の姿に似せて人を造ったし、人形は人の姿に似せて作られるのだから(やれやれ!)、西洋の人形のイマージュの人工性には神を冒瀆するような、何やらいかがわしい秘密めいた雰囲気があるのはそのためである。二十世紀の前衛的な人形、例えばシュルレアリストのハンス・ベルメールのつくった関節人形などを見てもその感を免れることはない。おまけに彼は「イマージュの解剖学」などと言っているのだ!だが事は西洋に限らない。西行だって吉野の山奥で人骨を拾い集めて人造人間をつくったらしいから同じようなものである。

それに日本の人形の起源が何なのかよくは知らないが、大昔にはヒトガタと言われる紙でできた呪いの人形、呪詛の世界をバックグラウンドとし棲家とするヒトガタもあったことだし、もともと人形自体には呪術的な風情を漂わさざるを得ないところがあることは言うまでもない。人形の存在自体が神の秘密を、そしてある意味で人の秘密を盗むものだからである。これは「イマージュ」というものは何であるかという美学的または哲学的神学的なややこしい問題にかかわるので、このへんでやめておくが、昔、私のごく親しい知り合いが、二体のロシア人形が突然十センチほど浮き上がり、そのまま空中にしばらく静止しているのを見たと言っていたし、人形にまつわるこの類いの話には古今東西事欠かないだろう。

でも人形と人形遣いの関わり自体はまた別の意味でとても独特でとても考えさせられるものを含んでいるし、人が人形を何食わぬ顔をして動かすこと自体、もっと奇妙なことではないかと思えてくる。クライストは人形の動きの描く線は謎めいていて、それは人形遣いのたましいの道だと、前言をなかったことにするかのような、というか、いや、数学的真理にも魂の秘密の道があるのだからそうでもないだろうが、突然、詩人が我に返ったようにそんなことを言い始めているが、文楽の場合はどうなのだろう。

人形と人形遣いの関係については、谷崎潤一郎が、さすが大谷崎らしくさりげなく的確な文章を書いているので、長くなるが勘弁してもらうとしてそちらを引用することにする。

むかし人形芝居を見た時には不気味でグロテスクなやうに感じたが、見馴れて来るとなかなかさうではない、妙に実感があつて、官能的で、エロチツクでさえある。人形を使ふのには主なる人形使ひが上半身と右の手とを動かし、一人の助手が左の手を、他の一人の助手が両足を使ふ。さうして主なる人形使ひはときどき黒衣(くろこ)を脱いで、人形の衣裳と同じやうな派手な裃(かみしも)姿で現はれる。私は最初、それを眼障りであると思つたが、それもだんだん考へると、矢張あれはあの方がいい。なぜかと云ふのに、あの人形使ひは実は人形を使ふのではなく、自分の肉体を人形の肉体に仮託しているのだからである。詰まり人形の袂の中にあるものは人形使ひの腕であり、人形の胴にあるものも亦人形使ひの左の腕である。人形自身は纔かに首と手足の先とを持つばかりで、胴体もなければ腕も腿もない。女の人形の場合には腰から下は全くがらんどうで、足の先さへもなく、そのなまめかしい裾さばきの下で動いているものは、助手の両腕なのである。云ひ換へれば一個の人形は三人の生きた人間の肉体を借りて成り立つ。さうして主なる人形使ひは最も多く自分の肉体を人形のために提供している人である。それ故文五郎が天網島の小春を使ふ時、小春が懐ろ手をして溜息をつかうとすれば、文五郎の肉体が溜息をし、文五郎の手が小春の懐ろに入らなければならない。人形の体は凡て宙に浮いているので、小春が据わる時は脚を使ふ助手が裾をつぼめて膝をふつくらとふくらませ、小春の腰であり、臀であるべき部分は直ちに裃を着た文五郎の腕と胴とに接続する。かかる場合には何処迄が人形の領分であり何処迄が文五郎自身であるとも云へない。小春は文五郎の肉体から派出した美しい枝であり花である。花を賞でるには花と一緒に幹をも見なければいけないやうに、人形の面白味は人形使ひと人形との一体になつたところにある。人形使ひは単に人形に依るのみでなく、自分の全身の運動を通して人形の心持ちを表現する。此の関係が私には非常に面白い。だから人形を見ると共に人形使ひを見た方がいい。
(『饒舌録』)

谷崎の言っていることにけちをつけるようだが、必ずしも人から延びた枝が人形のなかにまで届いているのではない。言うまでもなく人形と人形遣いが一体となるというのはそのとおりであるが、人形遣いが幹で、人形はその枝であるとは限らない。花が咲くとも限らないのだ!遣い手から枝のように手が延びているかどうかは、枝となった人形だけの関心事かもしれず、幹と枝の関係はそのまま人と人形の関係とはならないかもしれない。それにしても人形の遣い手は舞台の上では黒衣となって、そこにいてもいないかのような影の存在となるのだが、いずれにせよそれは種(しゅ)のカテゴリーにおいても、芸術のカテゴリーにおいても、確かに秘密の領分であるし、独創的な発明であることは間違いない。だから黒衣とはじつに日本の芸能が編み出した最も高度に抽象的な存在である。この抽象性はたぶん現代の演劇理論に照らしてもきわめて厄介なものであり、寺山修司はたびたびそのことを意識するような舞台をつくっていたことを思い出す。黒衣に扮した役者ならぬ役者たちが劇と劇場を支配して、身動きして会場の空気を乱そうとする観客を殴りつけ、乱暴狼藉を働いたのである!

話を元に戻すなら、よく見てみれば、そしてよくよく考えてみれば、人の領分と人形の領分がいつも五分五分であるとは限らないのだから、人形も遣い手も別々の人格だと考える必要はないのかもしれない。曾根崎心中の舞台で、天満屋お初の人形が首をほんの少し引き気味にくの字に傾げ、徳兵衛が怒りと諦めのあまり腰をかがめるとき、恐らく人の領分はどこかに掻き消えて、舞台の上で人形遣いの肉体は自動機械のように、また彼自身の内側にくぐもったもうひとつ別の肉体と同じように、それ自身が夢遊病者のような動作を繰り返しているかもしれず、人形遣いといえども舞台の外にいる時と同じように人の領分の中に住んでいるかどうかは実際にはわからない。人の領分と肉体の領分は同じものではないはずだから、人形の領分だって人の領分を食い尽くしているかもしれないのだ。そしてこれほど愉快で痛快なことがあるだろうか。人形が恐ろしいのはそのせいである。

せっかく曾根崎心中を観劇したのだから、芝居がすんでお初天神まで行ってみた。ここの社の裏手が実際に心中の舞台である。天神の森にはいまや飲み屋が林立している。

…この世の名残。夜も名残。死にゝ行く身をたとふればあだしが原の道の霜。一足づつに消えて行く、夢の夢こそ哀れなれあれ数ふれば暁の、七ツの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め寂滅為楽と響くなり…
(近松門左衛門)

お初天神を訪れるのはものすごく久方ぶりのことだった。昔、このあたりを時たまうろうろしていた時期が私にもあったのだが、もう江戸時代の鬱蒼たる天神の森はなく(当たり前だ)、お初天神も周辺の佇まいもそれほど昔と変りはなかったように思う。かつてたまに通っていた蕎麦屋もバーも健在だった。お初天神の境内にアベックの姿も二組ほどあって、拍手(かしわで)を打つ音が聞こえていたが、彼らはお初と徳兵衛にいったいこの世の何をお願いしていたのだろうか。 これらの役者たちはみんな亡霊だったとシェイクスピアが芝居のなかに書いていたが、お初と徳兵衛の亡霊もここにも見当たらず、後には千切れ雲ひとつ残らないように、酔客のたわ言もろとも跡形もなかった。夜は更けるばかりだ。私は数年前から脚が痛くてステッキをついているので、スフィンクスのなぞなぞみたいに三本足というか、路地裏を行く誰かの歩きっぷりは文楽ではなくむしろマリオネットのようにギクシャクしていたに違いないが、そうはいっても、形而上学的に言えば、私自身には迷惑な話なのだが、それでもどちらかといえば文楽人形のように、ふと気がつくと路地の蔭からひょっこりと現れ出で、すべるようにバーの扉を潜りぬける、突拍子もない、場違いな影であったのかもしれない。勿論、自分が誰かの肉体を借りた曾根崎人形になった気分を密かに味わっていたことは言うまでもないのだが…。

■鈴木 創士(すずき そうし)
フランス文学者、批評家、作家。音楽ユニットEP-4のメンバーでもある。1954年生まれ。主な著訳書に『アントナン・アルトーの帰還』、『魔法使いの弟子』、『中島らも烈伝』、『ひとりっきりの戦争機械』、『サブ・ローザ』、エドモン・ジャベス『問いの書』『ユーケルの書』『書物への回帰』『歓待の書』、フィリップ・ソレルス『女たち』、アントナン・アルトー『アルトー後期集成』(共同監修)、ジャン・ジュネ『花のノートルダム』、アルチュール・ランボー『ランボー全詩集』など。兵庫県在住。

(2012年7月24日 『曾根崎心中』観劇)