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国立文楽劇場

おっぱい

黒澤はゆま

「自分の体のなかで一番プライベートなものだったはずなのに、子供が生まれてから公共物というか社会のインフラの一つになっちゃったみたい」

出産後、病院内とはいえ、検査や授乳などで、人前に何度も胸をさらけ出すはめになった妻はそうぼやいた。

だが、どうも江戸時代というか、近代以前、女性の胸はプライベートで秘められたものではなく、社会に対して大きく開かれたものだったらしい。

江戸時代の浮世絵には、往来や、雨宿りにかけこんだ寺社の軒下など、人目の多い場所で、あっけらかんと胸をさらけ出して授乳している母親の姿がよく描かれている。

また、子供は実の母親の乳で育つものという考えもなかったらしく、武士でも庶民でも、子供が近所の別の母親の乳をもらうことがよくあったという。

それどころか「乳付け」、生まれた子供とは別の性、つまり赤ちゃんが男の子だったら女子、女の子だったら男子の子供の母親から初乳をもらうという習慣まであったそうだ。

これは子供が丈夫に育ち、はやく縁づくようになるからと理由づけされていたようだが、本当は、共同体のなかで乳のやり取りが活発に行われるようにする工夫だったのだろう。

こうした乳を媒介にした繋がりを、沢山美果子さんは「乳を巡るネットワーク」と呼んでいる。

乳は共有され、社会を結びつける媒介。

「ボインは……お父ちゃんのもんとは違うのんやで」と歌ったのは月亭可朝だが、江戸時代というか近代以前、ボインは社会のもの、共同体のものだったわけだ。

こんなネットワークが出来たのは、ひとえに医療が未発達な上、栄養不良が常態だったため、子供も、そして母親もよく死ぬ社会だったからだ。乳房を結び目に作られた網は、赤ちゃんとその母親の命を守るセーフティネットだったのである。

ちなみに、春画の乳房の描写がやけにあっさりとしていることからよく指摘されている通り、江戸時代の男はあまりボインにはエロティックさを感じなかったようである。

彼らに、現代の、胸ばかり強調されたグラビア写真集を見せても、読み捨ててしまうに違いなく、「ぐふふ、でかいのう」と食いつくのは、乳母奉公を斡旋する口入屋の嬶ばかりだっただろう。

長い枕になったうえに、話しが逸れそうだが、延々と江戸時代の乳事情について書いたのは、「伽羅先代萩」の主人公、政岡の涙を理解するには、こうした背景を踏まえる必要があると思ったからだ。

今回上演された「竹の間の段」「御殿の段」「政岡忠義の段」の主人公、政岡は、伊達騒動をモデルにしたお家争いのため命を狙われる幼君伊達鶴千代の乳母だ。

乳母というと、『真田丸』で峯村リエさんが熱演した大蔵卿が典型だが、あまり評判がよろしくない。大蔵卿がそうだが、君主やその跡継ぎを養育したというのを笠に着て、家政を壟断する悪女という役がお定まりだ。

しかし、「伽羅先代萩」の政岡はあくまで凛々しい女性である。

幼君鶴千代のために知恵と勇気を尽くして戦い、ついには自ら刀を振るって、執拗に鶴千代の命を狙っていた悪女、八汐を討ち取る。自分の子供、千松を犠牲にしながら……

私はその姿に、目立たぬながら、歴史に大きな影響を及ぼしてきた乳母達の姿を見た気がした。

乳母の立場は江戸も時代が下るにつれ大分落ちるが、もともと格式高いものだった。特に身分の高い男児の乳母は、女性の身分も釣り合うように慎重に選ばれた。女性の持つ性質が乳を通じて子供に伝わると考えられ、さらに量が出ないとどうしようもないわけだから、知恵もあり、身体も壮健な女性が多かっただろう。

また、子供に乳母をつける目的は、単に乳の供給者を確保するというだけでなく、乳母の氏族と親交を深め、特別な絆を結ぶためでもあった。源頼朝は幼い頃、四人も乳母をつけられているが、彼女たちの家は流浪時代から陰になり日向になって頼朝のことを助けている。

また、同じ釜の飯を食ったならぬ、同じ乳房を吸った仲間というのは、格別なものがあるらしく、乳母が世話する養い子と、乳母の子供は、時に本物の兄弟以上の親密さを見せ、生涯を通じて助け合った。

いわゆる乳兄弟だが、お互いを思いやりながら散る最後を、平家物語で美しく描かれる、源義仲と今井兼平などがその典型だろう。

『伽羅先代萩』の幼君鶴千代と、政岡の子供千松の二人にも、その歴史が反映されている。

毒殺の恐れがあるため、政岡が手ずから炊いたものしか食べれず、いつもひもじい思いをしている二人は、その無邪気さで時に観客の笑いを誘い、その健気さで時に観客の涙を誘ったが、主従でもあり、友人でもあり、兄弟でもあるという、乳兄弟の機微をよく表していたと思う。

千松は主君鶴千代の毒味役をつとめ、最後、栄御前が毒を忍ばせたお菓子を食べたために、八汐になぶり殺しにされる。

初めは気丈にしていた政岡も栄御前と八汐のたくらみが分かり、一人になった後、我が子の亡骸に取りすがって泣く。

「これ千松、よう死んでくれた、でかした……でかしやつたナア」

「三千世界に子を持つた親の心は皆一つ、子の可愛さに毒なもの喰ふなと言うて叱るのに、毒と見えたら試みて死んでくれいと言ふような胴欲非道な母親がまたと一人あるものか」

『菅原伝授手習鑑』の松王丸、『大塔宮曦鎧』の斎藤太郎左衛門など。文楽のヒーローには、忠孝という人間世界を支える、相矛盾した二つの原理の相克の狭間に、我が子を差し出さざるを得なくなったものが多い。

政岡も正しくその類型に属するものだろう。

いや、彼女は乳母である。物語のはじまるずっと前から、乳房の一つを幼君に含ませ、もう一つを我が子に含ませてきた。片方を忠に、片方を孝に。彼女の体は、忠孝、二つの原理に引き裂かれ続けてきたのだ。

しかし、それでも二人の子供は、彼女が己が体を溶かした乳を媒介に、兄弟でもあり、主従でもあり、友人でもある、忠孝を超えた、特別な関係を結んだ。そして、その結びつき、「乳を巡るネットワーク」が国を救うのである。

だとしたら、政岡の偉大さは、文楽の他の男の英雄たちを超えて、はるかに大きなものと言えるのではなかろうか。

参考文献:『江戸の乳と子ども: いのちをつなぐ (歴史文化ライブラリー441)』(沢山美果子著、吉川弘文館)

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2019年1月19日第一部『二人禿』『伽羅先代萩』『壺坂観音霊験記』観劇)

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