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国立文楽劇場

女殺油地獄 声の怖さ

中沢 けい

初日に「女殺油地獄」を見てから、三日ほど過ぎて「ああ、男の子を育てるのは怖いもんだなあ」と吐息が出た。なにしろこんなに怖いお芝居を観たのは久しぶりだった。何が怖いと言って、豊竹呂太夫の声ほど怖いものはなかった。女殺油地獄は歌舞伎の演目でも映画でも見たことがある。歌舞伎や映画よりもずっと怖い女殺油地獄だった。
 この声の怖さをどういう言葉にしたらいいのだろう。

「女殺油地獄」の幕開け「徳庵堤の段」で竹本三輪太夫と鶴澤清友の裃が目を引いた。淡い水色の袴に、紺絣の肩衣。裃の色にはいつも目を引かれるけれども、紺絣の肩衣はいつもにもまして珍しいものを見せてもらった気分になった。格式ばった裃であるはずなのに、人が日常で着る普段着の感じがする紺絣の肩衣で、野崎参りの様子を語る。大阪の天満あたりから野崎参りに出かけるというのは、田園の長閑さを楽しむものだったのだろう。
 絵に描いたような田舎ののびのびとした空気がふわっと広がるところへ、子を連れた天満の油屋豊島屋七左衛門の妻お吉が現れる。お吉は二十七だ。なぜかこのお吉の年が印象的だった。三十手前というのは母として美しい年頃だ。母の優しさと女の艶やかさが一人の人の身体にすんなりと同居する年頃だ。そこに同じ町内の油屋河内屋与兵衛がやってくる。与兵衛はお吉より六つ年下の二十一だ。すでに子を持っているお吉からみれば息子のような感じがする歳と言ってもいいだろう。歳から言えば、姉と弟くらいの歳の差とだが、そこは町内の同じ商売を営む家の女将として収まっているお吉と、放蕩三昧で身持ちが定まらない次男坊では、人としての「格」の差が出る。後から思えば、これが悲劇の伏線となっているのだけれも、頃は卯月、春も盛りの徳庵堤で、馴染みの遊女が、会津から出てきた客に連れられての野崎参りに出くわした与兵衛がけんかを始めるあたりでは、悲劇の影はささない。俗に「やんちゃをする」という言葉がある。若者の無法や無体を指す言葉だ。浄瑠璃の言葉は古典語だが、語りの古典語に三味線の響きが軽やかさを加え、ヤンキーの与兵衛が「やんちゃをする」徳庵堤の場面として春の晴れやかさが勝って見える。与兵衛のけんかのとばっちりを受けるのが、通りかかった侍の小栗八弥。お供をしていたのは与兵衛の母方の伯父の山本森右衛門。ここで与兵衛の母のお沢は武家から町方の油屋に嫁いできた人だったことが分かる。
 与兵衛には兄の太兵衛がいる。この兄弟は、油屋河内屋の先代主人の子だ。二人の男の子が生まれたあと、油屋河内屋の主人は亡くなり、母のお沢は番頭の徳兵衛と再婚し、娘おかちが生まれている。

河内屋の人間関係が分かる「河内屋内の段」も冒頭がひどく印象的だった。「羯諦、羯諦、波羅羯諦」と般若心経の一節が豊竹亘太夫の浄瑠璃と鶴澤清丈の三味線と語り出される。お経を浄瑠璃で聞くのも初めての経験だ。浄瑠璃と言えば情念の色濃さ、執念の激しさ、未練と執着を語るのが浄瑠璃という固まった頭には、なんだかお寺で舞妓さんの舞を見せられたような、ありがたいお経も、ちっとも何の役にもたたないと茶化されたような、笑っていいような笑ってもいられないような、摩訶不思議な気分になったところで、与兵衛の兄の太兵衛が出てくる。弟と違ってなかなかできた息子で、すでに商人として独立している様子。筋を通すように継父の徳兵衛に話すところなどは、母親譲りか、お武家さんの固さも見える。与兵衛の入れ知恵で、与兵衛に家を継がせるように語る妹のおかちはどうやら、歳の近い与兵衛には同胞(はらから)の感情が濃いらしい。河内屋での悶着の一部始終で、どうやら冒頭のお経は、どんなにありがたい真理も気持ちがねじ曲がった息子には何の役にもたたないということを、観客の耳に伝えていたのかと、だんだんと得心しだした頃に、与兵衛が親に殴る蹴るの乱暴狼藉。強い態度にでる母のお沢。
 「あいつが顔付き、背格好、成人するに従ひ、死なれた旦那に生き写し。オゝあれあの辻に立つなりを見るにつけ、与兵衛めは追ひ出さず、旦那を追ひ出す心がして、勿体ない」
と勘当を言い渡された息子を見送る徳兵衛の述懐が切ない「「河内屋内の段」の幕切れだった。

場面変わって「豊島屋油店の段」。「葺きなれし、年もひさしの蓬菖蒲は家ごとに、幟の音のざわめくは男子児持ちの印かや」と五月の風の爽やかさが肌に触れるような明るい出だし。同時に男の子を育てる難しさがなんとなく思われる景色である。赤子から幼児の頃は病気がちなのも男の子に多いとか、思春期になれば粗暴の振る舞いで周囲を手こずらせたり、乱暴狼藉のやりたい放題で手が付けられなくなったりは現代でも珍しくはない。女の子のほうが育てやすいとは昔から言われたことだが、豊島屋にはお吉を母とする女の子の三人姉妹で、和やかな暮らしぶりだ。武家と違い商家では跡取りは、娘に商売上手の婿を迎えるのも珍しくはないから、お吉には男の子に恵まれなかったという後ろめたさもない。むしろ女の子が三人そろった華やかさのほうが勝るくらいなのかもしれない。お吉の満足した様子を見ると、与兵衛が、母の実家の武家の感覚と番頭上がりの父の腰の低さに反感を抱くのも無理がないと、そう解釈することもできるけれども、解釈を超えた感情の動きが殺しの場面へつながるのが「豊島屋油店の段」だ。

油の中での殺しの場面。足をむき出しにして滑りながらお吉を追いかける与兵衛。道理というものを説かれるとそれだけで、むらむらと憎悪が沸き上がる時の声の平板さを語る豊竹呂太夫。こんなこわい声はない。むごたらしい殺しの場面なら歌舞伎でも、映画でも見ることができるけれども、人間の情念が、道理というものへ生理的な憎悪を向けた時の声の怖さをつくづくと聞かされる舞台だった。

■中沢 けい(なかざわ けい)
作家。法政大学教授も務める。1959年生まれ。高校在学中に書いた「海を感じる時」で群像新人文学賞を受賞。1985年『水平線上にて』で野間文芸新人賞受賞。著書に『野ぶどうを摘む』『女ともだち』『豆畑の昼』『さくらささくれ』『楽隊のうさぎ』『うさぎとトランペット』など。千葉県出身。

(2018年11月3日第二部『鶊山姫捨松』『女殺油地獄』観劇)