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国立文楽劇場

アンファン・テリブル

黒澤はゆま

「おじさん」

その一言に二十一世紀のおじさんはイチコロにされてしまった。

桂川連理柵は怖い演目だ。

ジャンルとしては心中をあつかった世話物になるが、カップルの長右衛門とお半が、なんと四十男と十四歳の少女なのである。

一般に心中物のヒロインというのは、『曽根崎心中』のお初なんかが典型だが、最初はあどけない感じでも、物語が進んでいくうちに、性根も覚悟もズンと定まり「女」として成長していくものだが、お半は徹頭徹尾、言葉も舌足らずな「少女」として描かれている。

だから、最初振り袖でも、ラストの道行で死に装束に着替えるお初とは対照的に、お半は最後まで愛らしい振り袖姿のままである。言動も平板。お初が死が近づくにつれ、その言葉やしぐさの端々に凄みや迫力が現れてくるのとはこれまた対照的だ。

でも、だから怖い。

「死」や「生」、あるいは「性」、その結果として自らの内にはらんだ「命」の価値。そういう重みにまるで気づいていない少女がたやすく覚悟を決めて、たやすく愚かな男を一人道連れにして死んでしまう。

もちろん、一番悪いのは既婚者でいい年したおっさんのくせに、ローティーン相手に一線を超えた長右衛門なのだが、お半が長吉のちょっかいから逃れるためと言って、長右衛門の布団に入り込んだのは、どんな結果を招くか計算に入れてのことだったと思えてならない。

アンファン・テリブル。恐るべき子供たち。

私はお半の姿にその言葉を思い浮かべずにはいられなかった。

桂川連理柵で一般的に有名なのは「帯屋の段」だ。

長右衛門の妻お絹が、夫の失態につけこむ、先代の後妻おとせと、その連れ子儀兵衛の陥穽から、聡明さと機転によって夫を救う段である。

浮気相手の小娘を「お半女郎」(お半お嬢ちゃん)とちくりとやりつつも、何とか夫を救おうとするお絹の真情は確かに涙をそそる。

しかし、お絹の演劇史に残る長台詞も結局は大人の理屈である。

十四の少女の「おじさん」、この一言で簡単に覆ってしまう。

「おじさん」にはいろんな意味が込められている。

お半のまだ大人になり切れていないあどけなさや、幼い頃から心の内に秘めてきた長右衛門に対する憧憬や親しみ。

可愛い。

いじらしい。

しかし、そうして彼女の少女性が強調されればされるほど、そのお腹のなかに、長右衛門の子供をはらんでいるという事実は生々しさを増す。

お絹の長口舌と比べたら、幼稚で、筋立ても単純な台詞や手紙とともに、否応なしの力となって、長右衛門に死を迫るのだ。

そのため、私は、この物語を大人と子供、つまり長右衛門を生かそうとするお絹と繁斎と、死なせようとするお半の対立の物語と見た。

そういえば、長右衛門が大名から預かった政宗を偽物とすり替えた丁稚の長吉も子供である。お半との不倫だけだったら長右衛門も助かる見込みがないでもなかったのである。

長吉の悪戯も長右衛門を桂川へと追いやる一因になっていたことは間違いない。

彼も含めて、この話はアンファン・テリブル、恐るべき子供たちの物語と思うのである。

ちなみに、あまり注目されないが、お半と長吉はこの物語の前段、伊勢に詣でている。

今の感覚で神社参りというと、敬虔な巡礼の旅と思ってしまうが、実は神様はおまけで道中の観光こそが目的の娯楽の旅である。

そして、古来、日本では必ず聖には性がつきまとう。

伊勢神宮の内宮と外宮の間にある古市は当時、日本最大の歓楽街の一つだった。遊郭はもちろん、芝居小屋もある。お半と長吉は、その魅惑的な街を通り過ぎたはずだ。

三味線、弦歌、脂下がった男たち、張り見世のお姉さんたちの謎めいた笑み。提灯の灯りの向こうで大人たちは一体何をしているのか?

丁稚の長吉がお半相手に色気づいたのも、つい先だって見た色町の繁華と無縁ではないだろうし、お半が長右衛門の布団に自ら飛び込んだ狂気もそれらの熱にあおられてのことだったかもしれない。

当時、伊勢参りを口実に家や奉公先を飛び出す子供は多かった。

抜け参りといって伊勢参りが理由なら家出も大目に見られたからのようだが、お半と長吉も実は、この物語の間、ずっと抜け参りをしていたのではないだろうか。

心中物としては特異なこの物語の推進力は、抜け参りをした子供たちと同じく、義理とか縁とか、そうしたうざったいしがらみから何とか逃げ出したかった少女と少年によるものと思えてならないのである。

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2018年11月3日第一部『蘆屋道満大内鑑』『桂川連理柵』観劇)

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