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国立文楽劇場

三者三様:累、貢、金壺親父

仲野 徹

いつもは二部制の文楽劇場だが、夏休み文楽特別公演は三部制である。終日はキツいので、第二部と第三部を続けて観ることに。忠義あり、嫉妬あり、祟りあり、訳のわからなさあり、笑いあり、それぞれにバラエティーがあって、脳みそがよじれるような観劇日とあいなりました。しかし、第二部の『薫樹累物語』も『伊勢音頭恋寝刃』も、いまひとつ訳のわからんところが多いんですけど、一応は実話に基づいている、ってほんまですか。

『薫樹累物語』は、人間関係がいきなり面倒くさい。相撲取り絹川谷蔵は傾城・高尾にうつつをぬかす主君のためを思い、高尾を斬り殺す。かくまってもらおうと逃げ込んだのが、高尾の兄・三婦の家で、妹の累(かさね)もいっしょに住んでいる。昔、絹川に助けてもらった累は、いきなり、絹川と夫婦になりたいと言い出す。いくら恩人でも、決断が早すぎるやろ。こなた三婦は、話すうちに絹川が妹である高尾を殺したと気付き、斬りかかるが、その主君への思いを聞きいれ、刀をおさめる。かたや累は、夫婦になれずば自害すると言い出す。わがままである。もうちょっと斬られたお姉ちゃんのことも考えろよ。と思っていたら、高尾の亡霊があらわれて、その怨念で累の顔を醜くしてしまう。殺されて恨み骨髄の相手と結婚したいという妹に腹が立つのはわかるが、そこまでせんでもええやないの。姉妹ともに勝手である。その点、お兄さんの三婦は理解があって、累と絹川の結婚を許す。

累が自分の醜い顔に気付かぬようにと、絹川あらため与右衛門は鏡を見ることを禁じる。それを守り、自分の醜さにはまったく気付かない累。結婚を巡っては我が強かったが、これについては不思議なくらい素直である。しかし、あるできごとから顔を見てしまったとたん、いきなり自殺しようとする。もうちょっと考えろよ。いままで自分が気付いてなかっただけで、周りはみんな知ってたのに、特に不自由はなかったんやから、いまさら気にせんでええやないか。

しかし、私の思いなどとは当然関係なく、死ねなかった時に念のためにと鎌まで持って、入水自殺しようと川へ向かう。その途中、与右衛門に会うが、誤解から嫉妬に狂って、鎌で斬りかかる累。いくらなんでも振幅が大きすぎやしないか。与右衛門は、傘で鎌に応じながらも、高尾の祟りが不憫であると、最後は斬り殺す。もとはといえば自分の撒いた種なんだから、与右衛門も勝手である。

ひょっとすると、高尾の祟りのせいにして、いい子ぶってはいるものの、もうこんな振幅の大きい直情径行の女とはやっとられんわ、という気持ちがあったんとちがうんか、与右衛門。と、なんとなくもやもやとした気持ちのまま『伊勢音頭恋寝刃』に突入。この名刀・青江下坂をめぐる話は、文楽劇場14年ぶりという『薫樹累物語』に比べると、よくかかる演目である。が、その理不尽さは、何度観ても納得できない。まぁ、毎回同じストーリーなんだから、当たり前と言えば当たり前なんですけど。

「奥庭十人斬りの段」ではお題のとおり、福岡貢がめったやたらと、きっちり10人を斬り殺す。その前の「古市油屋の段」の次第から考えて、殺すほどの理由がある相手は、刀を盗み取ろうとした岩次と、せいぜいのところが貢を邪険にあつかった仲居の万野くらいだ。あとの八人は巻き込まれた大量殺戮の犠牲者である。訳もわからず斬られた幼い仲居さんたちや、単に遊廓に遊びにきてて岩次と間違われて斬られたおっちゃんなんかは気の毒すぎる。

最後に岩次が斬られて、まぁ、大団円といえばそうなんであるが、貢がどうしてそんなに斬りたくなったのかと、これも釈然としないまま幕となって、第二部の終了。文楽劇場は面白いシステムになっていて、次の部を続けて観る人は、劇場の外に出ることなく、ロビーで待っていればよい。言ってみれば優待入場ができるという、心優しいシステムになっております。そして、第三部、『金壺親父恋達引』へ。

これはモリエールの『守銭奴』を翻案した、あの井上ひさし原作の新作文楽だ。といわれても、守銭奴を読んだことはないからようわからんのですけど…。パンフレットによると、1972年に「義太夫が大衆芸能であることを再認識するための試みのひとつ」として書き下ろされて、ラジオで放送されたらしい。テレビ用に演じられたことはあったが、劇場での上演は初めてということだ。

ほんとうに楽しくて面白い作品だった。強欲な親父である金壺親父こと金左衛門と息子による結婚相手の取り合いとか、なんやかんやとあるが、最後は、金左衛門の息子と娘はそれぞれが好いた相手と結ばれてめでたしめでたし。金左衛門は、恋かなわず、金壺が残されるだけでちょとかわいそうなのであるが、わしゃ金壺さえありゃぁええわと、えらく納得しているような雰囲気が醸し出されて、実に明るい喜劇である。

金壺親父を操る勘十郎さんも、語る英太夫師匠も嬉々とした感じ。語りは口語で字幕なしだが、床本はさすがに井上ひさしによるもので、義太夫によく出てくるようなしゃれ言葉があちこちにちりばめられているのが楽しい。それに、冒頭の「あんまり逢いたさ懐かしさ」は、『野崎村』から借用されているし、他にも、「いまごろは行平さん、どこにどうしてござろうぞ」と、ご存じ「いまごろは半七さん~」のパロディーで娘のお徳が嘆くと、恋人の行平が「いまごろはこの私、ここにこうしてハイございます」と登場したりする。何も知らずに見ても面白いが、文楽を知っている人が見て楽しい仕掛けもあちこちに。

舞台道具も、「質素倹約」と書かれている掛け軸が、金色の字で書かれた「金金金金金」に裏返るような工夫がされていて笑える。第二部のもやもや感は一気に吹き飛んだ。これほど楽しい文楽は初めてだ。大衆芸能としての文楽という井上ひさしの目論見は十二分に達せられている。唯一、注文をつけるとすると、上演時間が一時間十分と短めだったこと。できたら、二幕に延ばしてほしいところだ。大阪弁だったらもっとええ感じかという気もするが、それは無いものねだりというものだろう。

三つの狂言を見て、文楽というのは、やりよう次第でどうにでも展開できる懐の深いものだと痛感した。幅広いバラエティーというのが文楽の醍醐味だ。それに、どんどん新作も出てきてほしい。作者には野田秀樹なんぞどうであろう。あの言葉の魔術だけでなく、激しい動きを人形に演じさせたらどれだけ面白かろう。そして、勝手を申せば、ぜひ、大阪弁を自在に操る町田康にも書いてほしい。『金壺親父』を見終わって、そんなわくわくする妄想にとらわれていた。

■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。エピジェネティクスという研究分野を専門としており、岩波新書から『エピジェネティクス-新しい生命像をえがく』を上梓している。豊竹英大夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。

(2016年7月30日第二部『薫樹累物語』『伊勢音頭恋寝刃』、第三部『金壺親父恋達引』観劇)