文楽かんげき日誌

文楽へGO!

髙田 郁

昨夏、文楽の親子劇場を観劇していた際に、「ぶんらくってなあに」の解説で、「昔は文楽の人形遣いはひとりだった」と教わりました。「では、いつ頃、誰が三人遣いにしたのかなあ」と疑問に思い、調べてみてビックリします。享保十九年(一七三四年)十月五日初日の、大坂・竹本座の「芦屋道満大内鑑」で吉田文三郎が演じたのが最初とのこと。

「こんなことって、あるんだなあ」

思わず、そう呟いていました。

時代小説の執筆を生業にしております私は、丁度その頃、新たなシリーズを立ち上げるためにプロット(※物語の筋のこと)創りの最後の詰めを行っている最中でした。「あきない世傳 金と銀」というシリーズ名で、享保時代の大坂が舞台です。元禄バブルが弾け、物がさっぱり売れなくなった不況の時代に、主人公の幸という娘が商いの道を切り拓いていく物語にしよう、と考えていました。

「ああ、文楽の人形が三人遣いになったまさにその時、幸は天満の呉服商『五鈴屋』で女衆奉公をしているんだ」

自分が紡ぐ虚構の世界と、伝統ある文楽とが、リアルに繋がったように思いました。その時、これは是非とも作品の中で書かせて頂こう、と決めました。ちょっと宣伝になってしまいますが、今年二月に刊行された第一巻で、早速、登場人物たちの会話に「人形に魂が宿る、いうのはあのことだすな」と言わせています。

江戸時代中期、大坂のひとびとは文楽に熱狂し、心酔していました。また、文楽の上演される芝居小屋は、商家のお見合い場所として活用されもしました。この辺りのエピソードも、今後、物語の中に織り込んでいくつもりです。何せ、その時代と文楽とは切っても切れない関係ですもの。

おっと、話が大分と逸れてしまいましたが、昨夏に続いて今夏も、文楽の夏休み特別公演を見せて頂きました。もちろん今回もまた、イヤホンガイドとパンフレットをしっかり手にして座席に着きました。

第一部は「五条橋」「ぶんらくってなあに」「新編西遊記GO WEST!」の三本立て。
「親子劇場」と銘を打つだけあって、会場には子どもの姿が目立ちます。おチビちゃんのために、座高を上げるためのクッションも用意されていました。

「五条橋」は牛若丸と弁慶とが出会う有名な場面です。幕開けに響くドンドンドン、という太鼓の音は川の流れを表す、とイヤホンガイドがすかさず教えてくれました。美少年牛若丸と大男弁慶との対決シーンは、ゲームやアニメーションに慣れ親しんだ子どもたちにも新鮮らしく、身を乗り出して舞台に見入る様子が窺えました。

解説の「ぶんらくってなあに」では、会場にいる子どもたちの中から三人が実際に人形を遣わせてもらえます。特別に小さな人形なのですが、おチビちゃんたちは大苦戦。何とかやり通して「人形が重い」「腰が痛い」と言ったあと、何とも晴れやかな表情を見せていました。満場の拍手を浴びて、嬉しそうに舞台を下りる三人の姿に、こちらまで幸せな気持ちになりました。

十五分の休憩を挟んで、最後の演目「新編西遊記GO WEST!」は、ご存じ「西遊記」を基にした新作とのことです。舞台美術にも一段と熱がこもり、幕開けからめくるめく世界が展開されていきます。物語の軸は、天竺の王女に化けた妖怪を悟空らが退治する……というよりは、「妖怪はもう十分反省しているから、許してやろうよ」という流れになっていました。

告白します、私、この演目を見て、自身の腹黒さを痛感しました。

「あの妖怪は、自分の過ちに気付きながら、悔やんでいながら、なおも三蔵法師を食べようとしていたんだよ? 皆、騙されてるぞ! その可憐な外観に騙されてる!」

気付くと、そう毒づいている私が居たのです(恥)。

ただ、物語は杓子定規では面白くないし、矛盾を孕んでいるのが世の常であり、ひとの姿でもあります。過ちに気付きつつも、悪い心を捨てきれなかった妖怪が、皆の優しさで真の改心をする、というのもありでしょう。
振り返ってみて、子どもの優しい心を培うのに相応しい演目だったなあ、と思います。

ネタバレになるので伏せますが、ラスト、ちょっと驚きの演出があります。お子さんたちは大興奮、幕が下りたあとも会場をなかなか去ろうとしませんでした。

観劇終了後、ロビーでは出演した人形が観客を見送ってくれて、一緒に記念写真を撮ることも出来ます。子どもたちが牛若丸と並んで、弾けそうな笑顔でカメラに収まっていました。舞台に上がって人形遣いを体験した三人はもちろん、そうでない子どもたちも、それぞれに何と幸せな時間を過ごしたことでしょうか。

長々と観劇日誌を書かせて頂きましたが、私からこれをご覧の皆さまにお願いしたいことがございます。親御さん、お祖父さんお祖母さん、おじさんおばさん等々、身近にお子さんのおられる立場のかた、どうか是非ともお子さんに文楽を観劇する機会を与えてくださいませ。

子どもの頃に経験した幸せは、間違いなく終生そのひとを支えます。また、そうした経験こそが「伝統芸能」という敷居の高さを取り払うことになるのでは、と密かに思っています。ユネスコの無形文化遺産でもある文楽を、この国に暮らす我々がもっともっと愉しまなければ、あまりにも勿体ない!

「でも、文楽のこと、自分自身も何も知らないし」と仰るかた、ご安心くださいませ。国立文楽劇場の一階にある資料展示室では、平成二十八年九月十日まで、「文楽の新作」という企画展示のほかに「文楽入門」も開催されています。そこで文楽についての予習もバッチリできますからね。あとはイヤホンガイドとパンフレットがあれば完璧です。

この夏、「ポケモンGO」に夢中になるのも良いけれど、同じGOなら、文楽へGO!

■髙田 郁(たかだ かおる)
兵庫県宝塚市生まれ、中央大学法学部卒業。 漫画原作者を経て2008年に「出世花」にて時代小説に転身。著者に「みをつくし料理帖」シリーズ、「銀二貫」、「あい 永遠に在り」などがある。新シリーズ「あきない世傳 金と銀」第一巻「源流篇」。第二巻「早瀬篇」が近日発売。

(2016年7月28日第一部『五条橋』『解説』『新編西遊記GO WEST!』観劇)