文楽かんげき日誌

超進化系親父だった。/金壺親父恋達引

三咲 光郎

国立文楽劇場へ、7月の陽射しを避けて地下街なんばウォークをいくと、スマホを見つめながら歩く人がいつになく多くいるようです。通路の端や、広場でたたずむ人々もいます。「ポケモンGO」配信開始の翌日です。皆さんもさっそくポケモンをゲットしているのでしょう。

夏休み文楽特別公演の初日。第3部サマーレイトショー『金壺親父恋達引』を観にいきました。 レイトショーは午後7時開演、上演時間は1時間余り。仕事帰りやお出かけのついでに劇場に立ち寄って観ていける。気軽なかんじで足を運びました。演目も、モリエールの喜劇『守銭奴』の翻案だそうで、暑い一日を笑って締めくくることができそうです。

呉服屋の金仲屋金左衛門。「どケチ」というか「ごうつくばり」というか、金を貯めた壺をこっそり庭に埋めていて、それを掘り出しては抱きしめたり頬ずりしたり。金壺に熱く語りかけます。
「主(しゅ)と一所におれるなら……どんなに辛い暮しでも、わしゃ嬉しいと思うもの。……わしにはおまえという大事な想い者がおる故、一生、男やもめで暮そうと思っておった。」

かなり濃いキャラの親父です。この親父が、親子ほど年の離れた娘・お舟を「年に30両の持参金」目当てに後添いにしようと決めたことから騒動が始まります。金左衛門の倅・万七が、実はお舟とは一目惚れの相思相愛で、父と息子が恋のライバルに。それに加えて、金左衛門は自分の娘のお高を、大店の呉服問屋・京屋徳右衛門に嫁がせようとしますが、お高は番頭の行平と恋仲で、父の命じる縁談に反撥し、騒動はこんがらがってどんどん面白くなっていきます。

原作者のモリエールは、1600年代にパリで活躍した俳優、劇作家です。「変わり者の濃いキャラクター」が主人公になって騒動を巻き起こす、風刺的な作風の「性格喜劇」を得意としていました。本邦の近松門左衛門より30歳ほど年上です。『守銭奴』の初演は1668年。『曾根崎心中』が1703年。歴史的にはそれほど離れていない東西の作品ですが、私は初めて岩波文庫で『守銭奴』の戯曲を読んだ時、「わあ、文楽とは、えらい違うなあ」と感じたものでした。『金壺親父恋達引』をまだ観ていなかった時なので、モリエールの描く世界と、文楽に表される世界観とは、随分と違う、という感想です。

主人公のアルパゴンという親父は、息子と恋を張り合い、娘に金満家との結婚を強要します。その強欲さ、狡さは、文楽にもしばしば登場する性格なので東西共通だと共感できるのですが、原作で、息子と娘の、父親に対する考え方、接する態度に敬意がない点に「あれ?」となります。西洋の子は、1対1の対等な人間として嫌な親父には徹底的に抵抗する。親子の力関係がかなり「ゆるい」のです。文楽の世界では、義理と人情の板挟みから涙や笑いが生まれます。その背景には、厳然とした家父長の権威があって、子が親を馬鹿にしたり露骨に反抗したりはできないし、観客の共感も得られません。モリエールの『守銭奴』は、その点で文楽の世界観とはえらい違うなあ、と感じたわけです。今回の演目も、東西の違いをどんなふうに擦り合わせているのか、興味津々でした。

恋するお舟が父・金左衛門の後添いになると聞いた倅・万七は、「しおしお奥へ泣きに」行き、決して自分から父にぶつかっていきません。
「如何に無体な父であれ、父がおらずば子はおらず、三千世界にだれひとり、親の代りはできやせぬ。」 と嘆き、義理と人情の板挟みを忠実に守っていました。これは確かに文楽の世界です。それでいて、モリエールの性格喜劇のエッセンスも、『守銭奴』のお話の骨組み、人間関係も、ちゃんと残して「文楽」化しています。井上ひさしが昭和47年にNHKで放送するために書き下ろしたものを、このたび文楽の舞台で初上演。太夫、三味線、人形の錚々たる顔ぶれに意気込みを感じましたし、舞台の面白さに大満足でした。

それにしても強欲な金左衛門。およそ350年も前に描かれたキャラクターですがまったく違和感がありません。現代は、「この世界は『市場』であって何事も『経済』が中心だ」という考え方が強く、元々別な価値観でいとなまれてきた場所にも、経済効果や数値目標なんて言葉が持ち込まれるようになりました。自分の人生も家族の幸せも徹底してカネと数字で評価する金左衛門の姿は、純度100パーセントに超進化した現代人の象徴かもしれません。その金左衛門の家族が崩壊し、別な価値観を持つ家族が再生する結末は、風刺喜劇の面目躍如です。

大きな経済効果が期待されるポケモンGO。いや実は私も、劇場へ行く道のなんばウォークでポケモンを数匹ゲットしました。文楽劇場はポケストップになっていて、モンスターボールとキズぐすりをいただきました。でも皆さん、劇場に入る時はゲームはオフにしましょう。

■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪府生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。
1993年『大正暮色』で第5回堺自由都市文学賞受賞。1998年『大正四年の狙撃手(スナイパー)』で第78回オール讀物新人賞受賞。2001年『群蝶の空』で第8回松本清張賞受賞。大阪府在住。

(2016年7月23日『金壺親父恋達引』観劇)