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国立文楽劇場

史実と伝わりやすさ

黒澤 はゆま

史実はわたしのような歴史小説家を悩ませる永遠のテーマだ。

最近はネットのおかげで、文献にあたることも、指摘を発表することも容易になった。ネットの海には野生の歴史家とでも言うべき人がゴロゴロいて、創作物に対してシビアなチェックの目を光らせ、わたしたちがヘマをするのを手ぐすね引いて待っている。

しかし、言い訳のように聞こえるかもしれないが「史実と違う」と指摘されても、それを作り手側が全く知らなかったということはほとんどなくて、大体が「あぁ~やっぱりそこ突っ込まれたかぁ」という感じだ。

当たり前のことだが、アマチュアがネットによって文献や史料にアクセスしやすくなるという恩恵は、プロもまた享受できる。作り手側の考証力だってあがっているのである。

歴史学者の小和田哲男さんが、NHK大河ドラマ「江」の歴史公証を担当した際のエピソードにこんなものがある。ドラマのなかで主人公、江の父浅井長政は義兄の織田信長に居城小谷城を攻められ滅亡するのだが、脚本を見た小和田さんは近年の発掘調査から小谷城は燃えていないと注意した。

しかし、番組スタッフから「城が燃えていないと落城したことが一目で伝わらない、少しだけ燃やさせてほしい」と言われ、それで「少しだけなら」と承諾したところ、実際に放映されたシーンでは小谷城は盛大に燃えてしまっていたという。

まぁ正直「江」はそんなに出来のいいドラマではなかったと思うが、研究者と作り手で史実に対する考え方が違うということがよく分かる話だ。結局のところ、創作家は「史実」と「伝わりやすさ」この二つの軸のはざまで永遠に揺れ動き続けることになるのである。

さて、今回観劇させてもらった「妹背山婦女庭訓」

大化の改新をモチーフに、天智天皇や中臣鎌足、蘇我入鹿など実在の英雄の活躍もからませつつ、ロミオとジュリエットを思わせる対立する一族の男女の悲恋などを描いた、一大歴史ドラマである。

しかし、この演目、史実と伝わりやすさのバランスで言うと、伝わりやすさ100%。史実性はほとんどゼロである。なんてたって、飛鳥時代の話なのに、登場人物の衣裳は完全に江戸。武士も出てくれば、町娘も出てくる、建物や風景もまんま江戸のものだ。

これで観客からつっこみが入らなかったのかなと思えば、あにはからんや、潰れかけていた竹本座が息を吹き返したほどの大ヒットになったという。

考えてみれば、江戸時代でも、流行おくれの衣装のことを信長時代とか言ったりするから、今と昔で風俗は違ったという認識はあったようだが、現在ほど研究や発掘が進んでいるわけでも、歴史の教科書があるわけでもないので、昔の人がどんな格好をしていたかの共通像なんてほとんどなかったのだ。

例えば、私たちが古代神代の男性の髪型で思い浮かぶ、左右のこめかみに髪を結わえる「あげみずら」は、明治時代にある国学者が推定したもので、それまでは「大昔だから髪もそのままで結ったりはしなかったんだろう」と蓬髪で表現されていたそうである。

となると、私たちが史実性にこだわりながら、時代劇を鑑賞できるのも、実は大変にぜいたくなことなのだということが分かる。史実研究や発掘を進める大学や博物館、その結果を大衆に広く知らしめる教科書、書籍、絵画、新聞などの媒体。こうした社会的インフラの積み重ねがあって初めて可能なことなのだ。

そして、そのために私たちは「昔」を楽しむときある意味不自由になったし、江戸時代の人はある意味自由だった。

「妹背山婦女庭訓」では、天智天皇は話の都合上盲目になっているし、蘇我入鹿は呪術によって強力な力を身に着けた魔王になっている。道行の景色もまんま江戸時代当時の三輪山のものだし、川を挟んで大判事家、太宰家が男、女の論理を背景に対立する圧巻の舞台仕掛けに至っては、実際の地理環境すら無視している。

しかし、当時の庶民たちを楽しませ、泣かせ、そして喜ばせるということにかけては、近松半二のしかけは100%正しいことだったのだろう。

だって、今から見てもめちゃくちゃに面白い。

妹山背山の段、川を挟んで、片方の娘は母親から首を落とされ、片方の息子は刀を腹に突き立てもがき苦しむ場面なんて空いた口がふさがらない。嘆き悲しみながら、花嫁道具をそろえ、娘に死に化粧を施す母の悲惨、生首の凄愴な美しさ。介錯前の末期の刹那に、恋人の首を抱える息子。死の痙攣と喜びの痙攣が重なり、残酷と悲惨と美が一度に押し寄せてくる。浄瑠璃と三味線に感情を底の底から揺り動かされて、カタルシスってこのことだなと思い知らされる。

これが文化だ。生きたカルチャーだと思う。

幕末の英傑を描くことがテーマだったのに、関ヶ原から話を始めてしまい、そのせいで江戸時代の通史を20年以上かけて書くはめになってしまった「風雲児たち」の漫画家みなもと太郎さんは、学生時代、映画撮影所でバイトしていた。

その際、江戸時代初期の水戸黄門も、幕末ものも同じセットで撮ることに疑問を持ち、撮影所の主に「時代考証はどっちが正しいのか?」と聞いたところ、主の答えは、「アホか、お前」だった。

「時代劇に何時代というのはないのじゃ。あるのは時代劇時代という時代だけじゃ」

「アメリカの西部劇かて中世の騎士物語かて承知の上で時代考証はむちゃくちゃやっとるらしいど。それでええんちゃうかな。それが文化っちゅうもんやろ。クソリアリズムだけが正しいわけやないと思うで……」  ※『挑戦者たち』(みなもと太郎著、グループ・ゼロ)

近松半二の描いた飛鳥時代は、この撮影所の主の精神と共通するものがあるように思う。

もちろん、史実が歴史小説家にとってもっとも大事なことであることは否定しない。ただ、絶対ではないというだけだ。「妹背山婦女庭訓」は涙とカタルシスで、江戸時代の庶民の心を解き放ったのと同時に、平成のぱっとしない物書きの心もちょっぴり自由にしてくれたのである。

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2016年4月23日『妹背山婦女庭訓』第一部、第二部観劇)