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国立文楽劇場

かんげき日誌、うるさいおっさん編

仲野 徹

文楽には、泣きたくなるほどけなげな子供がよく出てくる。「伽羅先代萩」で主君にかわって毒入りの饅頭を食べたうえに斬り殺される千松や、「菅原伝授手習鑑」で菅秀才の身代わりとして微笑んで首を切られる小太郎がその代表格だろう。忠孝のために死んでいくのがあまりにあわれだ。そこまではいかないけれど、今月の第一部、「碁太平記白石噺」と「桜鍔恨鮫鞘」にも不憫な女の子が登場する。 「碁太平記白石噺」では、百姓・与茂作の娘、おのぶ。悪代官が隠した鏡を見つけてしまったがために与茂作は斬り殺され、さらに母が病気で亡くなってしまう。年貢を納められなかった年に吉原へ売られてしまった七つ違いの姉に会うため、おのぶは江戸へと向かう。しかし、浅草で金貸しの勘九郎に言いくるめられ、遊女として売り飛ばされそうになる。 不憫である。が、うるさいおっさん的には、おのぶ、ちょっと無防備すぎるのではないかと言いたくなる。吉原で有名だというだけで、姉の源氏名もわからない。もうちょっと考えてから行動しなさい。それに、いかにも怪しげな勘九郎は、親戚を装って遊女に売り飛ばすため、伯父さんと呼べという。言われたままに「伯父サア」と呼び続けるおのぶ。純朴にもほどがあるぞ。 などと考えていては性格が悪すぎるから、もっと素直に見よう、と思っているうちに、吉原の揚屋の主人大黒屋惣六がやってきて、勘九郎に五十両を渡してやる。そして、おのぶは、無事に大黒屋で姉と再会する。泣ける。父の敵討ちをしようと相談がまとまるが、曾我兄弟の話を持ち出して、十分に準備をせよという惣六の話に納得する姉妹。おのぶも姉も、とことんけなげである。

文楽に理不尽はつきものであるが、「桜鍔恨鮫鞘」も相当なものだ。夫・八郎兵衛に金策するため、夫と縁を切って金持ちの弥兵衛を婿入りさせるお妻。もちろん夫には内緒である。発想がユニークすぎるという気がしないでもないが、まぁそこは夫婦のことだから目をつぶろう。婿入りの日、弥兵衛に邪険にあつかわれた八郎兵衛は一時退散。しばらくたって、娘のお半が「嬶と抱かれて寝る間」じゃまだと、弥兵衛に足蹴にされて家の外へと放り出されたところへ折悪しく戻ってきた八郎兵衛。逆上して、お妻と義母を斬り殺してしまう。 目の前で母と婆とを殺されたお半、さぞ悲しかろう。しかし、「父様待って、書き置きのこと」と言い出し、お妻に教えられたことを覚えたままに語り出す。その内容から、お妻の真意が、我がためであったかと知って正体失う八郎兵衛。悲劇である。お妻は字が書けなかったので、書き置きをするかわりに、口伝えでお半に真相を託していたのだ。お半、かわいそうすぎる。 が、しかし、ここでも、うるさいおっさんの頭にはふと疑問が浮かぶ。お半、もうちょっとなんとかできんかったのか、と。お半はずいぶんと利口そうであるし、極めて冷静だ。なんせ、母と祖母とが父に斬り殺された直後に、書き置きをそらんじることができたのだから。 どういうシチュエーションになった時に、それを父に伝えよと言われたのかは定かにされていないが、おそらく、母様か婆様にとんでもないことがおきれば父様に伝えやれ、とでも言いくるめられていたのだろう。それやったら、もうちょっと気を利かせんかい!現代のテレビドラマに出てくるようなこまっしゃくれた子供だと、きっと、機転をきかせて、おとっつぁん、かくかくしかじかで胸騒ぎがする、とかご注進するはずだ。そして、おぉそうであったか、と父が涙にむせび、悲劇を回避できたに違いない。 まぁ、しかし、である。それでは、「碁太平記白石噺」も「桜鍔恨鮫鞘」も話が盛り上がらない、というか、話が成り立たないので、いたしかたない。それは重々理解しているが、うるさいおっさんとしては、わかっていても、どうしても、おいおいもうちょっとしっかりせんかい的な考えが頭をよぎってしまうのであります。 橋本治の名著『浄瑠璃を読もう』によると、浄瑠璃を楽しむコツは、ストーリーに訳のわからないことがあっても、あるがままに受け入れることにあるという。なるほど、見方がひねくれててスミマセン。もうひとつ、おそらく浄瑠璃は、江戸時代に忠や孝を伝える役割があったのだろうという。その伝でいくと、この二つの話は、子供に孝を教える目的もあったやもしれぬ。 しかし、うるさいおっさんとしては、ひょっとしたら、江戸時代にも、親子でこの文楽を見たあと、小うるさいお父ちゃんが、ええか、おまえらは、おのぶやお半のようにあほなことをせんと、もうちょっと思慮深く生きなはれや、と言い聞かせていたのではないかという気がして仕方がないのである。

■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。エピジェネティクスという研究分野を専門としており、岩波新書から『エピジェネティクス-新しい生命像をえがく』を上梓している。豊竹英大夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。

(2015年11月8日第一部『碁太平記白石噺』『桜鍔恨鮫鞘』『団子売』観劇)