文楽かんげき日誌

「きのう」のちょんまげ

いしいしんじ

うちの息子ひとひが三歳の頃、急に「きのう」ということばを、やたら使いたがったことがある。

「きのう」東京のおじいちゃんおばあちゃんの家まで「ヤマノテテン」に乗っていった。「きのう」京都の動物園で、赤ちゃんのキリンがかーいかった。「きのう」おとーさんとボールなげて、ボールどっかへとんでいってもうた。

「ヤマノテテン」の「きのう」は半年前のこと、キリンの「きのう」は二週ほど前、ボールがどっかへとんでいったのは、前日のことだった。

三歳児にとって「きのう」とは、目の前、手のうちで起きていること以外、すべてをひっくるめた過去のすべてだ。おとーさんおかーさんがうまれる前、ちょんまげの時代、でっかい恐竜が歩いていたころ、大爆発とともに宇宙が誕生し膨張をはじめた瞬間。三歳児のいう「きのう」の巨大さ、うつくしさに、僕はノックアウトされた。なん月なん日とかなん時なん分とか、なんというせせこましい時間を、社会化された自分たちは生きているのだろう。数字を読まない、気にしない幼児の感じている世界のほうが、あきらかに、うまれたままの宇宙に通じている。この世の自然のどこを探そうが、時間を示す目盛りや数字など刻まれていないのだ。

四歳六ヶ月になって、多少数字が読めるようになったひとひと、文楽劇場にでかけた。ひとひは二度目だが、前は一歳のころ、ロビーでおばあちゃんにあやされウハウハ笑っていただけなので、本気で文楽をみるのはこれが生まれてはじめてである。

演目は、西洋の童話を翻案した新作「ふしぎな豆の木」、それに「東海道中膝栗毛」赤坂並木より古寺の段。事前には「にんぎょうげき」と伝えてあった。おじいさん、おっちゃんらが人形をもって、歌と、昔のギターといっしょにやる、ちょんまげの時代の劇と。

エスカレーターをあがるや、場内の光景に目をみはった。こんなに子どもがあふれた文楽劇場はみたおぼえがない。照明が暗くなって、全身まっくろなひとが出てきただけで、そこここから笑い声があがる。太夫と三味線がくるりと登場すると、ウワア、と本気の歓声がわきあがる。

「おとーさん、あれ、なに?」
「おはなしをするおっちゃんと、おんがくをするおっちゃん」

文楽がはじまる。おかあさんのお使いで出かけたこども「本若丸」が、ふしぎなおじいさんに出会い、豆粒をもらう。豆だけもって帰ってきた本若丸をしかりつけるおかあさんの姿に、ひとひは僕の膝で「うちとおんなじやなあ」と笑っている。豆は一晩で巨木となる。これをみてのぼっていかないこどもなんてこどもじゃあない。

するする、するする、豆の幹が、舞台を縦に流れる。本若丸がのぼっていきつつある。垂直移動がこんな風に、舞台上で描かれる文楽はめずらしい。ストーリーだけでなく、こういうところも、こどもの目をとらえる工夫がされている、とおもった。真横だけではなく、まっすぐのぼっていくものに、うちのひとひも他の子らもひかれるはずだから。

雲の上には、文楽らしく、生き別れになった姉がとらわれている。妖怪の女性の手から逃れ、豆の木の下におりていくと、いつのまにか本若丸のおかあさんは大金持ちになっており、あばら家だった自宅もお城のような御殿に。豆をくれたおじいさんと妖怪の女性は和解し、やはり文楽らしい大団円。

「わかった」 とひとひ。 「じつはあ、おじいさんが、まめのき、やったんちゃう?」
「ああ、そうかもしれへんなあ」

すべての過去を「きのう」としてとらえられる幼児に洋の東西は関係ない。当たり前だが、すべての演目が、うまれてはじめての新鮮な光に充ち満ちている。当然、作られた年代もすべて「きのう」となる。「やじさんきたさん」も「サザエさん」も「サンダーバード」も、おもしろい話であるかぎり、登場人物全員、ひとしなみに、さわさわと笑い声の漏れてくる「きのう」の穴からヒョイヒョイ出てくる。

じつは、そちらが正しいのではないか。十返舎一九も藤子不二雄もシェークスピアも、大きなスケールの目でもって眺めれば、おもしろいおはなしを書く、同じようなおじさんの顔で、われわれの前に立ちあがる。地域、時代をこえて、テーマはつながり、台詞は呼応し、この世が巨大なひとつの舞台となる。こちらのほうが楽しいじゃないか。

「東海道中膝栗毛」は、気絶して死に装束を着せられた「やじさん」を、死んだものと思い込んだ「きたさん」がお寺に運び込み、あやしい坊主にふたりとも身ぐるみはがされてしまう。朝がきて、お互い裸なのに爆笑したふたりは、阿呆な歌をうたいながら東海道を西へ歩いていく。

終演後のロビーで、
「なにがおもしろかった?」 ときいたら、ひとひは即座に、 「やじさんきたさん!」 とことばを返した。「ちょんまげのじだいの、マンザイ、おもしろい。もっとみたい」。

■いしいしんじ
作家。1966年生まれ。京都大学文学部仏文学科卒業。2003年 『麦ふみクーツェ』で第18回坪田譲治文学賞、2012年『ある一日』で第29回織田作之助賞受賞。著書に、『トリツカレ男』『ぶらんこ乗り』『プラネタリウムのふたご』『ポーの話』『みずうみ』『四とそれ以上の国』など。現在「いしいしんじのごはん日記」をウェブで公開中。京都府在住。

(2015年7月29日第一部『ふしぎな豆の木』『解説』『東海道中膝栗毛』観劇)