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国立文楽劇場

やっぱり女性が時代を回してる~国性爺合戦観劇記

西 靖

初春公演にお邪魔しました。仲野先生も書いておられますが、ロビーや舞台の上のほうににらみ鯛が飾られていてたいへん華やかです。お正月に文楽劇場に足を運んだり、12月にまねきの上がっている京都・南座に行って顔見世興行を観たり、ということをやってると、なんというか大人になったような気分にさせてくれます。44歳といえばたいがい大人なのですが、なにせ中身の成熟が伴っていないのです。ようやくこの年になって「正月だし、お芝居でも観に行くか」なんていうルーティンを(ちょっと背伸びをしながら)楽しんでいる。場の力を借りながら大人になっていく、街に育てられる、そんなことを感じます。池波正太郎のエッセイや小津安二郎の映画の登場人物のような。背伸びして無理に教養人を気取っていると思われるかもしれないですが、ちょっと違うんです。文楽には(歌舞伎もそうかもしれません)「面白いから観に行く」という要素以上に「観ているうちに面白くなる予感」のようなものがあります。何度か足を運ぶうちにだんだん見えてくるもの、気づくものがある。このまま通っているとさらに面白くなってくるんじゃなかろうか、と思わせてくれるのです。
若いころは年中行事というとどちらかというと面倒という気持ちが先にあって、せいぜい初詣くらいだったのが、「大人の定型」に自分をはめてみると存外気持ちがいいものだと、最近は感じるようになりました。年をとったといえばそれまでですけど、どうせなら上手に年をとりたいものです。

さて、かんげき日誌は今回が3回目です。まだまだ初心者。文楽のような伝統芸能だと、3回目くらいの観劇感想ならまだまだ初心者の名乗りができるので気が楽です。
拝見したのは2部、「国性爺合戦」です。名前は聞いたことがあるけど、内容はまったく知らない演目です。知らないのですから(くにしょうやかっせん)と読んでも不思議ではないところですが、いちおう(こくせんやかっせん)と読めたということは、近松の代表作のひとつとして教科書で知ったか、歌舞伎の演目として目にしているのかもしれません。
解説本を買い求めて、ぱらぱらと目を通します。おお、やっぱり近松だった。おや、中国が舞台なのか!(そんなことも知らないのか!オレ!)ん?鄭成功って、歴史の授業でならったな。誰だっけ?と、学生時代の一夜漬けよろしく脳内で観劇準備を整え、開演を待ちます。

国性爺合戦。中国、明を追放され日本・肥前国平戸に渡った老一官とその子、和藤内が(いろいろあって)明国滅亡の政変を知り、旧恩に報い明国を再興させるために海を渡る。大陸に残した老一官の娘の夫、五常軍甘輝と(いろいろあって)連携し、和藤内は国性爺鄭成功と名を改め、軍装も煌びやかな大将軍となって明国再興のために華々しく出陣するところで幕。
知っている人にとってはまるで不十分な、知らない人にとっては実に伝わりにくいあらましで恐縮ですが、ご心配にはおよびません。私の少ない観劇経験によれば、筋はなんとなく頭に入れておくくらいで大丈夫です(たぶん)。史実を学ぶことが観劇の主たる目的ではありませんし、そもそもこの国性爺合戦は主人公たる鄭成功が実在の人物で明滅亡後の中国で活躍したこと以外はほぼ近松の創作です。むしろ「いろいろあって」の部分に、この物語が近松によって書かれた当時の価値観、倫理観、常識のようなものが見え隠れしていて、これにうなずいたり驚いたりひっかかったりするのが、今の私にとっては観劇の楽しみのアンコの部分なのです。

さて、その「いろいろあって」を彩っているのは間違いなく女性です。観劇後にまず思ったのは「この物語は女性が主役だ」ということでした。明朝の危機を和藤内に伝えるのは皇帝の妹、栴檀皇女。女性です。その栴檀皇女を敵の手から逃れさせるために奮闘する柳哥君も女性。
平戸の浜で和藤内と妻の小むつが貝を獲っているところに栴檀皇女が流れ着く場面では、小むつがなんともかわいらしいです。はじめ、中国の貴婦人に目をとめた夫に「なによアンタ、異国の女性に目を奪われるなんていやらしい!そういえばあなたのお父様は中国の方ですもんね。中国で生まれてたらあんな女性がいいってこと!?私が女房で悪かったわね、キーッ」(意訳)とやきもちを焼き、唐人の言葉はヘンな響きねぇ、と無邪気に面白がったかと思えば、その唐言葉で夫と栴檀皇女が会話をしているのを聞いてまたやきもち再燃。こらこら、このお方は中国の偉いお姫さんだよ、国の乱れを逃れてやっとの思いで流れ着いたんじゃないか、と諭されると、今度ははっと手を打って、それはおいたわしや、と同情の涙を流す。和藤内との別れのシーンではまたもや心乱れて、中国でその女性と幸せに暮らすつもりなんでしょ!などと再々度、やきもちを焼く。人形の動きもコミカルで実に表情豊かです。
和藤内と老一官、その妻が中国に渡ってからも、物語を進めるのは女性です。甘輝や和藤内は、お互いに目指すものは本当は同じであるにもかかわらず、大義とか主に対する義理立てとかで、がんじがらめで動くことができない。それを溶かし、こじ開け、繋げていくのが、老一官の妻、つまり和藤内の母親と、老一官の娘にして甘輝の妻・錦祥女です。「楼門の段」で日本から来た一行に対応する錦祥女の苦しい胸のうち。かまわないから私に縄を打って城に入れなさい、という和藤内の母の覚悟、しなやかな強さ。そして、「我が命を惜しみて親兄弟を貢がずば唐土の国の恥、とかうなる上は女に心引かさるる、人の謗りはよもあるまじ」と自害して、メンツや大義で動くに動けない夫、甘輝を決意させる。すると今度は和藤内の母が「この上に母が存えては~、日本の国の恥を引き起こす」といって、こちらも喉に剣を突き立てる。
相変わらず、文楽では今の価値観とは違う命の扱い方で、唐突に死が訪れるのだけれど、それはいったん置くとして、とりわけクライマックスにむけて物語をすすめるのはこれらの女性です。ラストでは和藤内あらため国性爺鄭成功と甘輝が並んで美しいいでたちで、いざ出陣、となるわけですが、その勇ましい姿を見ていると、胸躍るというよりはちょっとしみじみしてしまうのです。「そんなに胸を張ってるけどね、自分ではどうにもできなかったのを奥さんやお母さんになんとかしてもらったんだよね?」と。

もちろん、最初に申し上げたように、これは史実ではなく近松の創作です。でも、どれだけ和藤内の勇ましさや大明国再興の大義が書かれていようとも、その物語の回し役を女性に託しているのは間違いないように思います。結局、男というのは女性にどうにかしてもらって一人前、なんてことを近松さんも考えていたのかしら、などと思いますし、近松さんの筆を通してこの作品が書かれた当時に思いを馳せると、生き生きとした女性の姿が思い浮かぶのでした。

ちなみに余談ながら。知っている人にはおなじみなのであろう「千里が竹虎狩りの段」。虎ができてきます。私は初めてだったのできゃーきゃーと楽しんでしまいました。太夫、三味線、人形という三業が分かれ、それが舞台上でひとつになるのが文楽の魅力、とよく言われますが、虎が出てきて大暴れ、その舞台上のルールをある意味で無視して縦横無尽に駆け回ります。こんなことを平気でやってのけるのが、また古典芸能の懐の深さだなぁ、と一人得心したのでした。

■西 靖(にし やすし)
毎日放送(MBS)アナウンサー。1971年生まれ。大阪大学法学部卒業。1994年、毎日放送に入社。現在、テレビで情報番組「ちちんぷいぷい」メインMCと、ニュース番組「Voice」のキャスターを務める。他にもテレビ・ラジオ番組で活躍中。岡山県出身、兵庫県在住。

(2016年1月10日第二部「国性爺合戦」観劇)