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国立文楽劇場

間隙の笑い

玄月

スプラッター・ホラーのB級映画おいて、あまりに残酷で目も当てられない場面になったとき、それが突然笑いに転じることがしばしばある。

恐怖が作り出す極度の緊張状態がそうさせるのだろうか。いや、リアルすぎる表現は気持ちが悪くなるだけで、逆にあまりに作り物の色が濃すぎる場合にはたちまち白けてしまう。その真ん中というのが一番おいしいところで、フィクションの醍醐味なのだと思う。そういったすきまの緩みに「笑い」は起こるのだろう。

文楽はショッキングな場面がかなり多い。以前書いた「罪の所在と罰の意味」でも触れたが、義理忠義のためにばっさばっさと人を殺していくものだから(挙句の果てに自害もする)、一つの演目で死者の数が両手に収まらない、なんていう事もざらである。あの谷崎潤一郎をもって「血を見なければ承知しない文学」と言わしめたのも、むべなるかな。

今回鑑賞した『玉藻前曦袂』でも、やはり人がたくさん死ぬ。「清水寺の段」では鳥羽院の兄・薄雲皇子の謀反を中心に話が展開されることが匂わせられる。故藤原道春の養女・桂姫は、家宝の名剣・獅子王の紛失で政治的に追い込まれた家の美しい娘で、薄雲皇子に恋慕されている。名剣・獅子王は実は、薄雲皇子が盗ませたのだ。桂姫は采女之助という想い人がいるが相手にはしてもらえない。文楽のシナリオにおいては、もうすでにこの時点で悲しい展開しか予感できない。

予想通り、この桂姫の恋が叶うことはない。次の「道春館の段」、名剣・獅子王を差し出すか、桂姫の首を討つか、剣を盗んだ張本人である皇子の配下・鷲塚金藤次は、そんな無理難題を道春の未亡人萩の方に突き付けてくる。不思議な縁で授かった血のつながらない桂姫を親心からも義理からも失いたくない萩の方は、せめて納得がいくようにと、苦肉の策で桂姫と実子の初花姫に双六をさせて、どちらの首を差し出すのかを決めることにする。

どちらが勝っても辛い結末の待ち受ける拷問のようなゲームに興じているはずなのに、お互いの命を賽の目に載せて白装束で対峙する姉妹の姿は、儀式のような張りつめた、神々しくさえある雰囲気が感じられた。しかし、この姉妹の尊いやりとりを踏みにじるように、勝って助かったはずの桂姫の首が討ち取られることとなる。実はこの裏にも金藤次の苦悩があることが判明し(桂姫は金藤次の実の娘なのだ)、見ているこちらは怒りの感情をすべての黒幕である薄雲皇子に募らせるしかできないまま場面が切り替わるのである。

そして「神泉苑の段」。おどろおどろしい妖狐の登場だ。驚く仕丁を尻目に、ぬるぬるっと駆けてゆく狐の姿は少し淫靡でさえもあり、これまで化かしてきた人間たちをあざ笑うかのような風格、そしてこれからおこる悪夢を予感させて思わず背筋が寒くなった。

奥では宮中に召し抱えられ、玉藻前と名を変えた初花姫の姿が語られる。帝の寵愛を受ける一方で、亡くした姉を思い出し、涙する彼女はいじらしく可哀想で美しい。そんな彼女に悍ましい影が忍び寄る。

「ハア我ながら未練なり、我が君のお待ち兼ねと心乱るヽ髪形、繕ふ内にあら不思議や、吹き来る魔風砂石を飛ばし、『あはや』と見やるその内に姿現す悪狐の形、はつたと睨むその有様、怪しくもまた恐ろしき」

逃げ惑う玉藻前に容赦なく妖狐が襲い掛かる。ふたつの影は衣桁の裏になだれ込み、恐ろしく静かな数秒間が過ぎた。

この間に三味線は奏でられていたのだろうか、正直なところよく覚えていない。

張りつめた空気の中、音もなくそれは現われた。

玉藻前が着ていたはずの着物をまとい、二本の肢で歩んで来るそれの頭部は獣そのものだった。本当の着物の持ち主は……黒いインクが落とされた水中のように脳内に不吉な靄が広がっていく。屏風の裏で何が行われたのか。あの沈黙の間に起こった惨事を想像する。恐ろしい。しかし、ここで会場に場面にそぐわない音が響く。

ぷっ、くすくす……

緊張の狭間に吹く笑いの風にくすぐられたのだ。

ここまで圧倒的に息を詰める場面の連続だった。姉妹間での歪(いびつ)な命のやりとり、悲しい親子の告白、化け物との対峙。

絢爛な着物の上にちょこんと狐の頭が乗っかっていること――それも精巧ではあるが、意匠としてはイラスト寄りの恐ろしさに欠ける顔である――がそれまでぴんぴんに張られていた観客の緊張を緩ませたのである。

人形が用いられることで、生身の人間が演じる芸能より一枚フィルターのかかった文楽だが、だからこそ、その中で生まれたリアリズムは私たちを驚かせ、感動させる。

どっぷりとそのリアリティに浸っている時、それが作り物であったことを強制的に思い出させられてしまうことで生じる隙と笑い。

「せやな、これオハナシやってんな」

そんな照れが、いつだって笑いの中に感じられるような気がするのだ。文楽はつねに、観る者の常識を覆してくれる。

■玄月(げんげつ)
作家。大阪南船場で文学バー・リズールをプロデュースし、経営している。1965年生まれ。大阪市立南高等学校卒業。2000年「蔭の棲みか」で第122回芥川賞受賞。著書に、『山田太郎と申します』『睦言』『眷族』『めくるめく部屋』『狂饗記』など。大阪府在住。

(2015年11月3日第二部『玉藻前曦袂』観劇)