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国立文楽劇場

新春文楽観劇と、もうひとつのお楽しみ

東 えりか

1月の国立文楽劇場はいつにも増して華やいでいる。舞台の真上には見事な睨み鯛が二匹。その間に「羊」の見事な文字が鎮座していて、観客を見下ろしている。ここ数年、初日にお人形さんから升酒をいただき、初文楽を観劇するのが習いだったが、今年は少し遅れてしまった。でもまだ正月気分。客席にも和服を召したご婦人が多い。

文楽の追っかけを初めて10年ほど経つ。いつも思うことだが、東京で見る文楽は楷書、大阪で見る文楽は崩し字のようだ。東京国立劇場小劇場での公演はいつもほぼ満席で、なんとなく背筋を伸ばして観なければならない雰囲気がある。でも、大阪はさすがに本場。チケットはほとんどその日に取れるし、肩の力を抜いて観ていられる。気持ちのいい大夫の語りを聞きつつ、つい眠ってしまうのも大阪での公演が圧倒的に多い気がする。

ご婦人たちの御着物もそうで、東京だと普段着の小紋や紬でもピシリと極めていらっしゃるが、大阪ではふんわり楽そうに纏っている。いつかは着物で観劇したいと思いながら、いまだに観察するだけなのは情けない。

ロケーションだって、皇居を真正面に見据え生活臭の全くしない国立劇場に較べ、隣りがタコ焼屋の文楽劇場はまさに庶民の芝居小屋。下駄履きでも行けそうなそんな雰囲気だから、いつでも行ける安心感で集客が上手くいかなかったのかもしれない。柳田國男ではないが、東京がハレだとしたら、大阪はケなのだと強く感じる。

さて正月公演も中日を過ぎたが、平日にもかかわらず第一部は7割がたの入りだった。『花(はな)競(くらべ)四季(しきの)寿(ことぶき)』で幕開けだ。「万才」の太夫、才蔵で正月を寿ぎ、「海女」で愛しい人を想いながらエロ蛸で笑わされる。「関寺小町」は年老いた小野小町の切なさにしみじみとさせられ、「鷺娘」で満開の春を望む。

「関寺小町」の婆の人形を遣うのは文雀さん。この役はほかの人が演じたのを見たことがない。嫋嫋とした浄瑠璃と薄暗い舞台に年老いてしまった女の哀しみが演じられていく。初めて見た時から、この演目が好きでたまらない。特に「老いる」ということを身近に感じるようになってから、小町に心を委託してしまうのだ。

一部の他の演目は『彦山権現誓助剣』と『義経千本桜』。どちらも人気の演目で見応えたっぷり。『彦山~』は老人虐待の介護詐欺?と頭をよぎる。親を思うこの心を利用するなんて、なんてあくどいと憤慨しつつ、勧善懲悪の幕切れにほっとする。『義経~』の狐忠信を遣うのは幸助さん。勘十郎さんで見慣れているので、ちょっと雰囲気が違う。早変わりも見事で、客席は拍手喝采だった。

さて、二部まで1時間弱ある。目の前の道を渡って黒門市場へ。これも大阪に文楽を見に来た時の楽しみだ。10年ほど前、最初に来たときは丸のままのフグを売っているのに驚いたものだったが、今回は観光客、それも外国人の多さにびっくりした。

多くの店では食べ歩きができるように、屋台のような設えができていた。牡蠣を焼いていたり、惣菜などをその場で食べられる簡易座席が用意されていたりと、夕方近くにもかかわらず賑わっていた。

私は毎度のお楽しみ、帰りの新幹線でのビールのつまみ用に「日進堂」でショウガと玉ねぎの天ぷらを買う。幕間にちょっとつまむため、喫茶店の「おいで」でたまごサンド。挟まれている卵焼きは、なんと厚さ2センチ近くあるような出し巻で、これを買うのも恒例行事である。

二部の最初、観客はちょっと少なめだった。客席はぎりぎり半分くらい。『日吉丸稚桜』を観るのは初めてだ。武家ものは人間関係がわかりにくい。もう一回みれば、すんなり頭に入りそうだけど。

しかし次の演目『冥途の飛脚』になると、会場は8割ぐらいの入りとなった。人気演目だから、これだけ見る観客も多いのだろう。幕見でも見られる、というシステムも大阪文楽劇場ならではで、とても便利だと思う。この芝居だけ2000円で見られるなら、私だったら何回か通ってしまうだろう。それにしても近松の描く男は本当に不甲斐ない。それなのに現代でもダメ男に弱い女が多いのは、やっぱり母性本能をくすぐられるからだろうか。

今回は日帰りの弾丸文楽観劇ツアーになってしまったが、本来なら一泊したいところ。劇場から難波まで歩いてもすぐで、美味しいお店がたくさん「おいでおいで」をしているのだ。今回はぐっと我慢して、4月公演は造幣局の桜の通り抜けの頃を狙おうと思う。

文楽を好きになって、大阪がずっと身近な街になった。現市長の“いけず”にははらわたが煮えくり返っていたけれど、判官贔屓の大阪人たちは、虐げられた文楽を見ようと思ってくれたようだ。数年前に較べると、平日なのにお客さんはたくさんだった。

なんだか橋下市長も前言撤回して「大阪の特徴ある文化である文楽のコンセプトを最大限に使ったまちづくりができないかと考えている。」なんて言っている。

春には「二代目吉田玉男襲名披露」の公演も決まっている。今年も文楽三昧で暮らしたい。

■東 えりか(あずま えりか)
書評家。千葉県生まれ。信州大学農学部卒。幼い頃から本が友だちで、片っ端から読み漁っていた。動物用医療器具関連会社の開発部に勤務の後、1985年より小説家・北方謙三氏の秘書を務める。 2008年に書評家として独立。
「小説すばる」「新刊展望」「ミステリーマガジン」「週刊新潮」などでノンフィクションの、「読楽」「小説宝石」で小説の書評連載を担当している。2011年、成毛眞氏とともにインターネットでノンフィクション書評サイト「HONZ」(外部サイトにリンク)を始める。好んで読むのは科学もの、歴史、古典芸能、冒険譚など。文楽に嵌って10年。ますます病膏肓に入る昨今である。

(2015年1月16日第一部「花競四季寿」「彦山権現誓助剣」「義経千本桜」、
第二部「日吉丸稚桜」「冥途の飛脚」観劇)