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国立文楽劇場

文楽で親子関係を考えた

仲野 徹

二つの演目『双蝶々曲輪日記』と『奥州安達原』を堪能した。文楽でも、歌舞伎と同じように、人気のある段だけが上演されることも多い。そんな時は、パンフレットを読むなりイヤホンガイドに教えを乞うなりしないと、そこへいたる筋がいまひとつわからんかったり、その後のことが気になってしかたがなかったりする。その点、今月のようにストーリーをおって上演してもらえると、ありがたい。

双蝶々は、名力士・濡髪長五郎(ぬれがみちょうごろう)を主人公とした世話物だ。とりわけ有名なのは、最後の『八幡里引窓の段』。侍殺しを犯してしまった濡髪が、幼い頃にわかれた実の母の下へ暇乞いに来る。母は再婚していて、郷代官になった義理の息子・与兵衛は濡髪を捕らえねばならぬ。

しかし、継母への恩義から濡髪を逃がしてやろうとする与兵衛。その意気を感じてお縄にかかろうとする濡髪。実の息子を逃がしてやりたくもあるが、義理の息子に捕らえさせてもやりたい母。で、え、そんなんありか、という詭弁のような解釈があって、濡髪が逃れ行く、というお話だ。

開演から順に演じられる『堀江相撲場の段』、『大宝寺町米屋の段』、『難波裏喧嘩の段』は、濡髪が侍殺しにいたるまでのストーリー。これまで『引窓』しか見たことがなかったので、なるほどなるほど、そうやったのね、という感じ。しかし、引窓の前の『橋本の段』はやや趣がちがっていて、濡髪の贔屓筋である与五郎をめぐるエピソードである。

いろいろごちゃごちゃと事情があって、与五郎の父、与五郎の嫁・お照の父、そして、与五郎が駆け落ちしてきた遊女・吾妻の父が、世間に顔がたつようにと、それぞれ意地を張り合うのが見所。最後、嫁と妾がいっしょに仲良く連れ立っていくというのは、今様に考えるといかがなものかという気はしないでもないが、与五郎、お照、吾妻の三人が山崎へと旅だって目出度し目出度し、となる。

全体のストーリーからいうと、なくてもまったく困らない。しかし、嶋大夫師匠が語られたこの段が、しみじみとよかった。立場や身分の違う老人の語り分け、目をつぶって聞いてもわかりました。まったく素人的な感想なのであるが、地味だけどしびれました。本筋に関係ないけど、ええなぁ、と思う段を聞けるのも、こいう上演形態のうれしいとこですなぁ。

第二部の『奥州安達原』は、安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)兄弟が安倍家の復興・奥州独立のため、源義家と闘う時代物。登場人物が多いし、実の親子やのに気がつかないとか、例によって某(なにがし)を装ってはいたが実は誰それというのがいくつもあったりして、えらく話が錯綜している。上演前に筋書きを読んでもようわからんかった。が、実際に文楽を見ると、その複雑な話がすんなり頭にはいってきた。さすが文楽!

『朱雀堤の段』、『環の宮明御殿の段』では、盲目の袖萩(そではぎ)がせつない。源義家の舅、傔仗(けんじょう)の娘である袖萩、事情は知らんが敵方の安倍貞任と恋仲になってしまう。そのせいで縁がきれていた父と偶然に出会い、その住まいを尋ねていくが、会ってさえもらえない。親不孝をわび、世をはかなんで自害する袖萩。父、傔仗も、仕事がらみの不都合で自害。く、暗すぎるがな、と思っていたら、休憩がはいって、華やいだ道行。一息ついて、あぁ、通しの上演って、つらい後は、こうやってちゃんとほっとさせてくれるんやなぁ、と安心したのもつかの間。お次は、大阪での上演が24年ぶりという『一つ家の段』。

いきなり、人を殺すことなどなんとも思わない老婆が登場。これがまぁ、生きた嬰児の血を求めている。飛んで火に入る身重の恋絹。赤子をくれろと、おどろおどろしくもちょっとユーモラスに迫るというけったいな老婆。逃げる恋絹。しかし、ついに老婆の手にかかり、生きたままの胎児がとりだされる。

お腹から出てきたのは、雪だるまのような形をした、血塗られた真っ赤な赤ちゃん。ぎょ、ぎょぇ~。客席から一斉に悲鳴が。かというと、そうでもない。ん?あれが赤ちゃん?っちゅう感じで、一部では悲鳴、一部ではため息、一部ではちいさな笑い声。でも、それがええのである。あまりにリアルなら怖すぎる。怖いけれど、怖がらせすぎない、人形ならでは、絶妙の半リアル。えらいぞ文楽。

話はえらく込み入っているのだが、この老婆、実は貞任・宗任の母岩手で、お家再興のため、胎児の血がほしかったのだ。しかし、なんと、なんとなんと、殺めた恋絹は岩手の娘であった。おい、いくら長く会ってなかったからいうても、母子やねんからそれくらい気ぃつけよ、と言いたくなるが、話がそうなっているのであるから仕方ない。知らずとは言え、我が子と孫を一気に殺めてしまった岩手は、谷底に身投げする。

おどろおどろしい老婆であるが、段の途中から話は転換し、岩手として十二単を身にまとうのだが、まったく違う人物のように、英大夫の語りと勘十郎の人形遣いが演じ分ける。ひょっとしたら三味線も弾きわけているのかもしれませんが、素人なんでわかりません。すんません。

二つの文楽、話そのものに共通点はほとんどない。しかし、双蝶々の『橋本の段』、『八幡里引窓の段』、安達原の『環の宮明御殿の段』、『一つ家の段』は、親子関係がテーマである。世間体、なさぬ仲、主従関係、お家復興と、それぞれ違った状況のために攪乱される親子。江戸時代には、こんなに煩わしい親子関係がごろごろころがっていたのだろうか。いや、ちょっと待てよ。子供の虐待、親殺し、鬼嫁と姑、などといったニュースを目にすることも多い。ひょっとしたら、ややこしい親子問題の多さは現代もよく似たようなものかもしれない。

我々が文楽における親子関係を見て釈然とせんなぁ、と思うのと同じように、江戸時代の日本人が現代の親子問題を見たら、しぇえ~、なぜそのようなことが、と、腰を抜かすかもしれない。親の意に反して結婚しても、孫ができたら急にうれしくなって許してしまう爺婆などいかがでござろう。口答えする子どもなどもってのほか。などなど、ツッコミどころ満載かも。とはいうものの、すくなくとも、義理人情や孝行、忠義といった理由で、死ぬの生きるの、果ては殺すの、というようなことがないだけ、今の方がましだろう。

環の宮と一つ家はカタストロフィで終わってしまうが、橋本と引窓は、いまひとつ釈然としない気はするものの、一応の解決を見る。現代の親子問題を文楽にしてみたら、どんな感じの落着をもってこられるだろう。文楽からの帰り道、ぼんやりとそんなことを考えてみるのもおもしろい。けど、親子関係いうのは、いつの世も、むずかしいものなんでしょうなぁ。

■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。エピジェネティクスという研究分野を専門としており、岩波新書から『エピジェネティクス-新しい生命像をえがく』を上梓している。豊竹英大夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。

(2014年11月2日『双蝶々曲輪日記』、11月8日『奥州安達原』観劇)