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国立文楽劇場

享保の異邦人

黒澤 はゆま

8月3日、女殺油地獄を観劇した。この演目なにが凄いかって、まずタイトルが凄い。はるか昔の学生時代、歴史の教科書のなかで、この単語を見つけたときの衝撃は忘れられない。

他の単語は、例えば「半跏思惟像」とか「金剛力士像」とか「源氏物語絵巻」とか、いかにも、歴史らしく寂びて、荘重だったり、おごそかだったりな雰囲気なのに、異彩を放つ「女」「殺」「油」「地獄」、男子学生の脳幹を直撃する文字の羅列。休み時間、級友達と息をひそめつつ、「一体どういう作品なんだ」「俺たちをどうする気だ」とささやきあったものだ。

こんな青少年のリビドーを刺激するタイトルをつけたのはさぞかし若い新進気鋭の脚本家だったのだろうと思いきや、あにはからんや、近松門左衛門、六十八歳のときの作品である。

今でこそ人気演目だが、公開当時は、タイトルと比して衝撃的な内容に、観客は???で、不評だったらしい。今回初めて見させてもらったが、江戸人たちの戸惑いも分からないでもなかった。演目が終わったあと、前に座っていた年配の女性が、首を振りながら、「与兵衛あかんわ」と呟いていたが、確かにあかんのである。

気が小さく、喧嘩も弱い、その癖見栄っ張りで、金にも女にもだらしなく、妹をだまし、親を殴り、あげくの果てに隣家の人妻を強殺する。ここまで、弁護の余地のないキャラクターも珍しい。

惨劇が描かれるのは、他の文楽作品でも同じだが、殺人にしろ、自殺にしろ、心中にしろ、追い詰められていく経緯と、登場人物の気持ちの高まりが、朗々と語られるなかで起きるから、「あぁ、なるほど、仕方がなかったのだ。それにしても哀れだなぁ」とカタルシスが得られるのだが、本作の場合、殺人にまでいたる与兵衛の内面描写が一切ないため、「こいつ何考えてんのや?」と、終始もやもやする。

カミュの異邦人や、カポーティの冷血を経た、わたしたち近代人ならともかく、もっと単純で質朴だったはずの江戸人達は、理由のよく分からない殺人というものを、受け入れられなかったのだろう。「女殺油地獄」は江戸期を通じてお蔵入りし、歌舞伎では1907年まで、文楽では実に1962年まで、再演されることはなかった。

初演から世間に受け入れてもらえるまでに、実に二百年以上かかったわけだが、これは与兵衛の悪が、中世的なものではなく、言ってみれば近代的なものであったためのように思う。

他の文楽の作品にも悪人は出てくるが、彼らの悪はもっと分かりやすい。その原因はおおむね、金銭欲や、権勢欲、あるいは性欲など、欲望から出ている。そのため、菅原伝授手習鑑の時平が典型だが、彼らの言動からは動物的なたくましさ、ときにはすがすがしさすら感じられる。

だが、与兵衛の悪はそういったものとは趣が違う。湿って暗く不可解である。きっかけは借金だったが、姉と弟のような関係で、最大の理解者のようでもあった、お吉を殺すまでにいたった衝動の理由は、よく分からない。

「お姉ちゃーん」ってじゃれついているうちについつい手が滑ってという甘えの延長であった気もするし、単純に借金の連帯保証人にしてしまった父のためにどうしてもお金が欲しかったのかもしれない。あるいは、元は自害する気でたずさえてきた脇差しで殺したのだから一種の自殺であったとも言えるかも。幾ら推測しても結論は出ず、強いて言えば、あの便利な言葉「魔が差した」というところに落ち着く。「太陽が眩しかったから」でもいいかもしれない。

凶悪な犯罪が発生するたびに、家族が、学校が、社会がと原因さがしが始まるが、誰かの心に魔が差すというのは天災と等しく、理不尽で、突拍子のないもので、究極的には理由なんてないのだ。人の心というのは奥深く入り組んでいて、誰もがふとしたことで真っ暗な深淵へ足を踏み外してしまうものなんだよ。そんな機微を近松は書きたかったのかもしれない。

本作には何か実際の事件のモデルがあるらしいが、詳細は不明らしい。これは想像というより妄想だが、実は、近松がまだ若いとき、かなり身近で起きた事件がモデルなのではないだろうか。加害者も被害者も近松と親しい人物で、彼には幾ら考えても事件の動機が分からないのに、世間が理由をぱっぱと決めつけ、片付けてしまったことに、もやもやをずっと抱え続けてきたのかもしれない。

女殺油地獄には六十八歳という円熟期の作品とは思えないほど、筋運びがゴツゴツとして、不自然なところがある。与兵衛がペラペラと明らかに真意ではない表層的な動機を語るラストもそうだし、与兵衛の同年代の友人が大山参りから帰ってきて云々する話も何故あるのか分からない。

モデルとなった事件も若い頃ならば、作品のプロットを書いたのも若い頃かもしれない。だとしたら、冒頭に書いたタイトルの衝撃の謎も解ける。

今回、観劇のなかで気づいたが、与兵衛って実は誰からも愛されている。作中、彼のことを真剣に嫌いなのは、多分与兵衛だけである。もし、与兵衛のモデルとなった人物が近松と親しい人だったら、近松もその人のことが大好きだったのだろう。盟友竹本義太夫も、歌舞伎界での理解者坂田藤十郎もなくなり、「近松さん、こいつは無理だよ」と諫めるものがいなくなったとき、近松は一度きりの鎮魂の花火のつもりで、この作品を上演したのではないか。そんな風に想像(妄想?)するのである。

そして、近松が「作者の氏神」という絶賛を受けながら、辞世文で自分のことを「まがいもの」と表現した人物だったことを思うと、与兵衛と同じような、世間との違和を彼自身常に抱え続けてきたのではないだろうか。二百年以上も前に、不条理な殺人を書き切った近松もまた、与兵衛と同じ享保の異邦人だったのだと思うのである。

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2014年8月3日『女殺油地獄』観劇)