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国立文楽劇場

文楽にジャパニメーションの起源を見る

黒澤 はゆま

海外、特にアジアの国を旅すると、別に無理に探さなくても日本の漫画やアニメキャラの姿を見ることができる。

香港では、ジャッキー・チェンの映画に出てくる女性上司みたいなトンガリめがねの秘書さんがデスクの上にクレヨンしんちゃんの人形を飾っていたし、タイのスタイル抜群で五カ国語を操る通訳さんはドラえもんのカレンダーでスケジュールを管理していた。マレーシアではいかにも昔気質な気難しそうなエンジニアさんから「娘が好きだから」ともじもじされながら、トトロのぬいぐるみを買ってくるよう頼まれたこともある。

日本のコンテンツが持つ力は強力で、それは海外でこそより強く感じるのだが、一方で、あまりにも表現法が先鋭過ぎて理解されない場合もあるという。

例えば、漫画でよく見られる表現方法、笑うと目がただの線になったり、正面絵では光で飛んだ感じに鼻が省かれていたり、あるいは通常の人間の肉体では考えられないキャラクターの動きといった、極端な誇張や省略が、外国の人には奇異に映ることが多いらしいのだ。サンリオのキティちゃんも今では全世界で大人気だが、最初は口がないのを不気味に感じる人もいたという。

写実主義と遠近法で育った欧米人に顕著だが、他国の多くの人の目にとってあるものはあり、ないものはなく、あり得ないことはあり得ない。そうした表現を喜ぶのは未熟な子供だけだ。それを大らかに、大人でも是とする、日本人のデフォルメされた表現に対する寛容さや、またそもそもそうした先鋭化した表現を産み出す強靱な想像力は、いったいどこから来るものなのだろうか?

長年考えていたが、今回観劇した「伊賀越道中双六」でその起源の一つを見つけたように思う。

それは、演目中盤の藤川新関の段。名前からして三枚目の助平が遠めがね(望遠鏡)を見ているシーンだ。このとき助平は遠めがねで見える光景を話しながら、両足を後ろへ交互にはねあげていた。

そうやって遠めがねをのぞいているうちに、自分の馴染みの芸妓の浮気を目撃し、声が届かないことも気づかずに、助平が怒鳴り出すという滑稽な場面だが、よく考えると、普通人が望遠鏡をのぞくとき、何が見えようが足を後ろへはねあげたりはしない。また、望遠鏡が腰の位置にあるからって、水泳の飛び込みのように、頭を下げお尻を思いきり上に突き出すという格好を取ったりもしないだろう。

そう考えていくと、実は助平の格好というのは現実生活のなかでは決して見ることはない体勢なのだ。にも関わらず、こうした表現があらわれるのは、人形を通じて劇を演じるという文楽ならではの特性によるものだと思う。

幼児教育家で昭和初期に子供のために欧米系の人形劇団を結成した内山憲尚によると、人形劇が子供の心を惹きつける特徴は五つあるそうだ。 (1)神秘性(シャマニズム的)― 想像的興味、(2)象徴性(アニミズム的)―擬人的興味、(3)夢幻性(空想的)―陶酔的興味、(4)諧謔性(滑稽的)―喜悦的興味、(5)怪奇性(マナ的)―好奇的興味。

これらの特徴を一つ一つ詳しく紹介する紙幅はないが、(1)の神秘性についてのみ言うと、本来命のない人形が、人形遣いの操作を通じて、通常の人間の肉体では不可能な、飛んだり跳ねたり、あるいはあり得ない形に折れ曲がったりといった省略・誇張を含んだ表現をとることが出来る。それが、呪術的神秘にも近い不思議な面白さとなって、子供を夢中にさせるというのである。

この論旨は文楽にも適用可能なように思う。

これまでの観劇のなかで、私は人形の動きのうち、現実の人間の身体性に即したリアリズムの側面ばかりに注目してきた。しかし、それとは全く逆のベクトル、人形だからこその極端にデフォルメされた表現も、文楽の面白さと魅力の一つになっていることに今回気づいたのだ。

そして、私は助平の動作に、赤塚不二夫などのギャグ漫画で見られるキャラクターの滑稽な動作との類似性も見た。いや類似どころか、そもそも、こうした文楽の人形の動きこそが、後の日本の漫画・アニメにつながる先鋭化した表現法の元祖なのではないか。

他の多くの国でも人形劇という文化はある。だが、他国では、実際の人間を使ったオペラやバレエに道を譲り、人形劇はいわゆる子供向けのものとしてメインストリームに出ることはなかった。それに対し文楽だけが、大量の金と才能が惜しみなく注ぎ込まれる、大人の鑑賞に足るメジャーなメディアに育ったのである。

この差異こそが、日本の漫画・アニメを大人が見てもよしとする寛容な風土の起源であり、先鋭化された表現を産み出すのに有効な強靭な想像力の源泉なのではないか、と思うのである。

今回、私は「伊賀越道中双六」を「通し」、朝の十時半から夜の八時五十分まで一日ぶっ通しで見た。見慣れた人にもきつい観劇法だが、その際、なんと私の斜め前で、灰色の巻き髪、ブラウンの瞳を持つ外国人が同じ通しで観劇していた。

英訳の解説の流れるイヤホンサービスがあるとはいえしんどいのでは?と心配したのだが、案に相違して、彼は楽しそうな様子で文楽を鑑賞していた。物語のラスト、主人公たちが仇を討ち、日本晴れの幕を背景に見得を切ると、彼はほかの多くの観客と同じく満足そうな様子で立ち上がったが、高揚して熱くなったのだろう、ジャケットを脱いだ。その時、下に着たTシャツにプリントされていたのは、あの鉄腕アトムだった。

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2013年11月9日『通し狂言 伊賀越道中双六』観劇)