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国立文楽劇場

文楽と初音ミク、「生」と「死」の境界
―― つながっている方法

福岡 俊弘

「初音ミク」という存在をご存じだろうか。「存在」と言ったが、実は存在していない。初音ミクは非存在である。その初音ミクが歌い踊るコンサート【夏祭初音鑑】というものを、この夏、大阪と東京で行なった。文楽ファンの方であれば誰もが知っている演目『夏祭浪花鑑』のタイトルを捩った公演名。浄瑠璃っぽいタイトルなのだが、大夫も三味線も、もちろん人形遣いも出てこない。いわゆる“バーチャルアイドル"のコンサートである。それでも、この90分間の演目の中に、自分がこれまで抱き続けてきた人形浄瑠璃への思いを込めたつもりだった。

時間を巻き戻してお話ししよう。

初音ミクがステージに立って歌う姿を初めて見たのは、2010年3月9日のこと。東京・お台場にあるライブハウス、季節外れのなごり雪が舞う、とても寒い日だった。恥ずかしながら、その日、ライブ会場に入るまで、初音ミクがこれほどの人気になっていることを知らなかった。2000人の観衆。オールスタンディングのフロアーは若い人たちでひしめきあっていた。 実は、「初音ミク」はパソコンソフトの名前である。ボーカロイドと呼ばれる技術をベースにしたソフトウェアで、歌詞とメロディーをパソコン上で入力すると、その通りに歌ってくれるというものだ。つまり、楽器、「声」の楽器である。その声の主こそが、初音ミクである。「初音ミク」が発売されたのは2007年8月。札幌に本社があるクリプトンフューチャーメディアという会社が開発・発売元だ。そのときに、彼女に関して公式にアナウンスされたのは、年齢16歳、身長158センチ、体重42キロ、そしてソフトウェアのパッケージに描かれた1枚の絵だけだった。これらの公式設定は、今もまったく変わっていない。

にも関わらず、その初音ミクがステージに立つというのだ。人形なしに静御前※1がどうやって舞うというのだろう? そんなことを考えながらコンサートに臨んでいた。ところが……。 つきぬけるような歌声とともに、彼女が現われた。大歓声、どよめき。存在しないはずのものが、確かにそこに存在していた。強く心揺さぶられた。曲が進むうちに、自然と涙がこぼれた。日本人の想像力、創造する力はなんと素晴らしいのだろう。ふと、その3年前の冬に国立小劇場で観た『摂州合邦辻』を思い出していた。

やりたい放題の玉手御前に、文楽を見始めて間もなかったこともあり、この物語は一体どうなるんだろうと、正直気を揉んだ。なにしろ母親が(血は繋がっていないとはいえ)息子に邪な恋心を抱く。それだけでもかなりナニな話なのに、毒薬を飲ませて姿形を醜くすることで、婚約者の浅香姫に愛想を尽かせ仲を裂こうとするのである。……いやはや(笑)。 が、最後のどんでん返しは、ご存じの通りだ。こんなオチが用意されていようとは。そしてこの『合邦辻』こそ、自分が初めて文楽で涙した作品だった。合邦庵室の段、切場の最後を語っていたのは七代、竹本住大夫。住大夫師匠の、魂の深淵に届くほどの語りにいつしか一筋涙が流れていた。何かとんでもないものを見てしまった。北風が冷たい2月、終演後、劇場を出たとき、シンと冷えた外気が妙に気持ちよかったことを覚えている。 玉手御前も浅香姫も俊徳丸も、もちろん合邦も、そこにいた。人形ではなく、大夫、三味線、人形遣い、いや演者だけじゃなく、文楽に関わったすべての人たちがが創造した物語の上に、本物の合邦たちが降り立ったような気がした。

果たして初音ミクは、その場所に降り立っていた。鮮やかだがどこか儚げな3D映像。よく見れば、半透明のスクリーンに、うしろからプロジェクションしている。仕掛けはすぐにわかる。3人の人形遣いが人形を巧みに動かしているのがすぐにわかるように。だけど、仕組みなんか関係なかった。「実在」はしないけど「存在」する。それが初音ミクだった。初めて涙した国立小劇場の舞台で見たのも、まさにそれだったように思う。

生きていないモノ、人ならざるモノ。そこに魂を吹き込む。
「娘の首(かしら)はぼんやり彫れ。魂はわしが入れる」とは、名人、吉田文五郎が人形師、大江巳之助に語った言葉だそうだ。実は、初音ミクの3Dモデルの元データも、顔はぼんやりと作られている。クリエイターたちが、楽曲に合わせて表情と動作を作り込み、感情の機微をもそこに織り込んでいる。まさに「魂を入れる」ために。ところが、若い彼らは、文楽を見たこともないし、文楽がどんなものかも知らない。にも関わらず、これほどまでのシンクロニシティ、共時性。これはもはや日本人のDNAとしか、説明しようがないではないか。

僕は、八重垣姫※2の激しい動きの中に初音ミクの面影を見てしまうし、初音ミクの切ない歌の中に雛鳥※3の憂いを感じてしまう。ちょっとヘンタイっぽい見方だけれど(笑)。創作の連鎖は現代までつながってる。時代が移り、変わっていっても、われわれはやっぱり、生と死の境界をのぞき込み、そこに永遠なるモノを見つけ、全てを賭けて魂を入れる営みを繰り返すのだと思う。そんな国に生まれた幸福を、今、身に染みて感じている。

さて冒頭にお話しした初音ミクのコンサート【夏祭初音鑑】だが、初音ミクが歌う約20曲の流れの中に、日本人なら誰もが知っている物語を潜ませた。満月の夜、月からひとりの少女が落ちてくる。その少女が現世で揉まれたのち、再び月へ還っていく。彼岸から此岸へ、そしてまた彼岸へ。その少女を初音ミクが演じる。月へ還る、それは「死」のイメージと重ねた。地上からいなくなった彼女は、しかし、若い男の子が暮らしていると思われる部屋のパソコンに、「面影」=ソフトウェアとしての「初音ミク」を残していった、というオチである。 コンサートの大阪公演の初日は8月1日だった、実は、その初日の2日前に大阪に先乗りし、国立文楽劇場まで足を運んだ。夏休み文楽特別公演、こちらのほうは『夏祭浪花鑑』を観るためだ。この時期の大阪の暑さというのは本当に尋常ではなく、ふいに人殺しが起きてもおかしくないと思えるほどに暑い。そんな中で『浪花鑑』を観るというのは本当に格別だ。何度観ても飽きないし、これからも欠かさず観ていきたいと思っている。 クライマックスの長町裏の段。だんじりの灯り、お囃子、そしてあの別格の暑さの中で義父殺しが起きる。月明かりのない闇夜の下。そこがまさに現世。

その2日後。【初音鑑】は設定を闇夜から月夜へと変えた。そして、そんな「現世」へ初音ミクは落ちてきた。

  • ※1『義経千本桜』の登場人物。
  • ※2『本朝廿四孝』の登場人物。
  • ※3『妹背山婦女庭訓』の登場人物。

■福岡 俊弘(ふくおか としひろ)
デジタルハリウッド大学教授、株式会社KADOKAWA アスキーメディアワークスBC CGM編集部部長、『MIKU-Pack』総編集長。1957年生まれ。89年アスキー入社、92年よりパソコン情報誌『EYE・COM』編集長、97年より『週刊アスキー』編集長、ほか2つの雑誌の創刊にも携わる。MIKUNOPOLIS(初音ミクの初めての海外コンサート)の実現にも関わる。

(2013年7月30日『夏祭浪花鑑』観劇)